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中原中也を歌う(曲と歌:桜木うさこさん)

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2016年12月

2016年12月31日 (土)

中原中也が「四季」に寄せた詩/「むなしさ」のわれ

 

「むなしさ」は

「四季」の1935年(昭和10年)3月号に発表されたのが初出。

 

「去年の雪」を詩集タイトル案としていた時には

冒頭に配置する予定でした。

 

詩集タイトルが「在りし日の歌」と最終決定した後

「含羞」が冒頭詩とされ

「むなしさ」は2番詩になりました。

 

 

むなしさ

 

臘祭(ろうさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて

 心臓はも 条網(じょうもう)に絡(から)み

脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなぢ)も露(あら)わ

 よすがなき われは戯女(たわれめ)

 

せつなきに 泣きも得せずて

 この日頃 闇(やみ)を孕(はら)めり

遐(とお)き空 線条(せんじょう)に鳴る

 海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)

 

白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(かべん)

  凍(い)てつきて 心もあらず

明けき日の 乙女の集(つど)い

 それらみな ふるのわが友

 

偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)そも

 胡弓(こきゅう)の音(ね) つづきてきこゆ

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

第3連、

明けき日の 乙女の集(つど)い

それらみな ふるのわが友

 ――とあるのは

新年の集いに参じた戯女たちは

みな古くからの友だちである、という意味ですが

強い口調で断言しているところに味わいがあります。

 

第1連で、

よすがなき われは戯女(たわれめ)

――と、これも体言止めで断定したわれは

戯女であるとともに

詩人自身ですから

詩人は戯女になりきって

この詩を歌っていることになります。

 

 

中也は「四季」にこの詩を寄せ

「四季」はこの詩を受け入れた

――ということを思うだけで緊迫してくるものがあります。

 

 

中途ですが

今回はここまで。

2016年12月30日 (金)

中原中也が「四季」に寄せた詩/「青い瞳」の家

 

「四季」1935年(昭和10年)12月号に発表されたのが

「青い瞳」という2節構成の詩です。

 

この詩はやがて

「在りし日の歌」に収録されます。

 

 

青い瞳

 

1 夏の朝

 

かなしい心に夜(よ)が明けた、

  うれしい心に夜が明けた、

いいや、これはどうしたというのだ?

  さてもかなしい夜の明けだ!

 

青い瞳は動かなかった、

  世界はまだみな眠っていた、

そうして『その時』は過ぎつつあった、

  ああ、遐(とお)い遐いい話。

 

青い瞳は動かなかった、

  ――いまは動いているかもしれない……

青い瞳は動かなかった、

  いたいたしくて美しかった!

 

私はいまは此処(ここ)にいる、黄色い灯影(ほかげ)に。

  あれからどうなったのかしらない……

ああ、『あの時』はああして過ぎつつあった!

  碧(あお)い、噴き出す蒸気のように。

 

2 冬の朝

 

それからそれがどうなったのか……

それは僕には分らなかった

とにかく朝霧罩(あさぎりこ)めた飛行場から

機影はもう永遠に消え去っていた。

あとには残酷な砂礫(されき)だの、雑草だの

頬(ほお)を裂(き)るような寒さが残った。

――こんな残酷な空寞(くうばく)たる朝にも猶(なお)

人は人に笑顔を以(もっ)て対さねばならないとは

なんとも情(なさけ)ないことに思われるのだったが

それなのに其処(そこ)でもまた

笑いを沢山湛(たた)えた者ほど

優越を感じているのであった。

陽(ひ)は霧(きり)に光り、草葉(くさは)の霜(しも)は解け、

遠くの民家に鶏(とり)は鳴いたが、

霧も光も霜も鶏も

みんな人々の心には沁(し)まず、

人々は家に帰って食卓についた。

  (飛行場に残ったのは僕、

  バットの空箱(から)を蹴(け)ってみる)  

 
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)
 

 

第2節に、

人々は家に帰って食卓についた。

――とあるのは

「郵便局」に、

彼等(かれら)の頭の中に各々(めいめい)の家の夕飯仕度(ゆうはんじたく)の有様(ありさま)が、知らず知らずに湧(わ)き出すであろうから。

――とあるのと響き合います。

 

 

第2節末行に飛行場が現われますが

ディオゲネスが現われる「秋日狂乱」が制作されたのも

この「青い瞳」と同じ頃のことと推定されています。

 

 

中途ですが

今回はここまで。

2016年12月29日 (木)

中原中也が「四季」に寄せた詩/「郵便局」でシガー

中原中也と「四季」

――と言っただけで(あるいは聞いただけで)

現代詩史、現代詩論史へと誘(いざな)われていきそうな

穏やかならざる響きを感じるというのは

過剰反応というものでしょうか。

 

答えは出ているようにはみられませんが

詩は詩ですから

どのようなメディアに発表されようと

詩であることに変わりありませんから

詩をやはり読んでみましょう。

 

 

「郵便局」は

「四季」昭和12年(1937年)2月号に発表されました。

 

 

郵便局

 

 私は今日郵便局のような、ガランとした所で遊んで来たい。それは今日のお午(ひる)からが小春日和(こはるびより)で、私が今欲しているものといったらみたところ冷たそうな、板の厚い卓子(テーブル)と、シガーだけであるから。おおそれから、最も単純なことを、毎日繰返している局員の横顔!――それをしばらくみていたら、きっと私だって「何かお手伝いがあれば」と、一寸(ちょっと)口からシガーを外して云(い)ってみる位な気軽な気持になるだろう。局員がクスリと笑いながら、でも忙しそうに、言葉をかけた私の方を見向きもしないで事務を取りつづけていたら、そしたら私は安心して自分の椅子に返って来て、向(むこ)うの壁の高い所にある、ストーブの煙突孔(えんとつこう)でも眺めながら、椅子の背にどっかと背中を押し付けて、二服(ふたふく)ほどは特別ゆっくり吹かせばよいのである。

 すっかり好(い)い気持になってる中に、日暮(ひぐれ)は近づくだろうし、ポケットのシガーも尽きよう。局員等(ら)の、機械的な表情も段々に薄らぐだろう。彼等(かれら)の頭の中に各々(めいめい)の家の夕飯仕度(ゆうはんじたく)の有様(ありさま)が、知らず知らずに湧(わ)き出すであろうから。

 さあ彼等の他方見(よそみ)が始まる。そこで私は帰らざなるまい。

 帰ってから今日の日の疲れを、ジックリと覚えなければならない私は、わが部屋とわが机に対し、わが部屋わが机特有の厭悪(えんお)をも覚えねばなるまい……。ああ、何か好い方法はないか?――そうだ、手をお医者さんの手のようにまで、浅い白い洗面器で洗い、それからカフスを取換えること!

