新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その2/幼年・少年少女詩篇
詩集のなかでも
幼い児童向けや少年少女に向けて書かれた詩篇は
幼年詩篇とか
少年少女詩篇という
個別のジャンルになりました。
◇
【幼年・少年少女詩篇】
明日(あした)のりんご(Ⅰ Ⅱ)、あとがき
1973
野のまつり(朝の食卓/野のまつり/黙せ メロン/雲をうたう/幼い日/うちのお母さん) あとがき
1978
ヤァ! ヤナギの木(春/夏/秋/冬/富士山の四季)、あとがき
1985
いっしょけんめい あとがき
1985
星のおしごと
1991
いつも どこかで(どこかで だれかが/おとうとの部屋(へや)/風が吹いている/砂浜/源流へ)
1999
◇
全詩集以後は
「お母さんのきもち」(2001年)
「この星で生れた」(2010年)などの
選集がいくつかあります。
◇
幼年詩篇とか
少年少女詩篇とかがどんなものか
すこし作品に触れてみましょう。
「明日(あした)のりんご」は
最初の少年少女詩篇ですから
その冒頭詩は
最も早い時期の制作ということになります。
◇
朝の渚
濡(ぬ)れた砂に
書きました
だれにも だれにも
きけないことを
なぜ 女の子だけ
血を ながすのですか?
オレンジやレモンも
熟(う)れるときは固くしこって
いたむのですか?
きょう 海は
青いけもののようです
わたしはこわい
海よ わたしを
のみこまないでください
◇
一読して
とりこになってしまいそうな詩です。
こういうのが
少年少女詩篇というなら
もっともっと読んでいたいところですが
いまは詩人のアウトラインをつかむだけにしておきます。
こういうのを
少年少女詩篇というのなら
いつの日かどこかに置き忘れてきたような
こころの歴史の空白に再会するような
青春以前、青春そのものを思い出させます。
青春へと
シームレスに連続していく時間の
果てしなく幼時へと遡っていく時間の
まどろみの生存へと
誘(いざな)われていくようで
たまらない僥倖(ぎょうこう)に会えそうです。
それは
いつかまた!
◇
少年詩篇とか少女詩篇とか
幼年詩篇とか。
童謡とか、絵本とかも。
これらは考えてみれば
大人が書いたものです。
大人が
幼き日の記憶をたどりながら
自らの経験を思い出しながら
現在の幼年や少年少女へ書き送る
いのちやこころのうつくしさ、かなしさ。
いや、もっとほかの
たくさんのことが
うたわれていそうです。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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