カテゴリー

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ

« 新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時・その3 | トップページ | 新川和江・抒情の源流/「五月ひとり」から「アルネ」のあこがれ »

2016年12月12日 (月)

新川和江・抒情の源流/「おしまいのキス」から「五月ひとり」へ

 

 

「おしまいのキス」は

「井の頭公園」の一つ前に配置されています。

 

この詩こそは

恋の終りの日を正面に見据えて

最期(さいご)のキスを希望する歌です。

 

お水をください

口うつしに飲ませてください

死んでいくひとにするように

そうするよりほかないように 仕方のないやり方で

――と最期の願いが歌いはじめられます。

 

 

ここに、しかし

あのひとは現れません。

 

あなたやあの方も呼び出されずに

気持ちをまっすぐに歌ったような形の詩です。

 

 

恋人は

次の「井の頭公園」や

最終詩「五月ひとり」にも現れますから心配無用なのですが

真っ暗のわたしの内側が明かされて

胸が塞がる思いになります。

 

この詩も

愛の歌の一つです。

 

 

15歳で詩作をはじめ

およそ70年間休むことなく歌い続けてきた愛の歌は

音色は多少変わっても

現在も歌い継がれています。

 

「千度呼べば」(2013年)の最終詩は

一筆書きのような

力味(りきみ)のない

衒(てら)いも技(わざ)の跡もないような

美しい短詩です。

 

 

五月ひとり

 

苺(いちご)を

食べています

あなたとは

苺は 食べなかった

とおもいながら

ひとつぶひとつぶ

スプーンでつぶして

苺を

食べています

 

(「千度呼べば」より。原作のルビは( )で示しました。編者。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

« 新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時・その3 | トップページ | 新川和江・抒情の源流/「五月ひとり」から「アルネ」のあこがれ »

121新川和江・抒情の源流」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時・その3 | トップページ | 新川和江・抒情の源流/「五月ひとり」から「アルネ」のあこがれ »