新川和江・抒情の源流/「Chanson」の愛(アムール)・再
2度読んでみたけれど
どこか読み足りなく
胸の底に落ちていかないので
もう一度読んでみます。
◇
Chansonには、
あまやかに歌いましょうか 愛(アムール)を
でも でも それが出来なくなった
と、
あまやかに歌いましょうか 愛(アムール)を
でも でも それが
どうして出来なくなったのでしょうね
――というルフランがあり
ここに詩の最大の眼目(ねらい)があることは
初めて読んだ時にすんなりと理解したはずでした。
◇
あまやかに歌いたい
けれども
出来ない――。
この、逆接の接続関係で
重心があるのは
出来ない、という結果です。
歌いましょうか、という予想的な判断は
出来ない、という結果的な判断で覆(くつがえ)されている
――といえば
日本語文法の分析みたいで
詩を読み損(そこ)ねるかもしれませんが。
逆接の接続詞「でも」によって
予想(前の行)が結果(後の行)によって逆転してしまうのですから
ここは読み外してはならないところです。
◇
ですから、
あまやかな愛(アムール)は
この詩では一つも歌われないのです。
多くのシャンソンが
過ぎ去った愛や苦しみの愛を歌うように。
◇
詩人の不幸について
書き出される第3連。
えらい先生が
詩は批評でなければいけないなんて
おっしゃった日から
それははじまった、のですが
そんな発言は聞き流したいところなのに
そうはいかなかったのです。
◇
すると、この詩、
あまやかな愛を
歌えない不幸を歌っているのでしょうか?
大きな問いが生まれてきて
俄然、身が引き締まります。
◇
その問いが含まれているとなれば
どのような愛なのか。
「愛のよろこび」のような
「枯葉」のような、か。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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