新川和江・抒情の源流/「ふゆのさくら」の理知
それでは新川和江の詩を読んでいくことにします。
それではというのは
ほかでもない
茨木のり子の「詩のこころを読む」の「恋唄」の章で紹介されている女性詩人で
高良留美子
滝口雅子
――と続く順序に沿ってということです。
多くの人が新川和江の名を
色んなきっかけで知っているようですが
「詩のこころを読む」を通じてきた人も少なくはないことでしょう。
そこで案内されているのは
「ふゆのさくら」1篇でした。
◇
ふゆのさくら
おとことおんなが
われなべにとじぶたしきにむすばれて
つぎのひからはやぬかみそくさく
なっていくのはいやなのです
あなたがしゅろうのかねであるなら
わたくしはそのひびきでありたい
あなたがうたのひとふしであるなら
わたくしはそのついくでありたい
あなたがいっこのれもんであるなら
わたくしはかがみのなかのれもん
そのようにあなたとしずかにむかいあいたい
たましいのせかいでは
わたくしもあなたもえいえんのわらべで
そうしたおままごともゆるされてあるでしょう
しめったふとんのにおいのする
まぶたのようにおもたくひさしのたれさがる
ひとつやねのしたにすめないからといって
なにをかなしむひつようがありましょう
ごらんなさいだいりびなのように
わたくしたちがならんですわったござのうえ
そこだけあかるくくれなずんで
たえまなくさくらのはなびらがちりかかる
(現代詩文庫64「新川和江詩集」より。)
◇
この詩「ふゆのさくら」は
1968年に発行された詩集「比喩でなく」に載っていますから
今(2016年)からおよそ50年ほど前に作られた詩です。
◇
茨木のり子は「ふゆのさくら」を
季節外れの恋、中年の恋と読んで
ひとつやねのしたにすめないからといって
なにをかなしむひつようがありましょう
――を取り出してコメントします。
このコメントがまたスカッとして鮮やか!
◇
故あって一緒に住めないのか、ともに住むことを拒否したのでしょうか。
公認された間柄ではないらしく、三角関係か四角関係かもしれないのですが、この世の掟(おきて)や民法なんかなんのその、もっとも深く理解しあえる相手として、その存在を意識しあい、相手にふさわしいものに成りたいという願いを日々抱いている、いわば、現世の枠からは浮上した形の恋です。
(「詩のこころを読む」より。改行を加えてあります。編者。)
◇
これが当たっているのかいないのか。
詩世界の事実と現実を混同するのは
馬鹿々々しいことですが
茨木のり子はこれを、
昔ながらの日本の女の訴えかける、めんめん調のようにとらえかねませんが、
内容はむしろ理知的で、スキッとしています。
――と感想を述べます。
◇
日本の現代抒情詩の本流を行く詩に
理知を感じ取る詩人に案内されて
新川和江の「ふゆのさくら」以外の詩を
幾つか読んでいきます。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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