新川和江・抒情の源流/「鬼ごっこ」の成熟
「鬼ごっこ」は
自選(愛の)詩集「千度呼べば」の中では
「陸橋の上で」の一つ前に置かれています。
現代詩文庫64「新川和江詩集」では
「比喩でなく」に発表されたことがわかりますから
1960年代後期、40歳前の制作と想像できます。
◇
鬼ごっこ
「あなたは霧? 風? それともけむり?」
苦しまぎれに呼びかけると
遠くのほうから
あのひとの声がかえって来た
「あなたは霧? 風? それともけむり?」
なんという 間の抜けた
さびしい鬼ごっこ!
わたしたちはどちらも目隠しをして
相手をつかまえようと
漠漠とした霧の中に
手ばかりむなしく泳がせているのだった
「あなたが いっぽんの木であればいい
そうすれば つかまって泣くことも出来るのに!」
苦しまぎれに呼びかけると
じきそばであのひとの声がした
「あなたが いっぽんの木であればいい
そうすれば伐り倒すことも出来るのに!」
(「千度呼べば」2013年、新潮社。原作のルビは( )で示しました。編者。)
◇
一つの、同じ恋(愛)が続いているのか
また異なる恋なのか
この詩に歌われた愛が「陸橋の上で」と連続する物語であるかどうか
わかるものではありません。
この詩の現在は
この詩の中にあり
ほかの時間が流れ込むことはないと見なすのが自然でしょう。
けれども、詩(人)には、
一つの恋も二つの恋も
同じことなのかもしれませんから
恋・愛の推移(変化)をここに読んでも
差し支えないとも言えるでしょうか。
◇
苦しまぎれ
間の抜けた
さびしい
漠漠とした
むなしく
……といった負のことばが目立ちますが
これらは恋愛の翳(かげ)りを示すものであるよりも
発展(成熟)を物語るものでしょう。
一種のアンニュイを明らかにして隠すことはなく
結末で
伐り倒される運命(さだめ)にあります。
男の願望に出くわして
驚いている様子でもありません。
◇
はじめ
こだまはまったく女と同じ言葉(思い)を返し
やがては
まったく異なる言葉を変奏して応じます。
この一体感の思いがけない(?)変化は
女性を失望させたのでしょうか?
それも恋のうちと思わせたのでしょうか?
男と女の違いといえるものまでを
この詩はとらえています。
◇
この詩が
鬼ごっことネーミングされたのは
恋であっても
成熟した男女の夢芝居のような。
「陸橋の上で」から
幾らかの時間が流れたことを告げる詩です。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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