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2017年1月 2日 (月)

中原中也が「四季」に寄せた詩/「帰郷」に吹く風

 

中原中也が「四季」に詩を初めて発表したのは

1933年(昭和8年)の夏号(7月20日発行)。



「四季」夏号というのは

春夏2号で終わった季刊「四季」の後(あと)の号で

第1次「四季」と呼ばれています。

 

「帰郷」「逝く夏の歌」「少年時」の3篇が

同時の発表でした。

 

 

帰 郷

 

柱も庭も乾いている

今日は好(よ)い天気だ

    椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が

    心細そうに揺れている

 

山では枯木も息を吐(つ)く

ああ今日は好い天気だ

    路傍(みちばた)の草影が

    あどけない愁(かなし)みをする

 

これが私の故里(ふるさと)だ

さやかに風も吹いている

    心置(こころおき)なく泣かれよと

    年増婦(としま)の低い声もする

 

ああ おまえはなにをして来たのだと……

吹き来る風が私に云(い)う

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

 

この時期、「山羊の歌」は

本文のみ印刷されたものの

表紙など装丁、製本は出来ていない状態でした。

 

出版社も決まっておらず

発行されていなかったのです。

 

 

終連に、

ああ おまえはなにをして来たのだと……

吹き来る風が私に云(い)う

――とある風は

第1詩集の発行もならない

この頃の心境と重なりますが

この状態は長く続いています。

 

「帰郷」は

1928年(昭和3年)に

音楽集団「スルヤ」の機関紙に掲載され

「スルヤ」第5回発表演奏会(1930年5月7日)で

バリトン独唱、長井維理(ういり)

ピアノ、内海誓一郎

チェロ、民谷宏で演奏されています。

(同上書解題篇。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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