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2016年12月15日 (木)

新川和江・抒情の源流/「ブック・エンド」の恋歌「冬のふらぐめんと」より・その2

 

 

「陽射し」は2連の詩です。

 

第1連。

 

「陽射し」の陽は

冬至前後の太陽でしょうか。

 

高くのぼらない陽が気になる季節(とき)。

 

詩人は

ふと、太陽と地球の位置の関係を

測ろうとします。

 

上体を傾ければわかるかも、という思いつきに

ユーモアがあります。

 


第2連の

主語は陽射し。

 

射しこんできて、どうなるか――。

 
ためらっている、のです。

ここのところを押さえるために

第2連をもう一度

引いておきます。



 

陽射しが

居間の奥まで射しこんできて

ひとに坐って欲しかった椅子の

とうとう坐って貰えずじまいになった椅子の

猫脚の手前あたりで

ためらっている

(思潮社「ブック・エンド」より。)

 




射しこんできて、と、

ためらっている、という

二つの述語の間にある3行の副詞句は

第1、第2行は椅子の由来(ゆらい)を語りつつ

第3行にかかっていく関係です。

 

第3行の猫脚のあたり、は

陽射しの射す場所を示す副詞句です。

 

散文的に考えれば――。

 

 

詩は散文ではありませんから

一つの流体(液体)であるような

固体であるような

気体であるような

分離を許さない言葉の群れのようなものですから

分析はほどほどにしなければいけませんが

この詩の見事さは

分析してみれば自ずと納得がいくことでしょう。

 

このような分析に微動もしないで

詩は存在し続けるのですから。

 

 

詩に流れる

引き締まった抒情の艶やかさ、美しさ。

 

何度繰り返して読んでも

飽きることがありません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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