新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その4/幼年・少年少女詩篇「ライラックの森」
詩人が
人や動植物や星や雲やモノなどになり代って歌っている例は
いたるところにあります。
すでに読んだ「ひばりの様に」は
なり代る瞬間がとらえられえていました。
◇
後半の2連、
いのちの限りうたいつつ
ゆうべあかねの雲のなか
胸はりさけて死んだとて
それでよいではないですか
――は、
もはや
詩の作者とひばりとの間に
距離はありません。
死んだとて、の主語は
ひばりであると同時に詩人自身です。
――と以前このブログは記しました。→
◇
なり代るといっても
それで詩がただちに発生するものではありません。
なり代ってのちに
それを言葉に組み立てる仕事が
詩人を待っています。
◇
「明日(あした)のりんご」を
すこしめくってみましょう。
少年少女詩集としては
もっとも早く制作された40篇が収録されています。
冒頭詩「朝の渚」で一気に
少年少女詩の世界に魅せられて
一つひとつを読んでいくと
20篇読むのに
およそ1時間かかりました。
詩をじっくり咀嚼(そしゃく)しながら初めて読むには
これくらいかかるのが標準だろうか、
ほかの人はどうだろう、などと
比較にならないことを考えながら進みますと
新川和江少年少女詩集ワールドへ溶け込んでいくようです。
◇
「青草の野を」、「本のにおい」につづく4番は
春4月の詩ですが
2度目、3度目の春(新学期)を迎える少女の胸には
過ぎ去った日々を思う
かなしみがあります。
◇
ライラックの森
ライラックの木かげで
わたしたちは目を輝かせて語りあった
明日のこと
来年のこと
希望にみちた未来のことを――
やさしい微風(びふう)が黒髪をゆすり
むらさきの花のうえ
あかるくひろがっていた 四月の空
ふたたび みたび
春はたしかな足どりで
すべてのうえにやってくる
けれども同じこの木かげに
あの日の友は もういない
ライラックの木かげで
わたしひとり 思い出すのは
きのうのこと
去年のこと
過ぎ去ったなつかしい日のこと――
やさしい微風が黒髪をゆすり
むらさきの花のうえ 四月の空が
きょうもあかるくひろがっているのに
(「新川和江全詩集」中の「明日(あした)のリンゴ」より。)
◇
この詩では
詩人がなり代っているのはわたしですが
そのわたしは
詩人の少女時代のことですから
過去のそのわたしと
詩のなかのわたしは同じわたしです。
少女の日のわたしに舞い戻ったわたしは
春の日のライラックの花のかたわらで
失われた日々を思い出します。
◇
この喪失感は
少年少女だけのものではなく
青春の喪失感であっても
成年のものであっても
老年のものであってもよい
その時々のものですから
その時々にクロスオーバーし
誰のこころにでも響いてくるものです。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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