 それから、暖簾(のれん)に夕風のあたるところを胸に浮(うか)べながら、食堂に行くとするであろう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

小春日和で日向ぼっこをしているだけでいい

――というふうにならないところがこの頃の中也でしょうか。

 

詩人は、昔、ディオゲネスの幸福を歌ったのに。

 

「秋日狂乱」(在りし日の歌)で。

 

 

中途ですが

今回はここまで。

2016年12月27日 (火)

新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その8/エッセイ集(散文)

 

 

詩人には

詩のほかに幾つかのエッセイ集(散文)があり

こちらが達意の文章家の面目躍如(めんもくやくじょ)としているのは

無闇に難解な現代詩創作への自戒から来ているように思えてなりません。

 

新全集の自筆略年譜から

新聞・雑誌などへ寄せた単独・連続の寄稿と

単行エッセイ集をひろいました。

 

個々のエッセイに連続性はありませんが

詩人の創作歴の流れの

その時々の呼吸のようなものがうっすらと伝わってくるでしょうか。

 

【散文・エッセイ集】

 

1957

エッセイ「近ごろの流行歌」執筆 朝日新聞

 

1968

若い人向けの詩と散文集「わたしの愛は…」 新書館

 

1970

竹取物語の現代語訳 小学生の日本古典文学全集 学燈社

 

1972

エッセイ集「草いちご」 サンリオ出版

 

1978

エッセイ集「愛がひとつの林檎なら」 大和書房

 

1981

「半秒おくれて言語はやってくる」執筆 現代詩手帖

 

1983

エッセイ集「花嫁の財布」 文化出版局

毎日新聞・詩欄へ執筆

ラ・メール創刊のことば「女流詩の流れを輝く川に」執筆 朝日新聞

「麦とレモン」執筆 東京新聞

「私の一冊―“檳榔樹”について」執筆 東京新聞

「文学との出会い」6回執筆 新潟日報

 

1984

エッセイ「美と言葉」執筆4回 東京新聞

エッセイ「不易と流行」執筆 毎日新聞

 

1985

エッセイ「女・無手勝流の詩群」執筆 毎日新聞

 

1986

エッセイ集「朝ごとに生まれよ、私」 海竜社

 

1988

「アクセント・アクセント」執筆 月刊日本語

ラ・メール独立について執筆 日本経済新聞

深尾須磨子選詩集「マダム・Xの春」編・解説 小沢書店

 

1989

「高田敏子さんの詩」執筆 読売新聞

 

1991

井上靖追悼文「沙棗の林の中に」執筆 現代詩手帖3月号

 

1992

「不思議の国の言葉たち・女の詩」選詩と解説を一部担当 「女性セブン」(小学館)

 

1993

ラ・メール終刊の挨拶を執筆

 

1994

安西均追悼文「きさらぎに逝く」執筆 産経新聞

 

1995

永瀬清子追悼文を「詩学」「黄薔薇」に執筆 

茨木のり子に関するエッセイ「若い素敵ないとこたちのような…」 現代詩手帖「櫂」特集

エッセイ「吉原さんの笑顔」 吉原幸子詩集「発光」が第3回萩原朔太郎賞受賞、その図録に執筆

 

1996

エッセイ「私の写真館」執筆 正論

 

1999

エッセイ集「わたしは、此処」 花神社

 

(以上、花神社「新川和江全詩集」巻末「自筆略年譜」より。)

 


 
なお、全詩集以後に

「詩の履歴書―『いのち』の詩学」(2006年、思潮社)

「詩が生まれるとき」(2009年、みすず書房)

――の2冊の単行本が出版されています。

 

この2冊ともに

自作詩が誕生した経緯(いきさつ)や理由を

胃がいっぱいになるように

胸がいっぱいになるように

丁寧に丁寧に綴(つづ)ってくれていて

座右の必需本ですし
達意の文章が堪能(たんのう)できる

散文の名品ばかりが集まっています。
 

 

途中ですが

今回はここまで。

2016年12月26日 (月)

新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その7/選集・アンソロジー

 

 

すでに発表した複数の詩集から

制作期間を区切って再編集した詩集、

幾つかの作品を選んで再編集した選集、

テーマを設定してまとめた選集・アンソロジー、

文学全集の中の1冊(または1部)に選ばれた詩篇……などと

詩作品の発表の形は

詩誌や新聞・雑誌などに単発で発表されるものとともに

新川和江の詩世界をいっそう豊穣に(演出)しています。
 

 

「新川和江全詩集」(花神社)にも選集(アンソロジー)がありますが

「日本の詩集20『新川和江詩集』」

「現代詩文庫『新川和江全詩集』」 

「渚にて」

「新選現代詩文庫『新川和江詩集』」

「花神ブックス『新川和江』」は

既に発表した詩篇を除いた初出詩篇だけを載せています。

(「春とおないどし」だけは初出も既出も含めた抄出です。)

 

 

花神社版の全詩集以外にも

選集やアンソロジーはたくさん出ていますし

文学全集や詩歌シリーズなどへの収録もあります

 

ハルキ文庫(角川書店)の「新川和江詩集」は

2004年初版発行の文庫本ですが

第1詩集「睡り椅子」などの

初期の詩篇から最近の詩篇までを

詩人自ら編集し直したコンパクト版です。

 

 

新川和江には

愛、花、青春などの

特定のテーマで編まれた選集(アンソロジー)が幾つもあります。

 

全詩集巻末の自筆略年譜で

これらを一覧しておきましょう。
(文学全集、シリーズへの収録もここに記します。)
 

【テーマ別詩集など】

 

1966

日本の旅・名詩集(関東篇) 秋谷豊と共著、三笠書房

女の詩集 雪華社、男の詩集は寺山修司

若き日の詩集 集英社

 

1967

花の詩集 集英社

 

1968

愛の詩集 集英社

 

1969

われら中学生 島岡晨との共著、少年詩、毎日新聞社

現代詩鑑賞講座第11巻に作品収録 角川書店

山と高原と湖の詩集 集英社

季節の詩集 集英社 後に文庫版コバルト・ブックス

 

