新川和江・抒情の源流/「ひばりの様に」の素朴・その2
雲雀(ひばり)という鳥が春先の青天にさえずる姿を
初めて見たときの感動は
誰にも一生忘れがたく残るものでしょう。
どこで鳴いているのか
見上げた空には
ぴーぴーぴーぴーと声は聞こえているのですが
金の粉をまぶした青が広がっているばかりで
いっこうに姿をとらえることができない。
けれど、
目を凝らして青空を探していると
まぶしいばかりの青空に目が馴染んできて
小さくはばたく黒い点々を
なんなく見つけることができるものです。
◇
渋谷から調布に越した転校生が
田舎の少年たちに
雲雀を見つけるコツを教わった日々が思い出されます。
ひばりは
地上の巣に戻るとき
巣から相当離れた場所に降り立ち
敵の存在を確かめてから
巣を目指すんだ
――と教えてくれた遠藤君や元木君。
今ごろどうしているかな。
◇
……と、こうして自分の身に引きつけて
この詩を読むのは勝手というものでしょうか。
ならばこの詩は
雲雀の生態に感心して
雲雀を称揚したうたということになります。
そうならば
この詩はリアリズムのうたということになりますが。
◇
この詩の
面白いところ(読みどころ)は
ひばりを見ている詩人が
ひばりを擬人化し
ひばりのようにうたうことが
詩人の仕事であることをうたいつつ
ついにひばりそのものになっているところでしょう。
後半の2連、
いのちの限りうたいつつ
ゆうべあかねの雲のなか
胸はりさけて死んだとて
それでよいではないですか
――は、
もはや
詩の作者とひばりとの間に
距離はありません。
死んだとて、の主語は
ひばりであると同時に詩人自身です。
そのように
詩人はうたいました。
◇
素朴と見えるこの詩は
素朴であることの中に
擬人法だとか比喩だとか
レトリックを超えようとする企みを潜(ひそ)ませています。
◇
途中ですが
今回はここまで。
« 新川和江・抒情の源流/「ひばりの様に」の素朴 | トップページ | 新川和江・抒情の源流/「あこがれ」のヒバリ »
「121新川和江・抒情の源流」カテゴリの記事
- 新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「愛人ジュリエット」恋の遍在と不在と(2017.05.01)
- 新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/2番詩「愛人ジュリエット」の眼差し(2017.04.29)
- 新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/2番詩「愛人ジュリエット」(2017.04.28)
- 新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「しごと」のメッセージ・その3(2017.04.26)
- 新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「しごと」のメッセージ・その2(2017.04.23)
コメント