中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/「湖上」/三好達治の否定と肯定・その2
詩集「在りし日の歌」の紹介をかねて
中原中也の詩風についての私見を述べる
――という意図で書かれた「詩集『在りし日の歌』」(文学界1938年9月号)で
三好達治が2番目に読むのは「湖上」です。
◇
湖 上
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
沖に出たらば暗いでしょう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音(ね)は
昵懇(ちか)しいものに聞こえましょう、
――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。
月は聴き耳立てるでしょう、
すこしは降りても来るでしょう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでしょう。
あなたはなおも、語るでしょう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩(も)らさず私は聴くでしょう、
――けれど漕(こ)ぐ手はやめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう、
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)
◇
この「湖上」については
わずかな感想をしか記しません。
それも、肯定の評価です。
評価というより
好きだ、と言っているだけのようです。
三好の言葉をそのまま引いておきます。
◇
処々に稚拙なくだりは見つかるにしても、私はこのやうな作品を、彼の作品中でも特に愛誦するものである。
◇
ここでは
稚拙な詩句(くだり)はあるにしても
口ずさんでみて楽しい、というほどの気持ちを述べて
作品論には踏み込みません。
安心して読んでいられる範囲である、というような
ニュアンスが感じられますが
愛誦されるというのは
詩にとって最高の賛辞であるとも言えますし
ここにイロニーは含まれていないのかもしれません。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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