立原道造の詩を読む/物語「鮎の歌」結びのソネット「溢れひたす闇に」
「暁と夕の詩」の7番詩「溢れひたす闇に」と物語「鮎の歌」は
「鮎の歌」の結びのソネットとして「溢れひたす闇に」が引用される関係です。
しかし「鮎の歌」には
「溢れひたす闇に」が拾い切れない物語(エピソード)が多量にありますから
単なる要約(ダイジェスト)でないことは言うまでもないことです。
◇
「鮎の歌」は
鮎という女性とのめぐり逢いと別離の顛末(てんまつ)を記した物語ですが
その物語はすでに
「アンリエットとその村」と詩人が名づけた歌物語のパーツを構成していて
それ自体がフィクション(虚構)との境界を見極めがたい部分を含みます。
鮎から結婚するという知らせを受けた「僕」の悲しみから
絶望の日々を経て別離を受け入れ(確認する)までを
6章に渡って綴った散文の物語です。
第5章のシーンを少し読んでみましょう。
◇
前章から続く物語の流れがありますから
部分を取り出して読む危険があるのを
断る必要はないことでしょうか。
前章では
鮎が結婚することを告げてきた手紙を焼き捨てるまでが
描かれていました。
その後、偶然にもか幻だったのか
手紙を焼いた丘を下る道すがら
鮎と出くわした最後の別れシーンになります。
そこで二人が交わす言葉――。
◇
(おこっていらっしゃる?)
(いいえ、ちっとも……)
(……)
(僕は海を見て来た、それはすばらしかった、僕は旅をして来た!)
(私たちは今どんな風にしてお会いしているのか知っていらっしゃらないのね。いいえ、いいえ。なぜそんなおはなしをなさるの?)
(そしてひとつの岬であの花を見た、それはここに咲いているような淡い花ではなかった)
(なぜあなたはおこって下さらない? 私がどうなってしまうかわからないくらいに。それはあなたのやさしさでも何でもなくてよ。なぜあなたは私を見ていらっしゃるのにそんな青い海を見るような眼をなさるのだろう?)
(おまえはきょうもやはり僕があのころしていたように羊飼と娘の物語や星の物語をするのを待っているような眼をしている。しかしもう僕にはそれが出来ない……)
(あなたはなぜほんとうにおこって下さらない? どうしてそんなにしずかに私の方を見ていらっしゃるのですか? 白い鳩が私の肩にとまっているのですか? それとも私をお忘れになってしまったのですか?)
(おまえは死んでいたのだ、だが、死と別れとはちがうだろう。おまえがそんなやさしい眼で僕の眼を見ていても僕の心のなかを覗いていてもおまえはおまえの死はわからないだろう?)
(筑摩書房「立原道造全集」第1巻所収「鮎の歌」より。新かなに変え、改行を加えました。編者。)
◇
この会話の後に
次のように書きつけられています。
◇
やっと僕はしあわせかどうかとたずねた。その答えは、どうかわからない。しあわせなのか……それともふしあわせなのかも知れないと言うのだった。僕は、悲しみのためにあわれにも痩せほそってしまった少女の腕を空想した、それをたしかめたいとおもった。そのとき鮎はちいさい獣のように身がるに身をひるがえして僕のそばを逃れた。鮎の家のまえに僕たちは立っていた。戸が重く開いてまた閉じられた。さよなら! の言葉もなしに。
僕たちは別れた。
◇
次章は最終の第6章で
その末尾に「溢れひたす闇に」が現われます。
◇
つづく。
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