新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「小さな風景画」
「睡り椅子」4番目の詩が
「小さな風景画――わかれの歌――」です。
この詩も
歴史的かな遣いで書かれているのは
戦前の作であることを示すか
戦後の国語国字改革以後もいわば惰性で
戦前の歴史的かな遣いの使用に従っていたことを示すか
あるいは
歴史的かな遣いのほうが自作の表記に敵うと考えていたことを示すか
いずれかに相当するでしょうか。
ほかの理由があったかもしれません。
比較的古い作品であることは
間違いないことでしょう。
◇
小さな風景画
――わかれの歌――
みつめてゐると
その額縁はまどのやうに
ふたりの前にひらいてゐるのです
わびしさのきはみの様な此の部屋の
罪の裏さへ晴れやかに明るいのは
どうやら光がそこからさしてゐるためでした
遠い杜の 樹木たちの
一葉(ひとは)一葉が次第にはつきり見えて来て
緑が陽にもえ
はてはよろこびに鳴る葉ずれの音までが
手にとる様に聞こえるのでした
おお涼しい風!
これは彼方の蒼空に生れ
若い樹木たちの間を縫つて
少年の様に口笛を吹きながら流れ込んで来た風
あなたは 靴を
穿いていらつしやるの?
さうでした! さうでした!
あなたもやつぱり画の中の
杜の方からやつていらつしやつたのでした!
おみやげの花束は
あの杜かげに咲いたゆかしい白すみれ
やさしいにほいをそつとのこして
お帰りになつたとて何のふしぎがありませう
泣かないでおわかれしませう
微笑んでさよならしませう
画の中へ
お帰りになるあなた――
あのほそい小径をとほつて
いとしい姿が杜にかくれてしまふのを
見るのがとてもつらいので
わたしはかうして眼をつぶります
さやうなら
さやうなら
(花神社「新川和江全集」所収「睡り椅子」より。)
◇
この詩の語り手は
誰に向かって呼びかけているのでしょうか?
◇
ひらいてゐるのです
さしてゐるためでした
聞こえるのでした
――とある詩の前半部は
相手というより
自分を納得させるため
あるいは
第3者(読者)のために案内しているようにも思わせながら
後半部に入って「あなた」が現われて
あなたへ呼びかけるようになります。
この変化は自然なものですが
この変化は
一つの風景画の中へ
この語り手が没入していく過程でもあります。
読者は自然に
語り手とともに
絵の中の登場人物になり
最後にさようならを言う主人公になります。
◇
風景画を見ている語り手(=詩人)は
いつしか風景画の中の物語に入り込んでしまう――。
現実と非現実の境を
新川和江が
ひょいと乗り越えてしまう瞬間(現場)の一つです。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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