立原道造の詩を読む/第2詩集「暁と夕の詩」の成り立ち・その3/風信子(ヒヤシンス)の苦悩
素手で詩を読む限界というものがあるでしょう。
そういうような場合に
背景とか環境とか状況とか
その詩を生んだ外的な契機とは別の
内的な動機を知り得れば
詩の中へよりいっそう親しく入り込むことが可能になります。
詩集「暁と夕の詩」をひもとくための重要な記述を
詩人自身が残してくれています。
◇
失はれたものへの哀傷といい、何かしら疲れた悲哀といひ、僕の住んでいゐたのは、光と
闇との中間であり、暁と夕との中間であつた。形ないものの、淡々しい、否定も肯定も中止
された、ただ一面に影も光もない場所だつたのである。人間がそこでは金属となり結晶質
となり天使となり、生きたる者と死したる者との中間者として漂う。死が生をひたし、僕の生
の各瞬間は死に絶えながら永遠に生きる。すべてのものは壊されつくしている、果敢ない
清らかな冒険を言ひながら、僕がすべてのものを壊しつくしてその上に漂つた、と僕の心
がささやく。おそれとおののきとが、むしろ親しい友である、尖らされた危ない場所だつた、
と今の僕の心は何かさびしげにことあげする
◇
これは「四季」1938年1月号、12月20日)発表された
随想「風信子🉂」の記述の一部です。
このような激しい内的興奮(おそれとおののき)を経て
詩集「暁と夕の詩」は生み落されました。
これは通常では
苦悩と呼ぶようなことではないでしょうか。
◇
一度死んだ者は、二度生きねばならない。生よりも死について知つているからこそ生きて
ゐられると、もの忘れよと吹く南風をたのむな。決意と拒絶という二つの言葉が生きるとい
う事実にむかひあふ、生きるとは、限りなく愛し、限りなく激しくあることだと。光が誘う。ここ
に出発がある、たつた一度の意味で。おまへが死のうと生きようと、僕は生きていたいの
だ! と。
◇
同じ文の中では
さらにこのように激しく
自らへ、あるいは、親しい人たちへ告白するかのように
訴えました――。
◇
第1詩集「萱草に寄す」の
甘やかな調べは
どこへ行ってしまったのか。
不思議に感じていたものが
一気に溶けだしていくような
ショックを覚えざるを得ません。
◇
つづく。
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