中原中也が「四季」に寄せた詩/「独身者」と立原道造「或る不思議なよろこびに」
中也が「独身者」を発表したのは
「四季」1936年(昭和11年)6月号。
同じ号に立原道造が
「或る不思議なよろこびに」と
「旅人の夜の歌」の2篇を載せています。
◇
独身者
石鹸箱(せっけんばこ)には秋風が吹き
郊外と、市街を限る路(みち)の上には
大原女(おはらめ)が一人歩いていた
――彼は独身者(どくしんもの)であった
彼は極度の近眼であった
彼は“よそゆき”を普段に着ていた
判屋奉公(はんやぼうこう)したこともあった
今しも彼が湯屋(ゆや)から出て来る
薄日(うすび)の射してる午後の三時
石鹸箱には風が吹き
郊外と、市街を限る路の上には
大原女が一人歩いていた
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。原文の「よそゆき」は傍点がふられていますが、“
”に替えました。編者。)
◇
立原道造の「或る不思議なよろこびに」のエピグラフは
中原中也の「無題に」(もしくは「詩友に」)からの引用ですから
「四季」に発表されていない「無題」を
立原道造はどのようにして読んだのか。
依然として不明ですが
「独身者」が「四季」に発表されたころには
中也は「四季」の同人でしたし
「四季」の会(同人会)で初対面した後ですから
何らかの直接的な交流があったのかもしれません。
この間に実際の交流がなかったとしても
立原道造はこの号で、
戸の外の、寒い朝らしい気配を感じながら
私はおまへのやさしさを思ひ……
――中原中也の詩から
――というエピグラフを付した
「或る不思議なよろこびに」を発表したのです。
発表に先立って
なんらかの通信があって普通ですが
たとえなかったとしても
発表後に交信がなかったことは考えられません。
◇
「独身者」と
「或る不思議なよろこびに」と「旅人の夜の歌」と。
これらの作品ばかりか
すでに2人の詩人が「四季」に発表した詩は相当数ありましたから
話題には事欠かなかったはずでした。
直接交信の形跡はしかし
ほとんど見つかっていません。
◇
途中ですが
今回はここまで。
« 中原中也が「四季」に寄せた詩/「雪の賦」の孤児 | トップページ | 中原中也が「四季」に寄せた詩/「独身者」と立原道造「旅人の夜の歌」 »
「057中原中也と「四季」」カテゴリの記事
- 中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/立原道造の「別離」という追悼(2017.02.03)
- 中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/三好達治の「在りし日の歌」批評・その3(2017.02.01)
- 中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/三好達治の「在りし日の歌」批評・その2(2017.01.30)
- 中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/「老いたる者をして」/三好達治の否定と肯定・その4(2017.01.29)
- 中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/「正午」/三好達治の否定と肯定・その3(2017.01.28)
« 中原中也が「四季」に寄せた詩/「雪の賦」の孤児 | トップページ | 中原中也が「四季」に寄せた詩/「独身者」と立原道造「旅人の夜の歌」 »
コメント