中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/「老いたる者をして」/三好達治の否定と肯定・その4
「正午」批評の3番目のセンテンス(文)は
次の「老いたる者をして」の批評の導入部の副詞句に組み込まれます。
「かくも主題の露骨なるものよりも」と「正午」よりは
これから読む「老いたる者をして」のほうが好ましいことを述べるのです。
◇
老いたる者をして
――「空しき秋」第十二――
老(お)いたる者をして静謐(せいひつ)の裡(うち)にあらしめよ
そは彼等(かれら)こころゆくまで悔(く)いんためなり
吾(われ)は悔いんことを欲(ほっ)す
こころゆくまで悔ゆるは洵(まこと)に魂(たま)を休むればなり
ああ はてしもなく涕(な)かんことこそ望ましけれ
父も母も兄弟(はらから)も友も、はた見知らざる人々をも忘れて
東明(しののめ)の空の如(ごと)く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗(こばた)の如く涕かんかな
或(ある)はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入(い)り、野末(のずえ)にひびき
海の上(へ)の風にまじりてとことわに過ぎゆく如く……
反 歌
ああ 吾等怯懦(われらきょうだ)のために長き間(あいだ)、いとも長き間
徒(あだ)なることにかからいて、涕くことを忘れいたりしよ、げに忘れいたりしよ……
〔空しき秋二十数篇は散佚(さんいつ)して今はなし。その第十二のみ、諸井三郎の作曲によりて残りしものなり。〕
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。原文の「はたなびく」の傍点は” ”で替えました。編者。)
◇
哀傷の詩魂が内に高まり顫動して、
外には温雅な詩語の美衣をまとつた作風を最も喜ぶ
――と「老いたる者をして」に高得点をつけます。
「老いたる者をして」はよく知られるように
北沢時代の若き中也が
懐(ふところ)に入れて持ち歩き
友人知人に読ませたりしているうちに紛失してしまった20篇近くの連作詩の
一つだけ残った1篇です。
三好達治は
中也が紛失してしまった多くの詩篇のことを思い
中也にとってこの上もなく遺憾なことという感想を加えます。
取り上げた4篇の詩の中で
もっとも高く評価したのが
この「老いたる者をして」でした。
間然とするところのない出来栄えである
――と1行、断言して批評の結語とします。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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