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2016年11月 6日 (日)

新川和江・抒情の源流/「ふゆのさくら」の理知

それでは新川和江の詩を読んでいくことにします。

 

それではというのは

ほかでもない

茨木のり子の「詩のこころを読む」の「恋唄」の章で紹介されている女性詩人で

高良留美子

滝口雅子

――と続く順序に沿ってということです。

 

多くの人が新川和江の名を

色んなきっかけで知っているようですが

「詩のこころを読む」を通じてきた人も少なくはないことでしょう。

 

そこで案内されているのは

「ふゆのさくら」1篇でした。

 

 

ふゆのさくら

 

おとことおんなが

われなべにとじぶたしきにむすばれて

つぎのひからはやぬかみそくさく

なっていくのはいやなのです

あなたがしゅろうのかねであるなら

わたくしはそのひびきでありたい

あなたがうたのひとふしであるなら

わたくしはそのついくでありたい

あなたがいっこのれもんであるなら

わたくしはかがみのなかのれもん

そのようにあなたとしずかにむかいあいたい

たましいのせかいでは

わたくしもあなたもえいえんのわらべで

そうしたおままごともゆるされてあるでしょう

しめったふとんのにおいのする

まぶたのようにおもたくひさしのたれさがる

ひとつやねのしたにすめないからといって

なにをかなしむひつようがありましょう

ごらんなさいだいりびなのように

わたくしたちがならんですわったござのうえ

そこだけあかるくくれなずんで

たえまなくさくらのはなびらがちりかかる

 

(現代詩文庫64「新川和江詩集」より。)

 

 

この詩「ふゆのさくら」は

1968年に発行された詩集「比喩でなく」に載っていますから

今(2016年)からおよそ50年ほど前に作られた詩です。

 

 

茨木のり子は「ふゆのさくら」を

季節外れの恋、中年の恋と読んで

 

ひとつやねのしたにすめないからといって

なにをかなしむひつようがありましょう

――を取り出してコメントします。

 

このコメントがまたスカッとして鮮やか!

 

 

故あって一緒に住めないのか、ともに住むことを拒否したのでしょうか。

 

公認された間柄ではないらしく、三角関係か四角関係かもしれないのですが、この世の掟(おきて)や民法なんかなんのその、もっとも深く理解しあえる相手として、その存在を意識しあい、相手にふさわしいものに成りたいという願いを日々抱いている、いわば、現世の枠からは浮上した形の恋です。
 
(「詩のこころを読む」より。改行を加えてあります。編者。)

 

 

これが当たっているのかいないのか。

 

詩世界の事実と現実を混同するのは

馬鹿々々しいことですが

茨木のり子はこれを、

 

昔ながらの日本の女の訴えかける、めんめん調のようにとらえかねませんが、

内容はむしろ理知的で、スキッとしています。

 

――と感想を述べます。

 

 

日本の現代抒情詩の本流を行く詩に

理知を感じ取る詩人に案内されて

新川和江の「ふゆのさくら」以外の詩を

幾つか読んでいきます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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