立原道造の詩を読む/「暁と夕の詩」の5番詩「真冬の夜の雨に」
「未成年」は1935年創刊の同人誌で
1936年夏に廃刊になりました。
立原道造も創刊同人として参加していたが
同人の寺田透と立原とが対立したことが廃刊の原因でした。
その「未成年」第6号(1936年5月号)に発表したのが
「真冬の夜の雨に」でしたが
初出は物語「ちひさき花の歌」の「結びのソネット」に引用されました。
その時、副題に
「暁の夕の詩。第5番。」とありました。
(※「暁と夕の詩」の間違いらしいのですが、原文ママとするならいのようです。)
◇
Ⅴ 真冬の夜の雨に
あれらはどこに行つてしまつたか?
なんにも持つてゐなかつたのに
みんな とうになくなつてゐる
どこか とほく 知らない場所へ
真冬の雨の夜は うたつてゐる
待つてゐた時とかはらぬ調子で
しかし帰りはしないその調子で
とほく とほい 知らない場所で
なくなつたものの名前を 耐へがたい
つめたいひとつ繰りかへしで――
それさへ 僕は 耳をおほふ
時のあちらに あの青空の明るいこと!
その望みばかりのこされた とは なぜいはう
だれとも知らない その人の瞳の底に?
(岩波文庫「立原道造詩集」より。)
◇
【現代表記】
Ⅴ 真冬の夜の雨に
あれらはどこに行ってしまったか?
なんにも持っていなかったのに
みんな とうになくなっている
どこか とおく 知らない場所へ
真冬の雨の夜は うたっている
待っていた時とかわらぬ調子で
しかし帰りはしないその調子で
とおく とおい 知らない場所で
なくなったものの名前を 耐えがたい
つめたいひとつ繰りかえしで――
それさえ 僕は 耳をおおう
時のあちらに あの青空の明るいこと!
その望みばかりのこされた とは なぜいおう
だれとも知らない その人の瞳の底に?
◇
第1連
なんにも持っていなかったのに
みんな とうになくなっている
――という
持っていなかったのに、なくなっている
――齟齬(そご)や
第2連
待っていた時とかわらぬ調子で
しかし帰りはしないその調子で
――という
待っていた時の調子が、帰りはしない調子で
――と飛躍になるような
こういう詩法(レトリック)を
詩人は完成の域に達成しています。
◇
第3連
なくなったものの名前を 耐えがたい
――という時の、耐えがたい、も
つめたいひとつ繰りかえしで――
――という次行への連なりで捉えないと
いかにも矛盾したようなことになりますが
これも完成されたレトリックになりました。
◇
前作「眠りの誘ひ」の
物語的な(一方向へ流れる時間の)詩の作り方を
わざと壊すような詩行の流れです。
◇
(世界中はさらさらと粉の雪)であったのが
真冬の夜の雨が歌っているのですし。
あれらは、どこかに行ってしまったのですし。
耐えがたい
冷たい一つ繰り返しですし。
僕は、耳をおおいます。
◇
それにしても最終行
だれとも知らない その人の瞳の底に?
――の、その人は謎です。
うしなった女性でしょうか。
◇
あの青空の明るいこと!
――と歌わせる光のようなものが
詩人に見えていたことが
最終連3行の、この入り組んだレトリックの背後から
浮んでくるようではあります。
◇
人間がそこでは金属となり結晶質となり天使となり、生きたる者と死したる者との中間者と
して漂う。死が生をひたし、僕の生の各瞬間は死に絶えながら永遠に生きる。
◇
「風信子🉂」の一節がよみがえりますが
この詩に直(じか)に関係するかは不明です。
◇
つづく。
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