新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時・その2
「井の頭公園」で
「巨きな美しい樹」が比喩するものは
愛の形ということでしょうか。
世間が認める愛の形でしょうか。
この愛は
ゆるされぬ愛だったのでしょうか。
◇
詩集「千度呼べば」をめくり返してみると、
わたしたちの間は恋にならなかった
ゆるされぬ恋
去年(こぞ)の恋
恋を手放した瞬間
ひとつやねのしたにすめない
ありふれた愛のかたちをとることもできず
恋の終りの日
……などという詩語が現れます。
◇
詩集のはじめの方――。
1番詩「名」では、
飽かず呼ぶ あなたの名を
はるかな空の下の
面影しのび
――とあり
2番詩「その名でいっぱい」では、
呼べば いちどきにこぼれてしまいそうなので
こわくて わざとむっつりしているのを
――とあり
3番詩「おしえてあげる」では、
きのう
だれもいないときに
むらさきの耳のひとつひとつに
こっそり聞かせて
あげましたから
――などとあるように
恋は他人に知られてはならない
秘密のことでした。
誰にも触れて欲しくないという
純愛感情であると同時に
世間に知られては都合のよくない
秘密の愛のようなものでした。
◇
「井の頭公園」では、
あいかわらず
すこし 距離をおいて
――この二人は歩いていくのですが
もはや
巨きな美しい樹(のよしあし)にはこだわらないということでしょうか。
こだわっている時ではないということでしょうか。
巨きな樹であれば
もはやそれでよいのです。
それで十分に
満足できるようになったのかはわかりませんが、
キスする筈だった
ままごとをする筈だった
みの虫みたいにブランコする筈だった
――というのは叶えられなかった希望だったことを受け止めています。
静かに受け止めるのです。
悔いている時ではない、と言わんばかりに。
◇
静かな態度でもって
なぜこうも
相手をも自分をも受け止められるのでしょう。
愛することの
永遠の謎(なぞ)のようなものが見えるような気がしてきます。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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