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2017年2月 3日 (金)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/立原道造の「別離」という追悼

 

立原道造が「別離」を発表したのは

1938年「四季」6月号(5月20日発行)。

 

中原中也が急逝して半年ほど後のことでした。

 

 

ときどきむなしい景色が眼のまへにひらける。僕らはたいへんに雑沓にゐる。しかし、そのときにすら、だれもゐない、倦怠と氷との景色は二重にかさなつて眼のなかにさしこんでゐる。僕らは脅かされ、そして慰められる。「山羊の歌」といふ詩集の題は雑沓にはふさわしくなく、たいへんに素朴に美しい、しかしその詩集もまた雑沓のなかにゐる。詩人の傷ついた淨らかさと、ふかい昏睡と悲しみと幻想と。そのような言葉で名づけられるものを群衆はおそらくはじき去る。そのとき、この本が雑沓のなかにあること、これはイロニイである。山羊の歌はたいへんにむなしい。このイロニイのようなところで倦怠がうたつている。倦怠といふ心のあり方は、その心の上でかなしいリズムや踊りを噛みしめてゐる。

(筑摩書房「立原道造全集」第5巻より。)

 

 

これは、「別離」書き出しの1段落です。

 

歴史的仮名遣いがもどかしいほどに

言葉のモダンなトーンに驚く人は少なくないに違いありません。

 

誤解を恐れずに言えば

この文体は現代に通じています。

 

詩人の書いた散文という理由もあるかもしれませんが

言葉に宿る内的なもの――。

 

追悼の意味もあったのでしょうけれど

中也の内部の声に

語りかけているような

詩人の声(文体)が新鮮です。

 

別離を告げているにもかかわらず

一時(いっとき)、中也の心を撃ったような。

 

 

現代表記で読み直してみましょう。

 

 

ときどきむなしい景色が眼のまえにひらける。僕らはたいへんに雑沓にいる。しかし、そのときにすら、だれもいない、倦怠と氷との景色は二重にかさなって眼のなかにさしこんでいる。僕らは脅かされ、そして慰められる。

 

「山羊の歌」という詩集の題は雑沓にはふさわしくなく、たいへんに素朴に美しい、しかしその詩集もまた雑沓のなかにいる。詩人の傷ついた浄らかさと、ふかい昏睡と悲しみと幻想と。そのような言葉で名づけられるものを群衆はおそらくはじき去る。そのとき、この本が雑沓のなかにあること、これはイロニイである。

 

山羊の歌はたいへんにむなしい。このイロニイのようなところで倦怠がうたっている。倦怠という心のあり方は、その心の上でかなしいリズムや踊りを噛みしめている。

(同。改行を加えました。編者。)

 

 

立原道造が語っているのは

「山羊の歌」の詩人のようです。

 

その詩人の、傷ついた浄らかさ、深い昏睡と悲しみと幻想とが

雑沓に投げ出されてあり

雑沓の中では群衆に弾き返されてしまうであろうことの

イロニーを語りはじめる胸には

ふるえのようなものがあります。

 

都会の雑沓に育ち

幾分かそれを忌避して生きてきた詩人の眼差しは

イロニーのようなところで

倦怠を歌うことのむなしさを述べ

「別離」を語り出します。

 

 

三好達治が「詩集『在りし日の歌』」を著わし

少し遅れた追悼とした少し前に

「別離」を立原道造は書きました。

 

何かしら、先を急ぐような詩人のこころがただよう

このエッセイを読みましょう。

 

 

途中ですが 

今回はここまで。

 

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