中原中也が「四季」に寄せた詩/「青い瞳」の家
「四季」1935年(昭和10年)12月号に発表されたのが
「青い瞳」という2節構成の詩です。
この詩はやがて
「在りし日の歌」に収録されます。
◇
青い瞳
1 夏の朝
かなしい心に夜(よ)が明けた、
うれしい心に夜が明けた、
いいや、これはどうしたというのだ?
さてもかなしい夜の明けだ!
青い瞳は動かなかった、
世界はまだみな眠っていた、
そうして『その時』は過ぎつつあった、
ああ、遐(とお)い遐いい話。
青い瞳は動かなかった、
――いまは動いているかもしれない……
青い瞳は動かなかった、
いたいたしくて美しかった!
私はいまは此処(ここ)にいる、黄色い灯影(ほかげ)に。
あれからどうなったのかしらない……
ああ、『あの時』はああして過ぎつつあった!
碧(あお)い、噴き出す蒸気のように。
2 冬の朝
それからそれがどうなったのか……
それは僕には分らなかった
とにかく朝霧罩(あさぎりこ)めた飛行場から
機影はもう永遠に消え去っていた。
あとには残酷な砂礫(されき)だの、雑草だの
頬(ほお)を裂(き)るような寒さが残った。
――こんな残酷な空寞(くうばく)たる朝にも猶(なお)
人は人に笑顔を以(もっ)て対さねばならないとは
なんとも情(なさけ)ないことに思われるのだったが
それなのに其処(そこ)でもまた
笑いを沢山湛(たた)えた者ほど
優越を感じているのであった。
陽(ひ)は霧(きり)に光り、草葉(くさは)の霜(しも)は解け、
遠くの民家に鶏(とり)は鳴いたが、
霧も光も霜も鶏も
みんな人々の心には沁(し)まず、
人々は家に帰って食卓についた。
(飛行場に残ったのは僕、
バットの空箱(から)を蹴(け)ってみる)
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)
◇
第2節に、
人々は家に帰って食卓についた。
――とあるのは
「郵便局」に、
彼等(かれら)の頭の中に各々(めいめい)の家の夕飯仕度(ゆうはんじたく)の有様(ありさま)が、知らず知らずに湧(わ)き出すであろうから。
――とあるのと響き合います。
◇
第2節末行に飛行場が現われますが
ディオゲネスが現われる「秋日狂乱」が制作されたのも
この「青い瞳」と同じ頃のことと推定されています。
◇
中途ですが
今回はここまで。
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