中原中也が「四季」に寄せた詩/「夏の夜に覚めて見た夢」/三好達治の否定・その2
「夏の夜に覚めて見た夢」は「四季」1935年(昭和10年)10月号に発表されましたが
三好達治が、帝国大学新聞1938年(昭和13年)5月23日号に載せた批評は
ボロクソの酷評でした。
「ぶつくさ」の題で掲載された
その一部を読みましょう。
◇
こんな風のレアリズムを、主観のとぼけた対象への捕はれ方を、私はやはり非詩として、根こそぎの否定を以て否定しないではゐられない。
「在りし日の歌」の著者は、その異常な体質と、その異常に執拗な探究力とで、まことに奇異な詩的世界まで踏みこんだ詩人だつたが、彼にはつひに最後まで、極めて初歩的な認識不足――外部からは窺知しがたい宿命的な、それが彼の長所でもあつた不思議に執拗な独断に根ざした、その認識不足からつひに救はれずに終つたやうである。
(筑摩書房「三好達三全集」第4巻より。読みやすくするために、改行を加えてあります。編者。)
◇
「夏の夜に目覚めて見た夢」が
このようなレアリズムで書かれ
(そのレアリズムは)
主観的であるだけの(一辺倒の)とぼけた(眼差し)の
対象への捕われ方は(およそレアリズムとは言えないし)
(そうならば)詩ではない、非詩であり
(私はこのような詩を)根こそぎ否定する
否定しないではいられない
――というような意味でしょうか。
三好達治の文章は
時に長文に及ぶことがあり
主述が見極めがたくなったり
主副の優劣関係が不明だったり
副詞句の中に本意が述べられていたりするので
パラフレーズすることは難しく
危険でもありますが
わかりやすくするためにこのように読んでみました。
次に続く文章はやや長文ですけれど
副詞句は主述を説明していて意味は明瞭です。
「在りし日の歌」の著者は=主
つひに救はれずに終つたやうである。=述
――という構文の中に
長い副詞句が挟められても
その副詞句は述部を詳しく説明しているに過ぎません。
◇
その異常な体質
その異常に執拗な探究力
まことに奇異な詩的世界まで踏みこんだ詩人
最後まで、極めて初歩的な認識不足
それは外部からは窺知しがたい宿命的な、
それは彼の長所でもあつた
不思議に執拗な独断に根ざした
その認識不足
――が説明しているのは
認識不足という一事です。
一点だけ
長所とされているところがあり
ここは読み過ごせないところですが。
その異常な体質
その異常に執拗な探究力
まことに奇異な詩的世界
――というところも高評価と言えなくはなさそうですが
全体が否定の中に閉ざされます。
◇
三好達治は「夏の夜に覚めて見た夢」の詩(人)を
認識不足の詩(人)
――と読んでいるのです。
だから、これは詩ではない、非詩である
根こそぎ否定せざるを得ない
――というのです。
◇
これでは中也は救いようがありません。
夏の夜に目覚めて
その日の昼に見た(ラジオで聞いたか?)野球試合のシーンがよみがえるのですが
ゲームの終わった球場の怖いほどの静寂。
周辺のポプラの並木は青々として風にひるがえり
蝉しぐれはいっこうに止まない。
生命の饗宴(狂騒)はいつもながらで
やれやれという心は
リアルに生じるならいでしたが
その映像を夜の夜中に見たのでした。
◇
……。
◇
だが待てよ。
三好達治は
何か理解できないものの出現に驚き
ある種の怖れを抱いたのではあるまいか。
それを否定するために
根こそぎ否定しなければならなくなったのではないか。
――などと、善意に解釈することもできるかな、なんて思ってみますが。
やっぱり、「測量船」の詩人ですから
測らなければ済まない詩人だったのですから
少しでも計算できないものがあると
もはや計算不能として退けるしかなかったのか、なんて思い直します。
◇
帝国大学新聞での発言は
中原中也没後のことですから
中也自身はこれを読んでいません。
同じく中也が生前手にすることのなかった
第2詩集「在りし日の歌」は丁度この頃発行されました。
(4月発行、6月再刊。)
三好達治は
「ぶつくさ」よりもずっとずっと丁寧な「在りし日の歌」の批評を
1938年(昭和13年)9月号「文学界」に寄せます。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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