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2017年2月 4日 (土)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/立原道造の「別離」という追悼・その2

 

 

中原中也が鎌倉で絶命したころ

 

立原道造は肋膜炎を発症、

 

11月には信濃追分で静養しますが

 

止宿先の油屋旅館が火災になり

 

九死に一生を得るという災難に見舞われています。

 

 

 

建築事務所での仕事を

 

病をおして続けるなかで

 

堀辰雄論を書き

 

同じ頃に「別離」を書き

 

ともに「四季」6月号へ発表しました。

 

 

 

「別離」第2段落は

 

おそらくはベルレーヌやランボーらをイメージして

 

フランスの詩人が死んだ遠い昨日なら

 

日本の詩人あなた(中也)が死んだのは今日ということで

 

(こうして)二つを並べる無意味さのなかで

 

この文章が書かれたことが吐露されます。

 

 

 

 

 

 

 僕らはフランスの言葉でうたはれた近代の詩のいくつかを嘗て読んだ。あれはフランスの言葉で、

 

これは日本の言葉である。日本の言葉がこんな歌をうたった、つまりひとりの日本の詩人が。

 

フランスのあれらの詩人たちが死んだのはずつと昨日のことである。しかし日本のあなたが死んだのは今日である。僕の今書いた今日といふ言葉は大変に無意味である。そんなばかばかしさで、昨日と今日とを並べて言ふようなところで、この文章を書く。何かしらむなしく、だれかが復讐する。だれよりも先に、あなたが。

(筑摩書房「立原道造全集」第5巻より。)

 

 

 

 

 

 

昨日と今日とを並べるようなところで文章を書くことは

 

とてもむなしく

 

このむなしさを知る人は鋭敏にそれを感じ取り復讐する。

 

 

 

真っ先に復讐するのは詩人よ、あなただ。

 

 

 

 

 

 

立原道造の言おうとするところは

 

わかりやすいものではありません。

 

 

 

詩と散文(エッセイ)の間を

 

区別をしていないような飛躍の中に

 

詩人(中原中也)は今日死んだ、という時の

 

「今日」のあいまいさを

 

詩的に(厳密に?)ただそうとしているからでしょうか。

 

 

 

呼びかける相手が

 

「山羊の歌」の詩人に絞(しぼ)られたとき

 

幾分か馴染みやすい会話を聞いている感じになりますが

 

そもそも復讐という言葉は

 

どこからどのように引き出されてきたのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 心のなかに雨が降つてゐる。そして、詩人は帰郷した。それゆゑここはふるさとであり、「縁側には陽が当る。」そして「幸福は厩の中にゐる、藁の上に。」山羊は倦怠してゐる。「これがどうならうと、あれがどうならうと、そんなことはどうでもいいのだ。」と。詩集のこの前景はどれくらゐの深さの氷にささへられているだらうか。氷山は海のなかに沈んだ部分に水の表面に浮んだ部分の七倍もの容積を持つと言ふ。信じられていい伝説である。このやうなことを伝説とおもはせるのは山羊の歌をよんだあとの心のやうすである。そしてこの詩集の深さは、詩人の傷のふかさほどと言ふ。つまり復讐のはげしさ。何かしらこの世の中は気にいらない。しかし、そのなかに寝ころんでしまつた。あなたの「汚れつちまつた悲しみ」。僕はこの涙の淵の深さに反撥する。イロニイのもうひとつのものの壊し方である。

 

 

 

 

 

 

この段落は現代かなでも読みましょう。

 

改行も加えて。

 

 

 

 

 

 

 心のなかに雨が降っている。そして、詩人は帰郷した。それゆえここはふるさとであり「縁側には陽が当る。」そして「幸福は厩の中にいる、藁の上に。」山羊は倦怠している。「これがどうなろうと、あれがどうなろうと、そんなことはどうでもいいのだ。」と。

詩集のこの前景はどれくらいの深さの氷にささえられているだろうか。氷山は海のなかに沈んだ部分に水の表面に浮んだ部分の7倍もの容積を持つという。信じられていい伝説である。このようなことを伝説とおもわせるのは山羊の歌をよんだあとの心のようすである。

 

 

 

そしてこの詩集の深さは、詩人のふかさほどと言う。つまり復讐のはげしさ。何かしらこの世の中は気にいらない。しかし、そのなかに寝ころんでしまった。あなたの「汚れっちまった悲しみ」。

 

 

 

僕はこの涙の淵の深さに反発する。イロニイのもうひとつのものの壊し方である。

 

 

 

 

 

 

「帰郷」

 

「無題」

 

「盲目の秋」

 

――の一節をそれぞれ引用しますが

 

それは詩人の直観的な(部分的な)読みです。

 

 

 

「盲目の秋」ですらが

 

倦怠の声調が聞き取られた様子です。

 

 

 

そして次には

 

「詩集の前景の氷」に眼差しは向けられ

 

その深さが推し測られ

 

深さは氷山の沈んだ部分にたとえられ

 

この深さは復讐の深さであることが断定されます。

 

 

 

「山羊の歌」の深さが

 

復讐の一語にこうしてシンクロ(同期)していきます。

 

 

 

 

 

 

復讐とは

 

何かしらこの世の中が気にいらない

 

――というルサンチマン(感情)のことと指摘したいらしい。

 

 

 

そのルサンチマンのなかに寝ころんでしまった、のだ。

 

あなたの「汚れっちまった悲しみ」は、と。

 

 

 

 

 

 

詩集の前景(氷山)にあるものを

 

復讐と見た詩人は

 

この涙の淵の深さ(復讐)に反発し

 

自らの詩の方法にも触れようとしていきます。

 

 

 

 

 

 

途中ですが 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

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