1970

日本の詩歌第27巻に作品収録 中央公論社

 

1971

青春歌集「恋人たち」 サンリオ出版

日本女流詩集「翼あるうた」 童心社

青春詩集「ひとりで街をゆくときも」 新書館

 

1973

青春詩集「海と愛」 サンリオ出版

日本の詩集20「新川和江詩集」 角川書店

塚原琢哉の写真に詩を添える、瀧口修造、林立人との3部作「称名あそび」 ギャラリープレス

全集・戦後の詩第3巻に詩を収録 角川書店

 

1974

日本抒情詩集に詩を収録 潮文庫

 

1975

小さな詩集「花ろうそくをともす日」 サンリオ出版

現代詩文庫「新川和江詩集」 思潮社

 

1982

「目で見る日本の詩歌」全15巻中の「近代の詩(二)」を執筆 TBSブリタニカ
青春詩集「渚にて」 沖積舎

 

1983

新選・新川和江詩集(後に「続・新川和江詩集」と改題) 思潮社

朝の詩(うた) 花神社

 

1985

「日本の詩」の1巻として「新川和江」 ほるぷ出版

 

1986
ラ・メールブックス「女たちの名
詩集」 思潮社

花神ブックス「新川和江」 花神社

 

1988

新川和江文庫・全5冊 花神社 刊行開始

 

1990

昭和文学全集35昭和詩歌集に作品収録 小学館

 

1992

ラ・メールブックス「続・女たちの名詩集」 思潮社

 

1993

祝婚のうた 小学館

 

1996

日本名詩集成に作品収録 学燈社

 

1997

アンソロジー「わたしを束ねないで」 童話屋

 

(以上、花神社「新川和江全詩集」巻末自筆略年譜より。)

 

 

選集、アンソロジーだけをまとめるというのに

どのような意義があるか、と

途中ためらいましたが

これらが詩人自身の手で行われたか否かに関わらず

他者の評価、あるいは人気ある詩などを知るうえで

一つの糸口になろうかと考え直しました。

 

初出作品に新たな生命が吹き込まれるような現象が起きたり

テーマから詩世界への入り口としたり

原詩集の個別の詩を別の角度から読んでみたり……の

きっかけになるかもしれません。

 

もとより、詩人の活動の全容は

とても追うことはできないでしょうから

小さなきっかけになればいいかな、と。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2016年12月24日 (土)

新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その6/初の幼年・少年少女詩集「明日のりんご」まで

 

 

少年少女詩集「明日(あした)のりんご」が

発行されたのは1973年

詩人44歳になる年でした。

 

おや、と思えるような

遅めの発行です。

 

 

「新川和江全詩集」の年譜を

めくってみましょう。

 

 

新川和江は、戦後1年の1946年に結婚、

1948年に東京・渋谷に茨城県結城から移住以後、

同人誌「プレイアド」、文学グループ「十五日会」へ加わり

1953年には第1詩集「睡り椅子」を発表しました。

 

戦時下に師事した詩人西條八十に

励まされた時期です。

 

「睡り椅子」には

このような背景から

西條八十の序文があります。

 

 

この年には新しい抒情詩を作ることを目指す「地球」グループに

秋谷豊に誘われて参加

ここを拠点に多くの詩人たちとの交流をはじめます。

 

同誌への発表のほかに

手塚治虫の「リボンの騎士」の脚色(1954)

朝日新聞へエッセイ「ちかごろの流行歌」を執筆(1957)するなど

活動領域を広げていきます。

 

1955年には

長男が誕生。

 

そして1959年、30歳で

第2詩集「絵本『永遠』」を地球社から発行しました。

 

 

学研「中一コース」に連載した詩が

第9回小学館文学賞を受賞したのが1960年ですから

1955年の長男誕生から「絵本『永遠』」へと続く流れのなかで

少年少女詩篇の制作は活発化していきます。
 
少女雑誌、学習雑誌に

物語や詩を書きはじめたのは

東京へ移住した直後からでした。

 

一児の母親になったことは

詩人の詩作に深い影響を及ぼしました。

 

 

「明日(あした)へのりんご」には

「中一コース」「中三コース」に連載した詩が大半で

「日本児童文学」「現代少年文学」「中学生文学」に載せた詩

ほかに詩人島岡晨との共著「われら中学生」中の作品も収録しています。

 

 

「中一コース」「中三コース」では

写真家、国枝健が全国を飛び回って撮った

若い世代の生活や表情に添えて

新川和江が詩を書き下しました。

 

詩集中、題名に地名が付せられてあるのは

写真家が巡った場所です。

 

若い世代のひとびとをモチーフにした詩を

まとめたのはこれが初めてと

詩人はあとがきに記していますが

テーマ別に作った詩集は

新川和江に数多(あまた)あります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2016年12月21日 (水)

新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その5/幼年・少年少女詩篇「秋のいちばんさいしょの風は」

 

 

「明日(あした)のりんご」Ⅰから

もう一つ。

 

40篇の終りの方の詩には

秋が訪れています。

 

 

秋のいちばんさいしょの風は

 

秋の

いちばんさいしょの風は

ほそい草を  いっぽんいっぽん

ていねいにより分けて吹く

ながい休暇(きゅうか)に

とりとめもなくぼやけてしまった

わたしの心にも

くっきりと 道をつけてくれる

 

はいって行こう その道をたどって

心のさらに深い場所へ――

風が遠くの谷間の村の

ちいちゃな まずしいリンゴの木にも

忘れずに

美しいみのりをうながしに行くように――

 

(花神社「新川和江全詩集」中の「明日のりんご」より。)

 

 

炎暑でぐったりしていた

野の草に

秋風が初めて吹く頃――。

 

名もない草が

俄然、輪郭をくっきりさせて勢いづく。

 

詩人の眼差しは

風のやわらかさ(やさしさ)に向かい

それを

 

ほそい草を いっぽんいっぽん

ていねいにより分けて吹く

――と歌います。

 

 

この眼差し(観察眼)の繊細さに感心させられますが

風がわたしの心にも

くっきりと道をつけてくれる、と歌い継ぐところで

この詩は

単なる自然描写に終わらない領域に入ります。

 

風がつくったその道をたどって

心のさらに深い場所へ

はいって行こう

――とこの詩は呼びかけます。

 

わたしの心に向かって。

 

