中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/立原道造の「別離」という追悼
立原道造が「別離」を発表したのは
1938年「四季」6月号(5月20日発行)。
中原中也が急逝して半年ほど後のことでした。
◇
ときどきむなしい景色が眼のまへにひらける。僕らはたいへんに雑沓にゐる。しかし、そのときにすら、だれもゐない、倦怠と氷との景色は二重にかさなつて眼のなかにさしこんでゐる。僕らは脅かされ、そして慰められる。「山羊の歌」といふ詩集の題は雑沓にはふさわしくなく、たいへんに素朴に美しい、しかしその詩集もまた雑沓のなかにゐる。詩人の傷ついた淨らかさと、ふかい昏睡と悲しみと幻想と。そのような言葉で名づけられるものを群衆はおそらくはじき去る。そのとき、この本が雑沓のなかにあること、これはイロニイである。山羊の歌はたいへんにむなしい。このイロニイのようなところで倦怠がうたつている。倦怠といふ心のあり方は、その心の上でかなしいリズムや踊りを噛みしめてゐる。
(筑摩書房「立原道造全集」第5巻より。)
◇
これは、「別離」書き出しの1段落です。
歴史的仮名遣いがもどかしいほどに
言葉のモダンなトーンに驚く人は少なくないに違いありません。
誤解を恐れずに言えば
この文体は現代に通じています。
詩人の書いた散文という理由もあるかもしれませんが
言葉に宿る内的なもの――。
追悼の意味もあったのでしょうけれど
中也の内部の声に
語りかけているような
詩人の声(文体)が新鮮です。
別離を告げているにもかかわらず
一時(いっとき)、中也の心を撃ったような。
◇
現代表記で読み直してみましょう。
◇
ときどきむなしい景色が眼のまえにひらける。僕らはたいへんに雑沓にいる。しかし、そのときにすら、だれもいない、倦怠と氷との景色は二重にかさなって眼のなかにさしこんでいる。僕らは脅かされ、そして慰められる。
「山羊の歌」という詩集の題は雑沓にはふさわしくなく、たいへんに素朴に美しい、しかしその詩集もまた雑沓のなかにいる。詩人の傷ついた浄らかさと、ふかい昏睡と悲しみと幻想と。そのような言葉で名づけられるものを群衆はおそらくはじき去る。そのとき、この本が雑沓のなかにあること、これはイロニイである。
山羊の歌はたいへんにむなしい。このイロニイのようなところで倦怠がうたっている。倦怠という心のあり方は、その心の上でかなしいリズムや踊りを噛みしめている。
(同。改行を加えました。編者。)
◇
立原道造が語っているのは
「山羊の歌」の詩人のようです。
その詩人の、傷ついた浄らかさ、深い昏睡と悲しみと幻想とが
雑沓に投げ出されてあり
雑沓の中では群衆に弾き返されてしまうであろうことの
イロニーを語りはじめる胸には
ふるえのようなものがあります。
都会の雑沓に育ち
幾分かそれを忌避して生きてきた詩人の眼差しは
イロニーのようなところで
倦怠を歌うことのむなしさを述べ
「別離」を語り出します。
◇
三好達治が「詩集『在りし日の歌』」を著わし
少し遅れた追悼とした少し前に
「別離」を立原道造は書きました。
何かしら、先を急ぐような詩人のこころがただよう
このエッセイを読みましょう。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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