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2017年1月28日 (土)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/「正午」/三好達治の否定と肯定・その3

 

3番目に三好達治が読むのは

「在りし日の歌」最終詩の二つ手前に配置された「正午」です。

 

 

正 午

       丸ビル風景

  

ああ12時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

月給取(げっきゅうとり)の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振って

あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口

空はひろびろ薄曇(うすぐも)り、薄曇り、埃(ほこ)りも少々立っている

ひょんな眼付(めつき)で見上げても、眼を落としても……

なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな

ああ12時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口

空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かな、洋数字に変えました。編者。)

 

 

いったい、三好達治は

ほめているのか、けなしているのか

よくわからないところがあるのですが

何度も何度もじっくり読んでいると

言わんとしていることが見えてくるのは

文体のせいでもあるようです。

 

そういう文体なのです。

 

一つの文(センテンス)が長いのは

「源氏物語」以来(?)の伝統の一方の峰(みね)ですから

そういう文体に慣れれば

それほど苦になりません。

 

根気よく読んでいきましょう。

 

「正午」については

三つのセンテンスで作品を読んでいます。

 

最後の一つは

次の「老いたる者をして」の読みの中にわずかに触れられるものですから

二つのセンテンスを読めば済みますし

この二つのうち、一つ目は単文構造ですから

意味明瞭です。

 

一つ目は次のような文です。

 

 

中原君の作品に一貫して繰かへされる絶望的な虚無感、居ても立ってもゐられない虚無的な哀傷感は、この作品などに最も露骨に現れてゐる。
 
(筑摩書房「三好達治全集」第5巻より。)

 

 

中也作品に一貫している虚無感、虚無的な哀傷感(=主語)が

この作品「正午」には露骨に現われている(=述語)

――という読みは

「正午」の核心をズバリ突いていて

寸分の狂いもないと言えるでしょうが

ここに「露骨に」という副詞が

次のセンテンスへの導きになっています。

 

三好は

露骨であることの過剰さみたいなことを

一つ目の文の中に匂わせているのです。

 

そして、次の文が続きます。

 

 

それは、一種諧謔的な手法で歌われてゐるかのやうに見うけられるが、常に彼の場合には、実はそれが大真面目の真骨頂以外のものでないのは、たとへば、最後の1行「空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな」の結語の余韻によって明であらう。

 

(同上書。)
 

 

それは=虚無的な哀傷感が露骨に現れていること

――を主語と取れば

述語は、「明であらう」です。

 

最後の1行「空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな」が放つ余韻が

それを明らかにしている

――と説明します。
 

 

この余韻が露骨であると

三好達治は感じたのでしょう。

 

それを、次に取り上げる「老いたる者をして」に触れる三つ目の文で
「かくも主題の露骨なるもの」と
明記していますし
二つ目の文でも

諧謔的な手法のようで(そうではなく)

実は大真面目の真骨頂、と述べているのです。

 

その感じ方に

鋭さがあり正確さがありますが。

 

 

「正午」という詩の魅力は

こういう感じ方、こういう読みで

損なわれるものではありません、よね。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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