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2016年12月20日 (火)

新川和江・抒情の源流/詩人の来歴・その4/幼年・少年少女詩篇「ライラックの森」

 

 

詩人が

人や動植物や星や雲やモノなどになり代って歌っている例は

いたるところにあります。

 

すでに読んだ「ひばりの様に」は

なり代る瞬間がとらえられえていました。

 

 

後半の2連、


いのちの限りうたいつつ


ゆうべあかねの雲のなか

 

胸はりさけて死んだとて


それでよいではないですか

 

――は、


もはや


詩の作者とひばりとの間に


距離はありません。

 

死んだとて、の主語は


ひばりであると同時に詩人自身です。

 

――と以前このブログは記しました。

 

 

なり代るといっても

それで詩がただちに発生するものではありません。

 

なり代ってのちに

それを言葉に組み立てる仕事が

詩人を待っています。

 

 

「明日(あした)のりんご」を

すこしめくってみましょう。

 

少年少女詩集としては

もっとも早く制作された40篇が収録されています。

 

冒頭詩「朝の渚」で一気に

少年少女詩の世界に魅せられて

一つひとつを読んでいくと

20篇読むのに

およそ1時間かかりました。

 

詩をじっくり咀嚼(そしゃく)しながら初めて読むには

これくらいかかるのが標準だろうか、

ほかの人はどうだろう、などと

比較にならないことを考えながら進みますと

新川和江少年少女詩集ワールドへ溶け込んでいくようです。

 

 

「青草の野を」、「本のにおい」につづく4番は

春4月の詩ですが

2度目、3度目の春(新学期)を迎える少女の胸には

過ぎ去った日々を思う

かなしみがあります。

 

 

ライラックの森

 

ライラックの木かげで

わたしたちは目を輝かせて語りあった

明日のこと

来年のこと

希望にみちた未来のことを――

やさしい微風(びふう)が黒髪をゆすり

むらさきの花のうえ

あかるくひろがっていた 四月の空

ふたたび みたび

春はたしかな足どりで

すべてのうえにやってくる

けれども同じこの木かげに

あの日の友は もういない

 

ライラックの木かげで

わたしひとり 思い出すのは

きのうのこと

去年のこと

過ぎ去ったなつかしい日のこと――

やさしい微風が黒髪をゆすり

むらさきの花のうえ 四月の空が

きょうもあかるくひろがっているのに

 

(「新川和江全詩集」中の「明日(あした)のリンゴ」より。)

 

 

この詩では

詩人がなり代っているのはわたしですが

そのわたしは

詩人の少女時代のことですから

過去のそのわたしと

詩のなかのわたしは同じわたしです。

 

少女の日のわたしに舞い戻ったわたしは

春の日のライラックの花のかたわらで

失われた日々を思い出します。

 

 

この喪失感は

少年少女だけのものではなく

青春の喪失感であっても

成年のものであっても

老年のものであってもよい

その時々のものですから
その時々にクロスオーバーし

誰のこころにでも響いてくるものです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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