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2017年2月19日 (日)

立原道造の詩を読む/「暁と夕の詩」の3番詩「小譚詩」

 

3番詩「小譚詩」が発表されたのは
「四季」1936年(昭和11年)5月号でした。

 

そのとき
「(暁と夕の詩)・第3番」とタイトルに付記されていたのですから
第1詩集「萱草に寄す」の発行以前に
すでにこの第2詩集の編集がはじまっていたことを示す一例です。

 

譚詩は物語詩。

 

 

 小譚詩

 

一人はあかりをつけることが出来た
そのそばで 本をよむのは別の人だつた
しづかな部屋だから 低い声が
それが隅の方にまで よく聞えた(みんなはきいてゐた)

 

一人はあかりを消すことが出来た
そのそばで 眠るのは別の人だつた
糸紡ぎの女が子守の唄をうたつてきかせた
それが窓の外にまで よく聞えた(みんなはきいてゐた)

 

幾夜も幾夜もおんなじやうに過ぎて行つた……
風が叫んで 塔の上で 雄鶏が知らせた
――
兵士(ジアツク)は旗を持て 驢馬は鈴を掻き鳴らせ!

 

それから 朝が来た ほんとうの朝が来た
また夜が来た また あたらしい夜が来た
その部屋は からつぽに のこされたままだつた

 

(岩波文庫「立原道造詩集」より。)

 

 

【現代表記】

 

 小譚詩

 

一人はあかりをつけることが出来た
そのそばで 本をよむのは別の人だった
しずかな部屋だから 低い声が
それが隅の方にまで よく聞えた(みんなはきいていた)

 

一人はあかりを消すことが出来た
そのそばで 眠るのは別の人だった
糸紡ぎの女が子守の唄をうたってきかせた
それが窓の外にまで よく聞えた(みんなはきいていた)

 

幾夜も幾夜もおんなじように過ぎて行った……
風が叫んで 塔の上で 雄鶏が知らせた
――
兵士(ジャック)は旗を持て 驢馬は鈴を掻き鳴らせ!

 

それから 朝が来た ほんとうの朝が来た
また夜が来た また あたらしい夜が来た
その部屋は からっぽに のこされたままだった

 

 

前詩「やがて秋……」が
季節(とき)の巡りだけを歌ったかのようであるのに
バランスを取るかのように
この詩は生き物たちの暮らしの一コマが
渇望されたかのように歌われます。

 

追分村でのコミュニティーに似た体験が
モデルになっているのでしょうか。

 

それとも渇望そのものでしょうか。

 

あるいはやがて展開される物語「アンリエットとその村」への
架橋のためのイントロでしょうか。

 

夜の闇をさまよう魂が
パッと開けたような視界に立ちます。

 

しかし、
最後の1行
その部屋は からっぽに のこされたままだった
――
は、
ポカリと空いた詩人の内部の
空洞を映し出しているように見えなくもありません。

 

詩心は限りない円環へ向かうのでしょうか?

 

 

詩集「暁と夕の詩」は、

 

生涯のひとつの奇妙な時期に、僕の詩集《暁と夕の詩》が完成した。風信子叢書第二篇である。僕の憶ひのなかにこの本がイメージとなつて凝りかけた夏の日から今、かうしてひとつの物体になり終へて机の上におかれる冬の夜までに、その短い間に、僕の生は、全く不思議なジグザグを描いた。

 

――と詩人が記す「ジグザグ」の果ての産物でした。

 

 

つづく。

 

 

 

 

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