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« 新川和江・抒情の源流/「Chanson」の愛(アムール)・再 | トップページ | 新川和江・抒情の源流/「鬼ごっこ」の成熟 »

2016年12月 5日 (月)

新川和江・抒情の源流/「陸橋の上で」の時(とき)

 

 

では、どのような愛(アムール)を

新川和江は歌ってきたのでしょうか。

 

愛というけれど。

 

何度も目にしたはずの

愛の歌は

ほんとうのところ

どのような愛であったでしょうか。

 

わかりきったように思ってきたのに

あらかじめどこかで想定されていたような問いが

突如というか、不意にというか

ここで現われます。

 

 

2013年発行の「千度呼べば」(新潮社)は

新川和江70年にわたる詩活動の中で

絶え間なく歌われてきた愛の歌から

選りすぐった41篇が収録されていて

息を飲むような

胸苦(むなぐる)しいような

叫びのような歌の結晶体になり

さながらアムール(愛)のコレクションです。

 

中に

すでに読んできた

「ふゆのさくら」もあり

「比喩でなく」もあり

Chanson」も選ばれています。

 

 

陸橋の上で

 

陸橋の上で わたしたち

なかなか 別れられなかった

夜が 更(ふ)けてしまい

最終電車が いってしまい

ちらちらと雪が

降り出しても わたしたち

さよならが 言えなくて

 

どのようにして わたしたち

それぞれの 家へ帰っていったのかしら

いまはもう 思い出せない

ただ てのひらに

痛みのようにのこっている

あなたの指の ほのかな温(ぬく)み

はじめて触れた あの陸橋の上で

 

(「千度呼べば」2013年、新潮社。原作のルビは( )で示しました。編者。)

 

 

この詩に出てくるわたしたちは

まるで初恋を語り合う若者のカップルみたいに

初々(ういうい)しくそこはかとないものです。

 

そう!

 

この詩の現在は

幾十年も前の出来事を歌っていると考えても

おかしくはなく

成熟した女性の現在であっても

おかしくはない
愛(アムール)であるのかもしれません。

 

 

それがいつのことであるのか

気になるところですが

目を凝(こ)らしても

特定の時を示すなんの兆しも見つかりません。

 

昨夜のことかもしれず

遠い日のことかもしれず

ただ確実なのは

今も、その時(とき)の

指の温もりが残っていることです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

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