新川和江・抒情の源流/「陸橋の上で」の時(とき)
では、どのような愛(アムール)を
新川和江は歌ってきたのでしょうか。
愛というけれど。
何度も目にしたはずの
愛の歌は
ほんとうのところ
どのような愛であったでしょうか。
わかりきったように思ってきたのに
あらかじめどこかで想定されていたような問いが
ここで現われます。
◇
2013年発行の「千度呼べば」(新潮社)は
新川和江70年にわたる詩活動の中で
絶え間なく歌われてきた愛の歌から
選りすぐった41篇が収録されていて
息を飲むような
胸苦(むなぐる)しいような
叫びのような歌の結晶体になり
さながらアムール(愛)のコレクションです。
中に
すでに読んできた
「ふゆのさくら」もあり
「比喩でなく」もあり
「Chanson」も選ばれています。
◇
陸橋の上で
陸橋の上で わたしたち
なかなか 別れられなかった
夜が 更(ふ)けてしまい
最終電車が いってしまい
ちらちらと雪が
降り出しても わたしたち
さよならが 言えなくて
どのようにして わたしたち
それぞれの 家へ帰っていったのかしら
いまはもう 思い出せない
ただ てのひらに
痛みのようにのこっている
あなたの指の ほのかな温(ぬく)み
はじめて触れた あの陸橋の上で
(「千度呼べば」2013年、新潮社。原作のルビは( )で示しました。編者。)
◇
この詩に出てくるわたしたちは
まるで初恋を語り合う若者のカップルみたいに
初々(ういうい)しくそこはかとないものです。
そう!
この詩の現在は
幾十年も前の出来事を歌っていると考えても
おかしくはなく
成熟した女性の現在であっても
おかしくはない
愛(アムール)であるのかもしれません。
◇
それがいつのことであるのか
気になるところですが
目を凝(こ)らしても
特定の時を示すなんの兆しも見つかりません。
昨夜のことかもしれず
遠い日のことかもしれず
ただ確実なのは
今も、その時(とき)の
指の温もりが残っていることです。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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