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2017年1月26日 (木)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/「六月の雨」/三好達治の否定と肯定

 

 

三好達治が「詩集『在りし日の歌』」で取り上げる詩は

六月の雨

湖上

正午

老いたる者をして――「空しき秋」第十二――

――の4作品。

 

その詩一つ一つの鑑賞に入る前に

中也作品への総論、詩人論が

否定的な論調の中に展開され

各個の詩は

この総論(詩論・詩人論)の実例として引き出されます。

 

個々の詩への批評は

この総論の中に囲われていくことになりますが

他愛のない、取るに足りないことばかりなのに

三好達治は

その他愛のないことを針小棒大にあげつらいます。

 

詩の調子の乱調とか破調とかの破壊、

同じように、使う詩語、形容詞の破壊について

それが中原中也が意図したものであっても

受け入れられないことを表明します。

 

まるで測量士ででもあるかのように

微細な誤差をも許容しません。

 

 

六月の雨

 

またひとしきり 午前の雨が

菖蒲(しょうぶ)のいろの みどりいろ

眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと)

たちあらわれて 消えてゆく

 

たちあらわれて 消えゆけば

うれいに沈み しとしとと

畠(はたけ)の上に 落ちている

はてしもしれず 落ちている

 

       お太鼓(たいこ)叩(たた)いて 笛吹いて

       あどけない子が 日曜日

       畳の上で 遊びます

 

       お太鼓叩いて 笛吹いて

       遊んでいれば 雨が降る

       櫺子(れんじ)の外に 雨が降る

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩は1936年(昭和11年)7月号の「文学界」誌上で発表になった

第6回文学界賞で選外1席となった作品として有名です。

 

岡本かの子の「鶴は病みき」が受賞し

中也の作品は2位でした。

 

 

この詩単体について

三好達治の指摘するところは

簡単明瞭ですし

むしろ肯定的な評価です。

 

この詩が発表された時には

いまだにこのようにナイーブな作品を書けている詩人の心情を羨ましく感じたし

この詩にはある時期のベルレーヌの作風に通じるものがあると看取したものが

継続されればよいと期待していたものが

今では空しくなった、と述べるのです。

 

そう言いながら

第1連第3行、

眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと)

――を、一種奇妙な調子外れ、と評し

第2行、

菖蒲(しょうぶ)のいろの

――を、菖蒲の色は何も特別ないろではない、という理由で

形容詞の使い方が不可解であることを述べるのですが

それだけのことです。

 

それだけのことが

三好達治には気に入らなかったのですが

それだけのことです。

 

よく読めば

菖蒲(しょうぶ)のいろの みどりいろ

――と中也は歌っているのを理解しないだけです。
 

 

そのように詩語の使い方の不可解さを指摘しただけですが

第3連の、

畳の上で 遊びます

――を、

この作者ならではの、詩眼の特異さが仄見え

何の巧みを弄したわけでもないのに

不思議に切実な実感がある、と褒め上げています。

 

 

「六月の雨」は

眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと)

――と

菖蒲(しょうぶ)のいろの

――とによって

三好達治にNGを出されるのですが

結語としては高評価が下されているということになり

これも意外な感じであり驚きです。

 

 

些細(ささい)と思われるようなところを

三好達治は執拗(しつよう)に過大に言う傾向があるようですが

それがスタイルでした。

 

 

途中ですが 

今回はここまで。

 

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