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2016年11月24日 (木)

新川和江・抒情の源流/「ひばりの様に」の素朴

 

 

詩の言葉をめぐる詩というのは

詩論であり詩人論であり

ときにはレトリック論であり、

言葉の技術論である場合が多くあるのですが

新川和江のそれは

愛の言葉をめぐる思索になるケースが多い、といえるでしょうか。

 

「比喩でなく」から

「ノン・レトリック」へと続いたこの系譜の詩は

探してみれば

たくさんあるかもしれません。

 

たとえば

詩人、数え年15歳の時のノートに認(したた)めてあったという作品。

 

 

ひばりの様に

 

ひばりの様にただうたふ

それでよいではないですか

 

からすが何とないたとて

すずめが何とないたとて

 

ひばりはひばりのうたうたふ

それでよいではないですか

 

いのちの限りうたひつつ

ゆうべあかねの雲のなか

 

胸はりさけて死んだとて

それでよいではないですか

 

(ハルキ文庫「新川和江詩集」より。)

 

 

ハルキ文庫の「新川和江詩集」(2004年3月発行)は

詩人自身の手で

それまでの膨大な作品を再編集したものです。

 

散文を除く詩作品を

初期詩篇

それから(1953~1999)

幼年・少年少女詩篇

――の3項に分類しています。

 

発表詩集は数が多くて

詩集ごとの分類は文庫本で無理があると考えたのか

「それから」の項を立てたものと推察されます。

 

 

この再編集によって

「比喩でなく」の後に

「ノン・レトリック Ⅰ」「ノン・レトリック Ⅱ」が配置され

それが初稿制作の順なのか

内容上の再配置なのかはわかりませんが

三つの詩が

相互に反響しあう位置に並びました。

 

こうして

「比喩でなく」から「ノン・レトリック」へと読んでいく流れが

作品へのアクセスをわかりやすくさせた感じがします。

 

 

この詩に

高度なレトリックを見出すことはできない、と言えば

だれも異議を申し立てることはないでしょうか?

 

きっと

ないでしょうね。

 

ここにあるのは

あまりにも素朴な

ひばりの野生(の声)へのエールですから。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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