 

詩集タイトルは

この詩から生まれたようですね。

 

ちいちゃな

まずしいリンゴの木に

美しい実りがもたらされるように、と祈る詩(人)が呼びかけるのは

わたしです。

 

同時に

中学生ほどの若者たちです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2016年12月20日 (火)

新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その4/幼年・少年少女詩篇「ライラックの森」

 

 

詩人が

人や動植物や星や雲やモノなどになり代って歌っている例は

いたるところにあります。

 

すでに読んだ「ひばりの様に」は

なり代る瞬間がとらえられえていました。

 

 

後半の2連、


いのちの限りうたいつつ


ゆうべあかねの雲のなか

 

胸はりさけて死んだとて


それでよいではないですか

 

――は、


もはや


詩の作者とひばりとの間に


距離はありません。

 

死んだとて、の主語は


ひばりであると同時に詩人自身です。

 

――と以前このブログは記しました。

 

 

なり代るといっても

それで詩がただちに発生するものではありません。

 

なり代ってのちに

それを言葉に組み立てる仕事が

詩人を待っています。

 

 

「明日(あした)のりんご」を

すこしめくってみましょう。

 

少年少女詩集としては

もっとも早く制作された40篇が収録されています。

 

冒頭詩「朝の渚」で一気に

少年少女詩の世界に魅せられて

一つひとつを読んでいくと

20篇読むのに

およそ1時間かかりました。

 

詩をじっくり咀嚼(そしゃく)しながら初めて読むには

これくらいかかるのが標準だろうか、

ほかの人はどうだろう、などと

比較にならないことを考えながら進みますと

新川和江少年少女詩集ワールドへ溶け込んでいくようです。

 

 

「青草の野を」、「本のにおい」につづく4番は

春4月の詩ですが

2度目、3度目の春(新学期)を迎える少女の胸には

過ぎ去った日々を思う

かなしみがあります。

 

 

ライラックの森

 

ライラックの木かげで

わたしたちは目を輝かせて語りあった

明日のこと

来年のこと

希望にみちた未来のことを――

やさしい微風(びふう)が黒髪をゆすり

むらさきの花のうえ

あかるくひろがっていた 四月の空

ふたたび みたび

春はたしかな足どりで

すべてのうえにやってくる

けれども同じこの木かげに

あの日の友は もういない

 

ライラックの木かげで

わたしひとり 思い出すのは

きのうのこと

去年のこと

過ぎ去ったなつかしい日のこと――

やさしい微風が黒髪をゆすり

むらさきの花のうえ 四月の空が

きょうもあかるくひろがっているのに

 

(「新川和江全詩集」中の「明日(あした)のリンゴ」より。)

 

 

この詩では

詩人がなり代っているのはわたしですが

そのわたしは

詩人の少女時代のことですから

過去のそのわたしと

詩のなかのわたしは同じわたしです。

 

少女の日のわたしに舞い戻ったわたしは

春の日のライラックの花のかたわらで

失われた日々を思い出します。

 

 

この喪失感は

少年少女だけのものではなく

青春の喪失感であっても

成年のものであっても

老年のものであってもよい

その時々のものですから
その時々にクロスオーバーし

誰のこころにでも響いてくるものです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2016年12月18日 (日)

新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その3/幼年・少年少女詩篇の理由

 

 

「幼年・少年少女詩篇」には

あとがきがあるものとないものがあります。

 

幼年や少年少女向け詩集として初の

「明日(あした)のりんご」(1973年)をはじめ

「野のまつり」(1978 年)

「ヤァ! ヤナギの木」(1985年)

「いっしょけんめい」(1985年)までの4作にあとがきがあるのは

いろいろな理由があることでしょう。

 

あとがきには

その理由を詩人自ら記しているくだりがありますから

それらに目を通してみます。

 

「明日(あした)のりんご」には――。

 

 

ここ数年のあいだ私は、まだ成人にはちょっと間のある、若い世代のひとびとの詩を、書きつづけてきました。なぜか。お答えはきわめて単純です。

 

いろいろなものの<いのち>を生き、<こころ>をことばで言いあらわすことが、好きだからです。

 

植物や、動物や、あらゆるひとびと、ときには星や、コップや、折れ釘にも変身して、それぞれが持っている固有の<こころ>をうたうことが、私の夢なのです。

 

――とあります。

(※わかりやすくするために、改行を加えてあります。以下同。ブログ編者。)
 

 

これは、あとがきの書き出しの部分ですが

これだけで人を鷲掴(づか)みにしてしまう

ズバリ真芯(ましん)への直球みたいな

的確な言葉使いが胸の底に落ちていきます。

 

あらゆるモノのいのちとこころを

言葉で言い表すのが詩(の夢)であるはずだから

植物、動物、いろんな人、星やコップや、折れ釘……に

変身する。

 

それらのこころを歌うこと。

 

1973年刊行の

少年少女詩集の

これが大きな理由でした。

 

 

2冊目の少年少女詩集「野のまつり」のあとがきは

「明日のりんご」のあとがきをていねいに補足します。

 

 

何年か前、ある文章のなかでわたくしは、つぎのように書きました。

「年齢を超(こ)え、性別を超えるには、ある日13歳の少年を生きる。またある日、馬を生きる。薔薇(ばら)を生きる。歩道橋を、張られた帆布(ほぬの)を、寺院を、ポプラを、水道の蛇口(じゃぐち)を生きる。あらゆるものになりきってみたい。七たび生れかわって、などという気の長い執念ではなくて、すべてのものと、無邪気に、同時に、クロスしてみたいのだ」

 

 

これも書き出しですが

モノになりきってしまうこと、

つまりは、そのものを生きることを

さらに具体的に、詳しく述べます。

 

そして、幼年・少年少女詩篇というものが

子どもの「ために」とか

少年少女の「ために」とかという立派な考えで、

いはば、上から目線で教訓を垂れるというものではないことが

念押しされます。

 

ある日わたくしは少年だった

ある日わたくしは少女だった

ある日わたくしはそよ風だった

 

――というようになりきる、と。

 

 

「ヤァ! ヤナギの木」のあとがきも

「ほかのものになり代って詩を書くこと」について記されます。

 

「いっしょけんめい」のあとがきにも

世俗的な欲望や、手垢にまみれた概念に、まだ侵されていない子供たちには、木も小鳥も水も、この世のすべてが心をひらいて、じつにいきいきと、本来のすがたを見せてくれるように、思えるからです。

