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2016年12月 6日 (火)

新川和江・抒情の源流/「鬼ごっこ」の成熟

 

 

「鬼ごっこ」は

自選(愛の)詩集「千度呼べば」の中では

「陸橋の上で」の一つ前に置かれています。

 

現代詩文庫64「新川和江詩集」では

「比喩でなく」に発表されたことがわかりますから

1960年代後期、40歳前の制作と想像できます。

 

 

鬼ごっこ

 

「あなたは霧? 風? それともけむり?」

苦しまぎれに呼びかけると

遠くのほうから

あのひとの声がかえって来た

「あなたは霧? 風? それともけむり?」

 

なんという 間の抜けた

さびしい鬼ごっこ!

わたしたちはどちらも目隠しをして

相手をつかまえようと

漠漠とした霧の中に

手ばかりむなしく泳がせているのだった

 

「あなたが いっぽんの木であればいい

そうすれば つかまって泣くことも出来るのに!」

苦しまぎれに呼びかけると

じきそばであのひとの声がした

「あなたが いっぽんの木であればいい

そうすれば伐り倒すことも出来るのに!」

 

(「千度呼べば」2013年、新潮社。原作のルビは( )で示しました。編者。)

 

 

一つの、同じ恋(愛)が続いているのか

また異なる恋なのか

この詩に歌われた愛が「陸橋の上で」と連続する物語であるかどうか

わかるものではありません。

 

この詩の現在は

この詩の中にあり

ほかの時間が流れ込むことはないと見なすのが自然でしょう。

 

けれども、詩(人)には、

一つの恋も二つの恋も

同じことなのかもしれませんから

恋・愛の推移(変化)をここに読んでも

差し支えないとも言えるでしょうか。

 

 

苦しまぎれ

間の抜けた

さびしい

漠漠とした

むなしく

……といった負のことばが目立ちますが

これらは恋愛の翳(かげ)りを示すものであるよりも

発展(成熟)を物語るものでしょう。

 

一種のアンニュイを明らかにして隠すことはなく

結末で

伐り倒される運命(さだめ)にあります。

 

男の願望に出くわして

驚いている様子でもありません。

 

 

はじめ

こだまはまったく女と同じ言葉(思い)を返し

やがては

まったく異なる言葉を変奏して応じます。

 

この一体感の思いがけない(?)変化は

女性を失望させたのでしょうか?

 

それも恋のうちと思わせたのでしょうか?

 

男と女の違いといえるものまでを

この詩はとらえています。

 

 

この詩が

鬼ごっことネーミングされたのは

恋であっても

成熟した男女の夢芝居のような。

 

「陸橋の上で」から

幾らかの時間が流れたことを告げる詩です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

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