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2017年1月14日 (土)

中原中也が「四季」に寄せた詩/「独身者」と立原道造「或る不思議なよろこびに」

 

中也が「独身者」を発表したのは

「四季」1936年(昭和11年)6月号。

 

同じ号に立原道造が

「或る不思議なよろこびに」と

「旅人の夜の歌」の2篇を載せています。

 

 

独身者

 

石鹸箱(せっけんばこ)には秋風が吹き

郊外と、市街を限る路(みち)の上には

大原女(おはらめ)が一人歩いていた

 

――彼は独身者(どくしんもの)であった

彼は極度の近眼であった

彼は“よそゆき”を普段に着ていた

判屋奉公(はんやぼうこう)したこともあった

 

今しも彼が湯屋(ゆや)から出て来る

薄日(うすび)の射してる午後の三時

石鹸箱には風が吹き

郊外と、市街を限る路の上には

大原女が一人歩いていた

  

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。原文の「よそゆき」は傍点がふられていますが、“ ”に替えました。編者。)

 

 

立原道造の「或る不思議なよろこびに」のエピグラフは

中原中也の「無題に」(もしくは「詩友に」)からの引用ですから

「四季」に発表されていない「無題」を

立原道造はどのようにして読んだのか。

 

依然として不明ですが

「独身者」が「四季」に発表されたころには

中也は「四季」の同人でしたし

「四季」の会(同人会)で初対面した後ですから

何らかの直接的な交流があったのかもしれません。

 

この間に実際の交流がなかったとしても

立原道造はこの号で、

 

戸の外の、寒い朝らしい気配を感じながら

            私はおまへのやさしさを思ひ……

                      ――中原中也の詩から

 

――というエピグラフを付した

「或る不思議なよろこびに」を発表したのです。

 

発表に先立って

なんらかの通信があって普通ですが

たとえなかったとしても

発表後に交信がなかったことは考えられません。

 

 

「独身者」と

「或る不思議なよろこびに」と「旅人の夜の歌」と。

 

これらの作品ばかりか

すでに2人の詩人が「四季」に発表した詩は相当数ありましたから

話題には事欠かなかったはずでした。

 

直接交信の形跡はしかし

ほとんど見つかっていません。

 

 

 

途中ですが 

今回はここまで。

 

 

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