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2016年12月17日 (土)

新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その2/幼年・少年少女詩篇

 

 

詩集のなかでも

幼い児童向けや少年少女に向けて書かれた詩篇は

幼年詩篇とか

少年少女詩篇という

個別のジャンルになりました。

 

 

【幼年・少年少女詩篇】

 

明日(あした)のりんご(Ⅰ Ⅱ)、あとがき

1973

 

野のまつり(朝の食卓/野のまつり/黙せ メロン/雲をうたう/幼い日/うちのお母さん) あとがき

1978

 

ヤァ! ヤナギの木(春/夏/秋/冬/富士山の四季)、あとがき

1985

 

いっしょけんめい あとがき

1985

 

星のおしごと

1991

 

いつも どこかで(どこかで だれかが/おとうとの部屋(へや)/風が吹いている/砂浜/源流へ) 

1999

 

 

全詩集以後は

「お母さんのきもち」(2001年)

この星で生れた」(2010年)などの

選集がいくつかあります。

 

 

幼年詩篇とか

少年少女詩篇とかがどんなものか

すこし作品に触れてみましょう。

 

「明日(あした)のりんご」は

最初の少年少女詩篇ですから

その冒頭詩は

最も早い時期の制作ということになります。

 

 

朝の渚

 

濡(ぬ)れた砂に

書きました

だれにも だれにも

きけないことを

 

なぜ 女の子だけ

血を ながすのですか?

オレンジやレモンも

熟(う)れるときは固くしこって

いたむのですか?

 

きょう 海は

青いけもののようです

わたしはこわい

海よ わたしを

のみこまないでください

 

 

一読して

とりこになってしまいそうな詩です。

 

こういうのが

少年少女詩篇というなら

もっともっと読んでいたいところですが

いまは詩人のアウトラインをつかむだけにしておきます。

 

こういうのを

少年少女詩篇というのなら

いつの日かどこかに置き忘れてきたような

こころの歴史の空白に再会するような

青春以前、青春そのものを思い出させます。

 

青春へと

シームレスに連続していく時間の

果てしなく幼時へと遡っていく時間の

まどろみの生存へと

誘(いざな)われていくようで

たまらない僥倖(ぎょうこう)に会えそうです。

 

それは

いつかまた!

 

 

少年詩篇とか少女詩篇とか

幼年詩篇とか。

童謡とか、絵本とかも。

 

これらは考えてみれば

大人が書いたものです。

 

大人が

幼き日の記憶をたどりながら

自らの経験を思い出しながら

現在の幼年や少年少女へ書き送る

いのちやこころのうつくしさ、かなしさ。

 

いや、もっとほかの

たくさんのことが

うたわれていそうです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

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