――と幼いひと自身になって詩を書くことが好きな理由が述べられます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2016年12月17日 (土)

新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その2/幼年・少年少女詩篇

 

 

詩集のなかでも

幼い児童向けや少年少女に向けて書かれた詩篇は

幼年詩篇とか

少年少女詩篇という

個別のジャンルになりました。

 

 

【幼年・少年少女詩篇】

 

明日(あした)のりんご(Ⅰ Ⅱ)、あとがき

1973

 

野のまつり(朝の食卓/野のまつり/黙せ メロン/雲をうたう/幼い日/うちのお母さん) あとがき

1978

 

ヤァ! ヤナギの木(春/夏/秋/冬/富士山の四季)、あとがき

1985

 

いっしょけんめい あとがき

1985

 

星のおしごと

1991

 

いつも どこかで(どこかで だれかが/おとうとの部屋(へや)/風が吹いている/砂浜/源流へ) 

1999

 

 

全詩集以後は

「お母さんのきもち」(2001年)

この星で生れた」(2010年)などの

選集がいくつかあります。

 

 

幼年詩篇とか

少年少女詩篇とかがどんなものか

すこし作品に触れてみましょう。

 

「明日(あした)のりんご」は

最初の少年少女詩篇ですから

その冒頭詩は

最も早い時期の制作ということになります。

 

 

朝の渚

 

濡(ぬ)れた砂に

書きました

だれにも だれにも

きけないことを

 

なぜ 女の子だけ

血を ながすのですか?

オレンジやレモンも

熟(う)れるときは固くしこって

いたむのですか?

 

きょう 海は

青いけもののようです

わたしはこわい

海よ わたしを

のみこまないでください

 

 

一読して

とりこになってしまいそうな詩です。

 

こういうのが

少年少女詩篇というなら

もっともっと読んでいたいところですが

いまは詩人のアウトラインをつかむだけにしておきます。

 

こういうのを

少年少女詩篇というのなら

いつの日かどこかに置き忘れてきたような

こころの歴史の空白に再会するような

青春以前、青春そのものを思い出させます。

 

青春へと

シームレスに連続していく時間の

果てしなく幼時へと遡っていく時間の

まどろみの生存へと

誘(いざな)われていくようで

たまらない僥倖(ぎょうこう)に会えそうです。

 

それは

いつかまた!

 

 

少年詩篇とか少女詩篇とか

幼年詩篇とか。

童謡とか、絵本とかも。

 

これらは考えてみれば

大人が書いたものです。

 

大人が

幼き日の記憶をたどりながら

自らの経験を思い出しながら

現在の幼年や少年少女へ書き送る

いのちやこころのうつくしさ、かなしさ。

 

いや、もっとほかの

たくさんのことが

うたわれていそうです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2016年12月15日 (木)

新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その1/詩集

 

 

詩人の誕生の経緯(いきさつ)を知りたくなり

来歴を知りたくなってくるのは

作品にある程度触れて後のことであって

多少、余裕が生まれてくるからで

毎日のように読みはじめて1か月あまり。

 

詩世界に没入するなかで

詩人の全体像とまでいかなくとも

詩人の発表詩集の全容を知りたくなってきます。

 

 

「ブック・エンド」には
立ち去りがたい詩が犇(ひし)めいていますが
このようなわけで
先を急ぐことにします。

 

15歳から70年を超える活動歴は
広範、多彩ですから
まずは、詩集発表の歴史(アウトライン)を整理します。

 

詩人、新川和江はすでに

2000年4月に「新川和江全詩集」(花神社)を発表していますから

この全詩集をひもとくのが順序でしょう。

 

2000年以降は
単行詩集その他での整理になります。

 

 

「全詩集」のもくじをのぞいてみましょう。

 

詩を詩集と幼年・少年少女詩篇に大別し

散文(エッセイ)を除く発表詩篇が一覧できます。

 

まず詩集――。

 

【詩集】

※詩作品以外の記事があれば記載しました。

※( )は章立てを示します。

※●はブログ筆者注。選集・アンソロジーですから、初出詩篇だけを収録されています。 

 

睡り椅子(雪の蝶/都会の靴/昨日の時計)、序・西條八十、後記

1953
 
絵本「永遠」

1959

 

ひとつの夏 たくさんの夏 解説・木原孝一、ノート
1963

 

ローマの秋・その他

1965

 

比喩でなく(Ⅰ比喩でなく Ⅱ午後の庭)

1968

 

つるのアケビの日記

1971

 

日本の詩集20 新川和江詩集 初出詩篇●

1973

 

土へのオード13(Ⅰわたしは傷を… Ⅱ土へのオード13)、大岡信・新川和江の詩、あとがき

1974

 

現代詩文庫「新川和江詩集」初出詩篇●

1975

 

火へのオード18

1977

 

夢のうちそと(Ⅰ Ⅱ Ⅲ) あとがき

1978

 

水へのオード16 あとがき

1980

 

渚にて 初出詩篇●

1982

 

現代詩文庫「新選新川和江詩集」初出詩篇●

1983

 

ひきわり麦抄 後書にかえて

1986

 

花神ブックス「新川和江」初出詩篇●

1986

 

はね橋(Ⅰ Ⅱ Ⅲ)

1990

 

春とおないどし 抄

1991

 

潮の庭から ※詩人加島祥造との共著です。

1993

 

けさの陽に(Ⅰ Ⅱ Ⅲ)

1997

 

はたはたと頁(ページ)がめくれ(Ⅰ Ⅱ)

1999

 

 

2000年以後は、

人体詩抄(2005年)

記憶する水2007年)

ブック・エンド(2013年)

――と続いています。
 
なお、現代詩文庫「新選新川和江詩集」(1983)は

のちに「続・新川和江詩集」(1995)と書名変更され

現代詩文庫「新川和江詩集」(1975)にはじまる選集を引き継いだもので

さらに「続続・新川和江詩集」(2015)へと続きます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

新川和江・抒情の源流/「ブック・エンド」の恋歌「冬のふらぐめんと」より・その2

 

 

「陽射し」は2連の詩です。

 

第1連。

 

「陽射し」の陽は

冬至前後の太陽でしょうか。

 

高くのぼらない陽が気になる季節(とき)。

 

詩人は

ふと、太陽と地球の位置の関係を

測ろうとします。

 

