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2016年11月 8日 (火)

新川和江・抒情の源流/「比喩でなく」の行為

 

 

「ふゆのさくら」が収録されている詩集「比喩でなく」に

タイトル詩「比喩でなく」があり

代表作の一つとして

多くの人に知られています。

 

 

比喩でなく

 

水蜜桃が熟して落ちる 愛のように

河岸の倉庫の火事が消える 愛のように

七月の朝が萎(な)える 愛のように

貧しい小作人の家の豚が痩せる 愛のように

 

おお

比喩でなく 

わたしは 愛を

愛そのものを探していたのだが

 

愛のような

ものにはいくつか出会ったが

わたしには摑めなかった

海に漂う藁しべほどにも このてのひらに

 

わたしはこう 言いかえてみた

けれどもやはり ここでも愛は比喩であった

 

愛は 水蜜桃からしたたり落ちる甘い雫

愛は 河岸の倉庫の火事 爆発する火薬 直立する炎

愛は かがやく七月の朝

愛は まるまる肥える豚……

 

わたしの口を唇でふさぎ

あのひとはわたしを抱いた

公園の闇 匂う木の葉 迸る噴水

なにもかも愛のようだった なにもかも

その上を時間が流れた 時間だけが

たしかな鋭い刃を持っていて わたしの頬に血を流させた   

 

現代詩文庫64「新川和江詩集」より。)

 

 

 

詩にとって比喩は

心臓のようなものです。

 

――と、こう言う矢先から

比喩は生じてしまうほどに遍在する

言葉のありふれた技術の一つですが。

 

 

 

この詩が探している(とうたう)のは

比喩ではない愛。

 

愛そのものです。

 

といって

愛そのものは

詩にすれば

比喩でしか捉えることができないことの

じれったさ(矛盾)を歌い

しかし

ある時(というのはこの詩の中で)、

 

わたしの口を唇でふさぎ

あのひとはわたしを抱いた

 

――と、愛の行為そのものを

比喩でなくうたったのに

その次の瞬間には

それは愛のようなものでしかなかった。

 

その愛のようなものは

過去の時間の記憶にだけは確かに刻まれた

――というようなことをうたったものです。

 

 

愛を

比喩でなく

行為として見せた名作です。
 
愛の行為そのものは

永遠に続くものでないけれど

頬に流れた血の記憶としてわたしの中にいま在る

――。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

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