中原中也が「四季」に寄せた詩/「むなしさ」のわれ
「むなしさ」は
「四季」の1935年(昭和10年)3月号に発表されたのが初出。
「去年の雪」を詩集タイトル案としていた時には
冒頭に配置する予定でした。
詩集タイトルが「在りし日の歌」と最終決定した後
「含羞」が冒頭詩とされ
「むなしさ」は2番詩になりました。
◇
むなしさ
臘祭(ろうさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
心臓はも 条網(じょうもう)に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなぢ)も露(あら)わ
よすがなき われは戯女(たわれめ)
せつなきに 泣きも得せずて
この日頃 闇(やみ)を孕(はら)めり
遐(とお)き空 線条(せんじょう)に鳴る
海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)
白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(かべん)
凍(い)てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集(つど)い
それらみな ふるのわが友
偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)そも
胡弓(こきゅう)の音(ね) つづきてきこゆ
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)
◇
第3連、
明けき日の 乙女の集(つど)い
それらみな ふるのわが友
――とあるのは
新年の集いに参じた戯女たちは
みな古くからの友だちである、という意味ですが
強い口調で断言しているところに味わいがあります。
第1連で、
よすがなき われは戯女(たわれめ)
――と、これも体言止めで断定したわれは
戯女であるとともに
詩人自身ですから
詩人は戯女になりきって
この詩を歌っていることになります。
◇
中也は「四季」にこの詩を寄せ
「四季」はこの詩を受け入れた
――ということを思うだけで緊迫してくるものがあります。
◇
中途ですが
今回はここまで。
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