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2017年1月13日 (金)

中原中也が「四季」に寄せた詩/「雪の賦」の孤児

 

 

1935年(昭和10年)12月号に「青い瞳」

1936年1月号に「除夜の鐘」

2月号に「冷たい夜」

5月号に「雪の賦」

6月号に「独身者」

7月号に「わが半生」

――と中也の「四季」への寄稿が続きますが

内容(モチーフ)を特別に「四季」向けにした様子はありません。

 

色々な顔を見せているのが

「四季」に限らない

中原中也の詩の在りかたと言えるでしょう。

 

とはいうものの

このラインナップには

共通しているものが見えています。

 

 

雪の賦

 

雪が降るとこのわたくしには、人生が、

かなしくもうつくしいものに――

憂愁(ゆうしゅう)にみちたものに、思えるのであった。

 

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、

大高源吾(おおたかげんご)の頃にも降った……

 

幾多(あまた)々々の孤児の手は、

そのためにかじかんで、

都会の夕べはそのために十分悲しくあったのだ。

 

ロシアの田舎の別荘の、

矢来(やらい)の彼方(かなた)に見る雪は、

うんざりする程永遠で、

 

雪の降る日は高貴の夫人も、

ちっとは愚痴(ぐち)でもあろうと思われ……

 

雪が降るとこのわたくしには、人生が

かなしくもうつくしいものに――

憂愁にみちたものに、思えるのであった。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

大高源吾の頃とは、赤穂浪士の討ち入りがあった頃のこと。

 

孤児は、いつの時代にも存在するものですから

大高源吾の時代を含めて今も。

 

ロシアの田舎の別荘は、

ロシア革命を思わせる時代の冬の

限りなく奥深い雪原を見て思いにふける貴婦人の、と。

 

時を超え、場所を超えて

現在、目の当たりにしている雪が

詩人に呼び起こす感情。

 

 

「除夜の鐘」を読んだ続きに

大高源吾が現われ

孤児が現われ

ロシア革命におののく貴婦人が現われます。

 

かなしくも

うつくしくも見えた上に

憂愁にみちたものに思えてくるのは

除夜の鐘の向うに囚人の思いを聞き取ろうとするのに似た

孤児への思いが詩人の胸の内にあったから、ではないか。

 

大高源吾は遠い日のこと、

ロシアの貴婦人は遠い場所のことでありながら

孤児はランボーに登場する

詩人の現在ですし。
 
何よりも

詩人は都会の夕べにいます。
 
かじかんでいるのは

詩人です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

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