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2017年1月26日 (木)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/三好達治の「在りし日の歌」批評

 

「文学界」1938年(昭和13年)9月号に載せた

三好達治の「詩集『在りし日の歌』」は

A5版9ページにおよぶやや本格的な批評文です。

 

小林秀雄が「文学界」の編集責任者のポストにありましたし

三好達治と仲のよかった河上徹太郎も編集の一員のはずでしたから

中原中也没後すぐに出された「文学界」の追悼号に書けなかった三好に

あらためて書き下しを依頼したものでしょう。

 

中也死去から「文学界」追悼号発行の間

三好達治は雑誌「改造」の仕事で

上海に滞在中でした。

 

冒頭で、そのあたりの事情とともに

中也との生前の交渉が述べられます。

 

 

昨年11月詩友中原中也君は忽然として急逝した。たまたま私は上海方面に旅行中だつたので、彼の病の革つたのも彼の逝去したのも全く知らずにゐた。12月になつて私は東京に帰つてきたが、つひに機会を失して今日まで私は彼のために一篇の追悼文も書かずにゐる。

 

さういふせいでもあらう、私には彼がこの世を去つたことが、どうにもぴつたりとした実感として認め難い。拙宅の廊下の隅には、彼に進呈する約束のステッキが1本残つてゐる。そのうちに気紛れな彼が、それを受取りにひよつくり訪ねてきさうな気持ちさへするのである。
 
(筑摩書房「三好達治全集」第5巻より。)

 

 

中也の日記にも三好を訪問したが外出中だったことなどが書かれていますから

会合の席などで言葉を交わすほかに

個人的な接触も二人の間にあったことがわかって

意外な感じがします。

 

小林秀雄や河上徹太郎らの交友圏に

中也は少しづつ進出していたからでしょうか。

 

足が不自由な中也を知っているのですから

鎌倉時代か、

頻繁に上京してはいませんから

新宿・谷町に住んでいたころの付き合いでしょうか。

 

 

私的な関係が批評文の冒頭に明かされるというのは

これが追悼文であったせいでしょうが

詩の鑑賞になると

三好の筆先は険しく硬くなります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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