上体を傾ければわかるかも、という思いつきに

ユーモアがあります。

 


第2連の

主語は陽射し。

 

射しこんできて、どうなるか――。

 
ためらっている、のです。

ここのところを押さえるために

第2連をもう一度

引いておきます。



 

陽射しが

居間の奥まで射しこんできて

ひとに坐って欲しかった椅子の

とうとう坐って貰えずじまいになった椅子の

猫脚の手前あたりで

ためらっている

(思潮社「ブック・エンド」より。)

 




射しこんできて、と、

ためらっている、という

二つの述語の間にある3行の副詞句は

第1、第2行は椅子の由来(ゆらい)を語りつつ

第3行にかかっていく関係です。

 

第3行の猫脚のあたり、は

陽射しの射す場所を示す副詞句です。

 

散文的に考えれば――。

 

 

詩は散文ではありませんから

一つの流体(液体)であるような

固体であるような

気体であるような

分離を許さない言葉の群れのようなものですから

分析はほどほどにしなければいけませんが

この詩の見事さは

分析してみれば自ずと納得がいくことでしょう。

 

このような分析に微動もしないで

詩は存在し続けるのですから。

 

 

詩に流れる

引き締まった抒情の艶やかさ、美しさ。

 

何度繰り返して読んでも

飽きることがありません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2016年12月14日 (水)

新川和江・抒情の源流/「ブック・エンド」の恋歌「冬のふらぐめんと」より

 

 

第1詩集「睡り椅子」の世界へ飛んでいく前に

2016年現在の新川和江の最新詩集「ブック・エンド」に

立ち寄ってみましょう。

 

「ブック・エンド」は

2013年に発行されました。

 

 

詩誌や新聞などに発表された詩20篇が集められています。

 

巻末の初出一覧によれば

1999年の「空気入れ」を筆頭に

2006年の作が1篇

2007年の作が4篇

2008年の作が2篇

2009年の作が2篇

2010年の作が2篇

2011年の作が3篇

2012年の作が2篇

2013年の作が3篇(うち1篇は書きおろし)

――という内訳になります。

 

これら20篇が

3部に分けられて案内されていますが

分類の意図を詩人は明かしていません。

 

 

いずれも香気あふれる絶品が揃い

詩世界に分け入っていると

時を忘れる境地に入りますが

今回は

2008年発表の作品「冬のふらぐめんと」の一部を

読んでみましょう。

 

「冬のふらぐめんと」は

現代詩手帖の2008年1月号に発表された

4篇で構成される作品です。

 

そのうちの一つ。

 

 

陽射し

 

冬になると

地軸はこんな具合に

傾くのかしら

と上体を かしげてみる

 

陽射しが

居間の奥まで射しこんできて

ひとに坐って欲しかった椅子の

とうとう坐って貰えずじまいになった椅子の

猫脚の手前あたりで

ためらっている
 
(思潮社「ブック・エンド」より。)

 

 

詩人は

色々な系統の詩を書いてきましたが

愛を歌う詩の流れは

枯れることがありません。

 

一人で苺を食べる

詩人の姿が重なってきます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

新川和江・抒情の源流/「五月ひとり」から「アルネ」のあこがれ

 

 

この詩「五月ひとり」は

思い出を歌っているのではありません。

 

いま、あなたを思って

苺を食べていること、

それだけを歌っているものです。

 

苺を食べながら

あなたとは一緒に食べなかったことを

思っているだけです。

 

一緒に食べなかったという思い出を

歌っているのではありません。

 

苺をひとり食べている、

そのことが歌われているだけです。

 

 

いま、色んな思いが

混ざりあっているかもしれません。

 

悔いとか寂しさとかだけでなく

心温まる思いなのかもしれません。

 

寂しくもあり

苦しくもあり

甘酸っぱくもあり

甘やかでもあり

悲しくもあり

地の底から這いあがってくるむなしさもあり。

 

でも、それらの思いは

いっこうに歌われません。

 

でも、

あなたのことが脳裏にあります。

 

そして、色んな思いが伝わってきます。

 

 

自選詩集「千度呼べば」のあとがきには

詩人が詩を書きはじめたいきさつが披瀝されています。

 

少女の頃というから

それは師、西條八十の知遇を得る以前の話に違いありません。

 

ビヨルンソンの山岳小説「アルネ」を愛読していた詩人は、

主人公アルネ少年のように

都会にあこがれ

街にあこがれ

やがてそのあこがれの対象は

いつか出会うであろう恋人へと変わっていったことを記しています。

 

 

詩は

この頃に書きはじめられました。

 

アルネ少年のあこがれが

詩を書く少女に乗り移り

そのあこがれは

いつしか初めて出会うであろう恋びとへの思いに重なります。

 

少女は成人して後

詩を書くことを生業(なりわい)としますが

自らのひそかな恋は

それら詩篇のなかに隠された。

――と明かしているのです。

 

 

「五月ひとり」には

なんら具体的に恋らしきものは歌われていませんが

無性(むしょう)に

一目散に

この詩人の少女時代の詩へ

飛んでいきたく思わせるものが潜んでいます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2016年12月12日 (月)

新川和江・抒情の源流/「おしまいのキス」から「五月ひとり」へ

 

 

「おしまいのキス」は

「井の頭公園」の一つ前に配置されています。

 

この詩こそは

恋の終りの日を正面に見据えて

最期(さいご)のキスを希望する歌です。

 

お水をください

口うつしに飲ませてください

死んでいくひとにするように

そうするよりほかないように 仕方のないやり方で

――と最期の願いが歌いはじめられます。

 

 

ここに、しかし

あのひとは現れません。

 

あなたやあの方も呼び出されずに

気持ちをまっすぐに歌ったような形の詩です。

 

 

恋人は

次の「井の頭公園」や

最終詩「五月ひとり」にも現れますから心配無用なのですが

真っ暗のわたしの内側が明かされて

胸が塞がる思いになります。

 

この詩も

愛の歌の一つです。

 

 

15歳で詩作をはじめ

およそ70年間休むことなく歌い続けてきた愛の歌は

音色は多少変わっても

現在も歌い継がれています。

 

「千度呼べば」(2013年)の最終詩は

一筆書きのような

力味(りきみ)のない

衒(てら)いも技(わざ)の跡もないような

美しい短詩です。

 

 

五月ひとり

 

苺(いちご)を

食べています

あなたとは

苺は 食べなかった

とおもいながら

ひとつぶひとつぶ

スプーンでつぶして

苺を

食べています

 

(「千度呼べば」より。原作のルビは( )で示しました。編者。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2016年12月11日 (日)

新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時・その3

 

 

キスする筈だった

ままごとする筈だった

みの虫がブランコするように二人で揺れていたかった

――という願望は達成できませんでした。

 

となると……。

 

その人はいまいずこ?

