新川和江・抒情の源流/「ひばりの様に」の素朴
詩の言葉をめぐる詩というのは
詩論であり詩人論であり
ときにはレトリック論であり、
言葉の技術論である場合が多くあるのですが
新川和江のそれは
愛の言葉をめぐる思索になるケースが多い、といえるでしょうか。
「比喩でなく」から
「ノン・レトリック」へと続いたこの系譜の詩は
探してみれば
たくさんあるかもしれません。
たとえば
詩人、数え年15歳の時のノートに認(したた)めてあったという作品。
◇
ひばりの様に
ひばりの様にただうたふ
それでよいではないですか
からすが何とないたとて
すずめが何とないたとて
ひばりはひばりのうたうたふ
それでよいではないですか
いのちの限りうたひつつ
ゆうべあかねの雲のなか
胸はりさけて死んだとて
それでよいではないですか
(ハルキ文庫「新川和江詩集」より。)
◇
ハルキ文庫の「新川和江詩集」(2004年3月発行)は
詩人自身の手で
それまでの膨大な作品を再編集したものです。
散文を除く詩作品を
初期詩篇
それから(1953~1999)
幼年・少年少女詩篇
――の3項に分類しています。
発表詩集は数が多くて
詩集ごとの分類は文庫本で無理があると考えたのか
「それから」の項を立てたものと推察されます。
◇
この再編集によって
「比喩でなく」の後に
「ノン・レトリック Ⅰ」「ノン・レトリック Ⅱ」が配置され
それが初稿制作の順なのか
内容上の再配置なのかはわかりませんが
三つの詩が
相互に反響しあう位置に並びました。
こうして
「比喩でなく」から「ノン・レトリック」へと読んでいく流れが
作品へのアクセスをわかりやすくさせた感じがします。
◇
この詩に
高度なレトリックを見出すことはできない、と言えば
だれも異議を申し立てることはないでしょうか?
きっと
ないでしょうね。
ここにあるのは
あまりにも素朴な
ひばりの野生(の声)へのエールですから。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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