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2016年11月 3日 (木)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「子守唄よ」の風景

 

「子守唄よ」は

「新女苑」の1937年(昭和12年)7月増大号(7月1日発行)に発表されました。

 

発行日から逆算して2か月前の

5月中旬に制作されたものと推定されています。

 

同月号の「四季」に「蛙声」が発表されていることから

二つの詩は同時期に作られ

相互に「照応」していることが案内されています。
「新編中原中也全集」)

 

 

子守唄よ

 

母親はひと晩じゅう、子守唄(こもりうた)をうたう

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

然(しか)しその声は、どうなるのだろう?

たしかにその声は、海越えてゆくだろう?

暗い海を、船もいる夜の海を

そして、その声を聴届(ききとど)けるのは誰だろう?

それは誰か、いるにはいると思うけれど

しかしその声は、途中で消えはしないだろうか?

たとえ浪は荒くはなくともたとえ風はひどくはなくとも

その声は、途中で消えはしないだろうか?

 

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だろう?

淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だろう?

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

いっぽうが蛙声

いっぽうが母親の声。

 

その声に

それを聴くのは誰だろう?(子守唄よ)

あれは、何を鳴いているのであろう?(蛙声)

――と疑問を呈している詩です。

 

 

なぜこの時期に

子守唄、なのか

子守唄よ、なのか。

 

「蛙声」との照応ということがヒントになり

わかったような気になりますが

溜飲が下がるほどではありません。

 

 

「子守唄よ」は14行の詩ですが

半分の7行に行末「?」があり

詩(人)はその疑問を投げかけたまま

答えを明らかにしないままに(できないまま)終わります。

 

「蛙声」の方が疑問への答えが明確で

「子守唄よ」は

疑問ではじまり疑問で終わっています。

 

「子守唄よ」は

母親の唄が消えてしまわないか

心配する心持ちが歌われているだけです。

 

 

これほど外景というものがない詩は

中也の詩には珍しい。

 

季節も風景も色彩を失って

暗い海を渡る子守唄だけが

母親によって歌われ

その声の行く先が心配されます。

 

 

風景があるとすれば

内面の風景というほかになく

そこに鎌倉は現れません。

 

 

中途ですが

今回はここまで。

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