カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時 | トップページ | 新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時・その3 »

2016年12月 9日 (金)

新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時・その2

 

 

「井の頭公園」で

「巨きな美しい樹」が比喩するものは

愛の形ということでしょうか。

 

世間が認める愛の形でしょうか。

 

この愛は

ゆるされぬ愛だったのでしょうか。

 

 

詩集「千度呼べば」をめくり返してみると、

 

わたしたちの間は恋にならなかった

ゆるされぬ恋

去年(こぞ)の恋

恋を手放した瞬間

ひとつやねのしたにすめない

ありふれた愛のかたちをとることもできず

恋の終りの日

……などという詩語が現れます。

 

 

詩集のはじめの方――。

 

1番詩「名」では、

 

飽かず呼ぶ あなたの名を

はるかな空の下の

面影しのび

――とあり

 

2番詩「その名でいっぱい」では、

 

呼べば いちどきにこぼれてしまいそうなので

こわくて わざとむっつりしているのを

――とあり

 

3番詩「おしえてあげる」では、

 

きのう

だれもいないときに

むらさきの耳のひとつひとつに

こっそり聞かせて

あげましたから

――などとあるように

恋は他人に知られてはならない

秘密のことでした。
 

誰にも触れて欲しくないという

純愛感情であると同時に

世間に知られては都合のよくない

秘密の愛のようなものでした。

 

 

「井の頭公園」では、

 

あいかわらず 

すこし 距離をおいて

 

――この二人は歩いていくのですが

もはや

巨きな美しい樹(のよしあし)にはこだわらないということでしょうか。

 

こだわっている時ではないということでしょうか。

 

巨きな樹であれば

もはやそれでよいのです。

 

それで十分に

満足できるようになったのかはわかりませんが、

 

キスする筈だった

ままごとをする筈だった

みの虫みたいにブランコする筈だった

――というのは叶えられなかった希望だったことを受け止めています。

 

静かに受け止めるのです。

 

悔いている時ではない、と言わんばかりに。

 

 

静かな態度でもって

なぜこうも

相手をも自分をも受け止められるのでしょう。

 

愛することの

永遠の謎(なぞ)のようなものが見えるような気がしてきます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

 

« 新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時 | トップページ | 新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時・その3 »

121新川和江・抒情の源流」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時 | トップページ | 新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時・その3 »