立原道造の詩を読む/「暁と夕の詩」の2番詩「やがて秋……」
第1番詩「或る風に寄せて」は
夕ぐれが夜に変るたび
――とすでに夜を歌いました。
おまえは 西風よ みんななくしてしまった と
――とも。
◇
2番詩は季節(とき)を巡らせます。
◇
Ⅱ やがて秋……
やがて 秋が 来るだらう
夕ぐれが親しげに僕らにはなしかけ
樹木が老いた人たちの身ぶりのやうに
あらはなかげをくらく夜の方に投げ
すべてが不確かにゆらいでゐる
かへつてしづかなあさい吐息にやうに……
(昨日でないばかりに それは明日)と
僕らのおもひは ささやきかはすであらう
――秋が かうして かへつて来た
さうして 秋がまた たたずむ と
ゆるしを乞ふ人のやうに……
やがて忘れなかつたことのかたみに
しかし かたみなく 過ぎて行くであらう
秋は……さうして……ふたたびある夕ぐれに――
(岩波文庫「立原道造詩集」より。)
◇
【現代表記】
Ⅱ やがて秋……
やがて 秋が 来るだろう
夕ぐれが親しげに僕らにはなしかけ
樹木が老いた人たちの身ぶりのように
あらわなかげをくらく夜の方に投げ
すべてが不確かにゆらいでいる
かえってしずかなあさい吐息にように……
(昨日でないばかりに それは明日)と
僕らのおもいは ささやきかわすであろう
――秋が こうして かえって来た
そうして 秋がまた たたずむ と
ゆるしを乞う人のように……
やがて忘れなかったことのかたみに
しかし かたみなく 過ぎて行くであろう
秋は……そうして……ふたたびある夕ぐれに――
◇
夕ぐれが僕らにはなしかける。
(――とある僕らとは僕と誰のことでしょうか?)
樹木は夜の方へ遠のいている。
◇
すべてが不確かに揺らいでいるところ。
かえって静かな浅い吐息のような時。
昨日ではない(のがはっきりしているのだから)
明日であるに違いない。
<過ぎ去った時が戻らないということのなかに明日はあるのだから>と
僕らの思いが重なりあう。
◇
秋はここのようにして巡って来た
そうして秋はまたたたずむ。
許しを乞う人のように。
◇
やがて忘れなかったことの形として
形もなく過ぎていく。
秋は再びある夕ぐれに巡りあう。
◇
「暁と夕の詩」は組曲です。
そのことは第2詩集「暁と夕の詩」のために書かれた
詩人自身の名高い覚書に明らかにされています。
詩人はその中でこの詩集のことを
独逸風のフルート曲集と記しています。
◇
第1番詩「やがて秋……」の主役は
夕ぐれ。
――という時間なのかもしれません。
人(の営み)は背景の中に後退し
夕ぐれだけが曲を奏でるかのようです。
◇
つづく。
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