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« 「中原中也詩集」をNHK「100分De名著」が解読 | トップページ | 中原中也が「四季」に寄せた詩・追補/立原道造との交感「或る不思議なよろこびに」 »

2017年1月 7日 (土)

中原中也が「四季」に寄せた詩・追補/立原道造との交感「無題」

 

 

中原中也は自ら書いた小自伝「詩的履歴書」に、

昭和七年、「四季」第二夏号に詩三篇を掲載。

――と記録しています。

 

この3篇が

これまで読んできた

「帰郷」「逝く夏の歌」「少年時」のことです。

 

 

昭和7年とは、1932年のことですが

昭和5年の「白痴群」廃刊を記して「以後雌伏」と書き留めた後に

「四季」に詩を発表したことを記しているのは

詩人にとってそれが大きな詩的なキャリア(履歴)であったからでしょう。

 

この「詩的履歴書」は

1934年(昭和9年)に書かれた「芸術論覚書」に収められています。

 

 

中原中也の作品(詩や評論を含めて)は

どのように「四季」の人々に受け止められたのでしょうか?

 

萩原朔太郎と三好達治の

相反する中原中也評は広く知られますし

堀辰雄や丸山薫らの親密な姿勢は

よく聞かれるところですが

「四季」に参じる若手詩人たちは

どうだったのでしょうか?

 

その一つのケースとしての

立原道造と中原中也の交流・交感の軌跡は

近年、とみに話題になることが多くなっています。

 

そのあたりを

少し探ってみましょう。

 

 

中原中也「山羊の歌」に「無題」というタイトルの詩があります。

 

この詩を

立原道造はどのような経緯で読んだのか。

 

まずは「無題」を読みましょう。

 

 

無 題

 

 

こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに、

私は強情だ。ゆうべもおまえと別れてのち、

酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝

目が覚めて、おまえのやさしさを思い出しながら

私は私のけがらわしさを歎(なげ)いている。そして

正体もなく、今茲(ここ)に告白をする、恥もなく、

品位もなく、かといって正直さもなく

私は私の幻想に駆られて、狂い廻(まわ)る。

人の気持ちをみようとするようなことはついになく、

こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに

私は頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!

目が覚めて、宿酔(ふつかよい)の厭(いと)うべき頭の中で、

戸の外の、寒い朝らしい気配(けはい)を感じながら

私はおまえのやさしさを思い、また毒づいた人を思い出す。

そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、

今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みずか)ら信ずる!

 

 

彼女の心は真(ま)っ直(すぐ)い!

彼女は荒々しく育ち、

たよりもなく、心を汲(く)んでも

もらえない、乱雑な中に

生きてきたが、彼女の心は

私のより真っ直いそしてぐらつかない。

 

彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に

彼女は賢くつつましく生きている。

あまりにわいだめもない世の渦(うず)のために、

折(おり)に心が弱り、弱々しく躁(さわ)ぎはするが、

而(しか)もなお、最後の品位をなくしはしない

彼女は美しい、そして賢い!

 

甞(かつ)て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめていたかは!

しかしいまではもう諦めてしまってさえいる。

我利(がり)々々で、幼稚な、獣(けもの)や子供にしか、

彼女は出遇(であ)わなかった。おまけに彼女はそれと識らずに、

唯(ただ)、人という人が、みんなやくざなんだと思っている。

そして少しはいじけている。彼女は可哀想(かわいそう)だ!

 

 

かくは悲しく生きん世に、なが心

かたくなにしてあらしめな。

われはわが、したしさにはあらんとねがえば

なが心、かたくなにしてあらしめな。

 

かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ)

魂に、言葉のはたらきあとを絶つ

なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの

うまし夢、またそがことわり分ち得ん。

 

おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて

悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む

わが世のさまのかなしさや、

 

おのが心におのがじし湧(わ)きくるおもいもたずして、

人に勝(まさ)らん心のみいそがわしき

熱を病(や)む風景ばかりかなしきはなし。

 

 

私はおまえのことを思っているよ。

いとおしい、なごやかに澄んだ気持の中に、

昼も夜も浸っているよ、

まるで自分を罪人ででもあるように感じて。

 

私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。

いろんなことが考えられもするが、考えられても

それはどうにもならないことだしするから、

私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。

 

またそうすることのほかには、私にはもはや

希望も目的も見出せないのだから

そうすることは、私に幸福なんだ。

 

幸福なんだ、世の煩(わずら)いのすべてを忘れて、

いかなることとも知らないで、私は

おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!

 

Ⅴ 幸福

 

幸福は厩(うまや)の中にいる

藁(わら)の上に。

幸福は

和(なご)める心には一挙にして分る。

 

  頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、

   せめてめまぐるしいものや

  数々のものに心を紛(まぎ)らす。

   そして益々(ますます)不幸だ。

 

幸福は、休んでいる

そして明らかになすべきことを

少しづつ持ち、

幸福は、理解に富んでいる。

 

  頑なの心は、理解に欠けて、

   なすべきをしらず、ただ利に走り、

   意気銷沈(いきしょうちん)して、怒りやすく、

   人に嫌われて、自(みずか)らも悲しい。

 

されば人よ、つねにまず従(したが)わんとせよ。

従いて、迎えられんとには非ず、

従うことのみ学びとなるべく、学びて

汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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