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« 新川和江・抒情の源流/「鬼ごっこ」の成熟 | トップページ | 新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時・その2 »

2016年12月 8日 (木)

新川和江・抒情の源流/「井の頭公園」の時の時

 

 

「千度呼べば」の最終詩の前に置かれた詩は

固有の地名がタイトルになりました。

 

2013年発行のアンソロジーですから

制作順に配列されているとは限らないでしょうが

この詩が最近作の一つであることを想像しても

外れていないはずです。

 

 

井の頭公園

 

巨きな

美しい樹を見つけたら

その下で

はじめてのキスを

する筈だった その人と

 

巨きな

美しい樹を見つけたら

その下に茣蓙(ござ)をしいて

お茶わんとお箸をならべ

ままごとを

する筈だった その人と

 

巨きな

美しい樹を見つけたら

振りのいい枝に二つ なわをかけて

みの虫みたいに

並んで風に吹かれても

よいとさえ思った その人と

 

樹のことなど

どちらももう 言い出さずに

それでも会って

巨きな樹のある公園を 歩いている

あいかわらず

すこし 距離をおいて

 

(「千度呼べば」2013年、新潮社。原作のルビは( )で示しました。編者。)

 

 

この詩が

地名を冠したのには

理由があるでしょうか。

 

理由があるとしたら

どのような理由でしょうか。

 

詩に歌われた場所が

歌われた内容と無関係であるはずもなく

その場所であるゆえに歌われたのだとしたら

この公園は井の頭公園でなければならなかったのでしょうか。

 

 

最終連で、

 

樹のことなど

どちらももう 言い出さずに

それでも会って

――と歌ったのは

巨きな美しい樹への共同の夢が

ついに実現されなかった今

そのことをとやかく口にすることを控えるこころを互いに通わせ

それでも会っているだけの満ち足りたこころを

歌うようです。

 

手を握るでもなく

寄り添うでもなく

あれがないこれがないなどとは言わずに

ただ井の頭公園の道を歩いているだけでよいのです。

 

そこは

巨きな樹のある公園ですから。

 

 

恋は幻に終わったのでしょうか?

 

幻の恋に諦めをつけたのでしょうか?

 

 

そうとは言えない充実感みたいなものが流れる

その時の時が伝わってくるようです。

 

その時には

あのひとやあなたではなく

その人が傍らを距離をおいて歩いています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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