――という疑問が生じますが

その人はあいかわらず公園の道を

すこし距離をおいて歩いています。

 

幻でもなく奇跡でもなかった。

 

 

二人の男女が井の頭公園を歩いている。

 

井の頭公園という固有名が

ここで利いています。

 

そこに愛は存在します。

 

 

こうして愛の謎(なぞ)は

解けたかに見えますが――。

 

 

ほんとうは悲しみが

隠れているのかもしれません。

 

むなしさ

悔い

諦(あきら)め

……が潜んでいるのかもしれません。

 

願い通りにはならなかった恋だったのかもしれません。

 

けれども

成就しなかった恋を悔いる響きは

いっこうに聞こえてきません

 

満足しているというほどでもなさそうですが

充分に自ら了解している感じがあります。

 

 

わたしたちは 又逢ってしまった

月並みな<さようなら>では

わたしたち 別れられない

わたしたちは愛しすぎてしまいました

(略)

かといって ありふれた愛のかたちをとることもできず

こうして二人で向かい合っているのは 尚苦しい

わたしたちは愛しすぎてしまいました

こんな愛は熱すぎてはいれぬお風呂みたいなものだ

――と歌ったのは

つい最近のようなことでしたのに。

(「わたしたちは又逢って……」より。)
 

 

この詩「井の頭公園」は

では

恋の終りを歌ったのでしょうか?

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

2016年12月 9日 (金)

新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時・その2

 

 

「井の頭公園」で

「巨きな美しい樹」が比喩するものは

愛の形ということでしょうか。

 

世間が認める愛の形でしょうか。

 

この愛は

ゆるされぬ愛だったのでしょうか。

 

 

詩集「千度呼べば」をめくり返してみると、

 

わたしたちの間は恋にならなかった

ゆるされぬ恋

去年(こぞ)の恋

恋を手放した瞬間

ひとつやねのしたにすめない

ありふれた愛のかたちをとることもできず

恋の終りの日

……などという詩語が現れます。

 

 

詩集のはじめの方――。

 

1番詩「名」では、

 

飽かず呼ぶ あなたの名を

はるかな空の下の

面影しのび

――とあり

 

2番詩「その名でいっぱい」では、

 

呼べば いちどきにこぼれてしまいそうなので

こわくて わざとむっつりしているのを

――とあり

 

3番詩「おしえてあげる」では、

 

きのう

だれもいないときに

むらさきの耳のひとつひとつに

こっそり聞かせて

あげましたから

――などとあるように

恋は他人に知られてはならない

秘密のことでした。
 

誰にも触れて欲しくないという

純愛感情であると同時に

世間に知られては都合のよくない

秘密の愛のようなものでした。

 

 

「井の頭公園」では、

 

あいかわらず 

すこし 距離をおいて

 

――この二人は歩いていくのですが

もはや

巨きな美しい樹(のよしあし)にはこだわらないということでしょうか。

 

こだわっている時ではないということでしょうか。

 

巨きな樹であれば

もはやそれでよいのです。

 

それで十分に

満足できるようになったのかはわかりませんが、

 

キスする筈だった

ままごとをする筈だった

みの虫みたいにブランコする筈だった

――というのは叶えられなかった希望だったことを受け止めています。

 

静かに受け止めるのです。

 

悔いている時ではない、と言わんばかりに。

 

 

静かな態度でもって

なぜこうも

相手をも自分をも受け止められるのでしょう。

 

愛することの

永遠の謎(なぞ)のようなものが見えるような気がしてきます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

 

2016年12月 8日 (木)

新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時

 

 

「千度呼べば」の最終詩の前に置かれた詩は

固有の地名がタイトルになりました。

 

2013年発行のアンソロジーですから

制作順に配列されているとは限らないでしょうが

この詩が最近作の一つであることを想像しても

外れていないはずです。

 

 

井の頭公園

 

巨きな

美しい樹を見つけたら

その下で

はじめてのキスを

する筈だった その人と

 

巨きな

美しい樹を見つけたら

その下に茣蓙(ござ)をしいて

お茶わんとお箸をならべ

ままごとを

する筈だった その人と

 

巨きな

美しい樹を見つけたら

振りのいい枝に二つ なわをかけて

みの虫みたいに

並んで風に吹かれても

よいとさえ思った その人と

 

樹のことなど

どちらももう 言い出さずに

それでも会って

巨きな樹のある公園を 歩いている

あいかわらず

すこし 距離をおいて

 

(「千度呼べば」2013年、新潮社。原作のルビは( )で示しました。編者。)

 

 

この詩が

地名を冠したのには

理由があるでしょうか。

 

理由があるとしたら

どのような理由でしょうか。

 

詩に歌われた場所が

歌われた内容と無関係であるはずもなく

その場所であるゆえに歌われたのだとしたら

この公園は井の頭公園でなければならなかったのでしょうか。

 

 

最終連で、

 

樹のことなど

どちらももう 言い出さずに

それでも会って

――と歌ったのは

巨きな美しい樹への共同の夢が

ついに実現されなかった今

そのことをとやかく口にすることを控えるこころを互いに通わせ

それでも会っているだけの満ち足りたこころを

歌うようです。

 

手を握るでもなく

寄り添うでもなく

あれがないこれがないなどとは言わずに

ただ井の頭公園の道を歩いているだけでよいのです。

 

そこは

巨きな樹のある公園ですから。

 

 

恋は幻に終わったのでしょうか?

 

幻の恋に諦めをつけたのでしょうか?

 

 

そうとは言えない充実感みたいなものが流れる

その時の時が伝わってくるようです。

 

その時には

あのひとやあなたではなく

その人が傍らを距離をおいて歩いています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2016年12月 6日 (火)

新川和江・抒情の源流/「鬼ごっこ」の成熟

 

 

「鬼ごっこ」は

自選(愛の)詩集「千度呼べば」の中では

「陸橋の上で」の一つ前に置かれています。

 

現代詩文庫64「新川和江詩集」では

「比喩でなく」に発表されたことがわかりますから

1960年代後期、40歳前の制作と想像できます。

 

 

鬼ごっこ

 

「あなたは霧? 風? それともけむり?」

苦しまぎれに呼びかけると

遠くのほうから

あのひとの声がかえって来た

「あなたは霧? 風? それともけむり?」

 

なんという 間の抜けた

さびしい鬼ごっこ!

