中原中也が「四季」に寄せた詩/連作詩を構成する「村の時計」
「ゆきてかへらぬ」を「未定稿」として発表して後に
本格的な散文詩4篇を寄せるのは
3か月後の「四季」1937年(昭和12年)2月号誌上でした。
「在りし日の歌」には
結局、「四季」発表の「散文詩四篇」は収録されず
「ゆきてかえらぬ」以外に散文詩は収録されなかったのですが
これは散文詩の可能性を捨てたものではなかったらしい。
このころ、「郵便局」などの散文詩の試みに並行して
「月の光 その一」「その二」など
短詩の連作構成の詩が試みられたりしていて
詩人は「在りし日の歌」以後を見据えた詩作を積み上げはじめた様子です。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰ。)
「村の時計」や「或る男の肖像」は
連作構成の詩の元(原)詩であった例です。
◇
村の時計
村の大きな時計は、
ひねもす動いていた
その字板(じいた)のペンキは
もう艶(つや)が消えていた
近寄ってみると、
小さなひびが沢山にあるのだった
それで夕陽が当ってさえが、
おとなしい色をしていた
時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴った
字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかった
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)
◇
この詩は「四季」発表されたとき
6節で構成された「或る夜の幻想」の第2節でした。
第1節が、「彼女の部屋」
第2節が、「村の時計」
第3節が、「彼女」
第4節が、「或る男の肖像」
第5節が、「無題 ――幻滅は鋼(はがね)のいろ。」
第6節が、「壁」
――といったタイトルの
独立した詩としても読める詩でした。
◇
「村の時計」には
物語のはじまりを告げるような
まだ何もはじまらないような静寂がありますが
6節全体の一部になった途端に
夢のきれはしのような
どこかで見た覚えのある光景がよみがえるような
懐かしさが含まれます。
◇
個別に読んでも成り立つのですが
中原中也はなぜ6節構成の詩にしたのでしょうか。
なぜ新しい試みに挑んだのでしょうか。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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