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2016年11月 5日 (土)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「ひからびた心」の風景

 

 

「ひからびた心」は

「文芸懇話会」1937年(昭和12年)4月号に発表されました。

 

中村古峡療養所を同年2月15日に退院して後

初めての新作詩と推定される作品です。

 

制作日は3月16日と推定されていますから

鎌倉に転居後の初作品ということになります。

 

 

ひからびた心

 

ひからびたおれの心は

そこに小鳥がきて啼(な)き

其処(そこ)に小鳥が巣を作り

卵を生むに適していた

 

ひからびたおれの心は

小さなものの心の動きと

握(にぎ)ればつぶれてしまいそうなものの動きを

掌(てのひら)に感じている必要があった

 

ひからびたおれの心は

贅沢(ぜいたく)にもそのようなものを要求し

贅沢にもそのようなものを所持したために

小さきものにはまことすまないと思うのであった

 

ひからびたおれの心は

それゆえに何はさて謙譲(けんじょう)であり

小さきものをいとおしみいとおしみ

むしろその暴戻(ぼうれい)を快(こころよ)いこととするのであった

 

そして私はえたいの知れない悲しみの日を味(あじわ)ったのだが

小さきものはやがて大きくなり

自分の幼時を忘れてしまい

大きなものは次第(しだい)に老いて

 

やがて死にゆくものであるから

季節は移りかわりゆくから

ひからびたおれの心は

ひからびた上にもひからびていって

 

ひからびてひからびてひからびてひからびて

――いっそ干割(ひわ)れてしまえたら

無の中へ飛び行って

そこで案外安楽(あんらく)に暮せらるのかも知れぬと思った

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

同じ「文芸懇話会」誌には「米子」が同時に発表されましたが

「米子」は1936年12月1日付け発行の「ペン」に初出したものの再発表でした。

 

 

心の状態を詩にするものですから

自然の景色の描写が希薄(きはく)になるのは必然と言えるでしょうか。

 

ひからびた心に訪れるのは小鳥でしたが

小鳥は小さなものの象徴であり

動作や表情は必要以上に描写されていません。

 

 

小鳥の外形や周辺の風景よりも

この詩、

 

小さきものはやがて大きくなり

自分の幼時を忘れてしまい

大きなものは次第(しだい)に老いて

 

――というところに展開があり

大きなもの(おれ=詩人)の老いに意識は向い

ついには無になる

そして安楽に暮せるかもしれないという希望が語られ閉じるのです。

 

 

早春の、鎌倉の

扇川あたりの野原に

雲雀(ひばり)は鳴いていたでしょうか?

 

詩を生むきっかけが

風景になかったとは言えません。

 

 

中途ですが

今回はここまで。

 

 

 

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