わたしたちはどちらも目隠しをして

相手をつかまえようと

漠漠とした霧の中に

手ばかりむなしく泳がせているのだった

 

「あなたが いっぽんの木であればいい

そうすれば つかまって泣くことも出来るのに!」

苦しまぎれに呼びかけると

じきそばであのひとの声がした

「あなたが いっぽんの木であればいい

そうすれば伐り倒すことも出来るのに!」

 

(「千度呼べば」2013年、新潮社。原作のルビは( )で示しました。編者。)

 

 

一つの、同じ恋(愛)が続いているのか

また異なる恋なのか

この詩に歌われた愛が「陸橋の上で」と連続する物語であるかどうか

わかるものではありません。

 

この詩の現在は

この詩の中にあり

ほかの時間が流れ込むことはないと見なすのが自然でしょう。

 

けれども、詩(人)には、

一つの恋も二つの恋も

同じことなのかもしれませんから

恋・愛の推移(変化)をここに読んでも

差し支えないとも言えるでしょうか。

 

 

苦しまぎれ

間の抜けた

さびしい

漠漠とした

むなしく

……といった負のことばが目立ちますが

これらは恋愛の翳(かげ)りを示すものであるよりも

発展(成熟)を物語るものでしょう。

 

一種のアンニュイを明らかにして隠すことはなく

結末で

伐り倒される運命(さだめ)にあります。

 

男の願望に出くわして

驚いている様子でもありません。

 

 

はじめ

こだまはまったく女と同じ言葉(思い)を返し

やがては

まったく異なる言葉を変奏して応じます。

 

この一体感の思いがけない(?)変化は

女性を失望させたのでしょうか?

 

それも恋のうちと思わせたのでしょうか?

 

男と女の違いといえるものまでを

この詩はとらえています。

 

 

この詩が

鬼ごっことネーミングされたのは

恋であっても

成熟した男女の夢芝居のような。

 

「陸橋の上で」から

幾らかの時間が流れたことを告げる詩です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2016年12月 5日 (月)

新川和江・抒情の源流/「陸橋の上で」の時(とき)

 

 

では、どのような愛(アムール)を

新川和江は歌ってきたのでしょうか。

 

愛というけれど。

 

何度も目にしたはずの

愛の歌は

ほんとうのところ

どのような愛であったでしょうか。

 

わかりきったように思ってきたのに

あらかじめどこかで想定されていたような問いが

突如というか、不意にというか

ここで現われます。

 

 

2013年発行の「千度呼べば」(新潮社)は

新川和江70年にわたる詩活動の中で

絶え間なく歌われてきた愛の歌から

選りすぐった41篇が収録されていて

息を飲むような

胸苦(むなぐる)しいような

叫びのような歌の結晶体になり

さながらアムール(愛)のコレクションです。

 

中に

すでに読んできた

「ふゆのさくら」もあり

「比喩でなく」もあり

Chanson」も選ばれています。

 

 

陸橋の上で

 

陸橋の上で わたしたち

なかなか 別れられなかった

夜が 更(ふ)けてしまい

最終電車が いってしまい

ちらちらと雪が

降り出しても わたしたち

さよならが 言えなくて

 

どのようにして わたしたち

それぞれの 家へ帰っていったのかしら

いまはもう 思い出せない

ただ てのひらに

痛みのようにのこっている

あなたの指の ほのかな温(ぬく)み

はじめて触れた あの陸橋の上で

 

(「千度呼べば」2013年、新潮社。原作のルビは( )で示しました。編者。)

 

 

この詩に出てくるわたしたちは

まるで初恋を語り合う若者のカップルみたいに

初々(ういうい)しくそこはかとないものです。

 

そう!

 

この詩の現在は

幾十年も前の出来事を歌っていると考えても

おかしくはなく

成熟した女性の現在であっても

おかしくはない
愛(アムール)であるのかもしれません。

 

 

それがいつのことであるのか

気になるところですが

目を凝(こ)らしても

特定の時を示すなんの兆しも見つかりません。

 

昨夜のことかもしれず

遠い日のことかもしれず

ただ確実なのは

今も、その時(とき)の

指の温もりが残っていることです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2016年12月 3日 (土)

新川和江・抒情の源流/「Chanson」の愛(アムール)・再

 

 

2度読んでみたけれど

どこか読み足りなく

胸の底に落ちていかないので

もう一度読んでみます。

 

 

Chansonには、

 

あまやかに歌いましょうか 愛(アムール)を

でも でも それが出来なくなった

 

と、

 

あまやかに歌いましょうか 愛(アムール)を

でも でも それが

どうして出来なくなったのでしょうね

 

――というルフランがあり

ここに詩の最大の眼目(ねらい)があることは

初めて読んだ時にすんなりと理解したはずでした。

 

 

あまやかに歌いたい

けれども

出来ない――。

 

この、逆接の接続関係で

重心があるのは

出来ない、という結果です。

 

歌いましょうか、という予想的な判断は

出来ない、という結果的な判断で覆(くつがえ)されている

――といえば

日本語文法の分析みたいで

詩を読み損(そこ)ねるかもしれませんが。

 

逆接の接続詞「でも」によって

予想(前の行)が結果(後の行)によって逆転してしまうのですから

ここは読み外してはならないところです。

 

 

ですから、

あまやかな愛(アムール)は

この詩では一つも歌われないのです。

 

多くのシャンソンが

過ぎ去った愛や苦しみの愛を歌うように。

 

 

詩人の不幸について

書き出される第3連。

 

えらい先生が

詩は批評でなければいけないなんて

おっしゃった日から

それははじまった、のですが

そんな発言は聞き流したいところなのに

そうはいかなかったのです。

 

 

すると、この詩、

あまやかな愛を

歌えない不幸を歌っているのでしょうか?

 

大きな問いが生まれてきて

俄然、身が引き締まります。

 

 

その問いが含まれているとなれば

どのような愛なのか。

 

「愛のよろこび」のような

「枯葉」のような、か。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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