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2017年1月29日 (日)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/「老いたる者をして」/三好達治の否定と肯定・その4

 

「正午」批評の3番目のセンテンス(文)は

次の「老いたる者をして」の批評の導入部の副詞句に組み込まれます。

 

「かくも主題の露骨なるものよりも」と「正午」よりは

これから読む「老いたる者をして」のほうが好ましいことを述べるのです。

 

 

老いたる者をして

    ――「空しき秋」第十二――

 

老(お)いたる者をして静謐(せいひつ)の裡(うち)にあらしめよ

そは彼等(かれら)こころゆくまで悔(く)いんためなり

 

吾(われ)は悔いんことを欲(ほっ)す

こころゆくまで悔ゆるは洵(まこと)に魂(たま)を休むればなり

 

ああ はてしもなく涕(な)かんことこそ望ましけれ

父も母も兄弟(はらから)も友も、はた見知らざる人々をも忘れて

 

東明(しののめ)の空の如(ごと)く丘々をわたりゆく夕べの風の如く

はたなびく小旗(こばた)の如く涕かんかな

 

或(ある)はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入(い)り、野末(のずえ)にひびき

海の上(へ)の風にまじりてとことわに過ぎゆく如く……

 

   反 歌

 

ああ 吾等怯懦(われらきょうだ)のために長き間(あいだ)、いとも長き間

徒(あだ)なることにかからいて、涕くことを忘れいたりしよ、げに忘れいたりしよ……

 

〔空しき秋二十数篇は散佚(さんいつ)して今はなし。その第十二のみ、諸井三郎の作曲によりて残りしものなり。〕

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。原文の「はたなびく」の傍点は で替えました。編者。)

 

 

哀傷の詩魂が内に高まり顫動して、

外には温雅な詩語の美衣をまとつた作風を最も喜ぶ

――と「老いたる者をして」に高得点をつけます。

 

「老いたる者をして」はよく知られるように

北沢時代の若き中也が

懐(ふところ)に入れて持ち歩き

友人知人に読ませたりしているうちに紛失してしまった20篇近くの連作詩の

一つだけ残った1篇です。

 

三好達治は

中也が紛失してしまった多くの詩篇のことを思い

中也にとってこの上もなく遺憾なことという感想を加えます。

 

取り上げた4篇の詩の中で

もっとも高く評価したのが

この「老いたる者をして」でした。

 

間然とするところのない出来栄えである

――と1行、断言して批評の結語とします。

 

 

途中ですが 

今回はここまで。

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