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2017年2月 6日 (月)

中原中也が「四季」に寄せた詩・番外編/立原道造の「別離」という追悼・その3

 

 

倦怠のなかに寝ころんでしまった、というのなら親しみやすくありますが

 

復讐の中に寝ころんでしまった

 

――と立原道造が捉えた「汚れっちまった悲しみ」は

 

さらには、「涙の淵の深さ」へと捉え直されて飛躍し

 

反発の対象に成り代わります。

 

 

 

イロニーをイロニーのままで終わらせてはならないのですから

 

立原流に破壊する必要が生じたのでしょうし

 

反発はイロニーの壊し方の一つでした。

 

 

 

中原中也は「汚れっちまつた悲しみ」の詩人として

 

立原道造に捉え続けられ

 

「汚れつちまつた悲しみに……」という詩は

 

いっそう反発(と親近)の対象になっていきます。

 

 

 

 

 

 

 心のあり方をそのままうたひはしたが、あなたはすべての「なぜ?」と「どこから?」とには執拗に盲目であつた。孤独な魂は告白もしなかつた。その孤独は告白などむなしいと知りすぎてゐた。ただ孤独が病気であり、苦しみがうたになつた。だから、そのうたはたいへんに自然である。しかし、決して僕に対話しない。僕の考へてゐる言葉での孤独な詩とはたいへんにとほい。(ここでこの詩人が死んだのは今日と、ばかばかしい言葉をおもひ出したまへ。今日という言葉はだいぶ曖昧になる。ヴェルレーヌなどは昨日死に、カロッサは明日死ぬ。ではリルケやゲオルゲやニイチエはいつ死んだか。)

(筑摩書房「立原道造全集第5巻」より。)

 

 

 

 

 

 

「なぜ?」と「どこから?」が

 

立原道造独特の用語(思惟)のスタイルであって

 

その範囲内で中也は盲目的であったのかもしれませんが。

 

 

 

孤独な魂は告白をしなかったのだろうか?

 

告白のむなしさを知りすぎていたために告白しなかっただろうか?

 

孤独は病気だろうか?

 

苦しみ(ばかり)を歌っただろうか?

 

 

 

この段落の飛躍と断定には

 

ついていけないものがあります。

 

 

 

 

 

 

そうであるから――。

 

 

 

そうであるから自然であるという言い方には

 

そのようにレトリックも技術も(リリシズムさえも)認められないという

 

立原の志向が露出しています。

 

 

 

そのような自然であるならば

 

僕(立原)に対話して来ないし

 

このような詩は、孤独な詩と僕が考えるものではない。

 

 

 

 

 

 

詩人(中原中也)が死んだのは今日、という言い方の馬鹿々々しさ(俗な不正確さ)を

 

ここに( )付きで注釈するのは

 

今日という言葉の曖昧さへの言及が

 

まだ不足と感じたからでしょうか

 

先に、誰よりも先に復讐するのは、あなた、中原中也だと記した流れを

 

想起させたいからでしょうか。

 

 

 

 

 

 

飛躍を含んだロジックは

 

立原道造自ら意識した方法のようですから

 

「汚れつちまつた悲しみ」についての批評は

 

このロジックに沿ってさらに積み重ねられていきます。

 

 

 

そこで「汚れつちまつた悲しみに……」は

 

全行引用されます。

 

 

 

 

 


 

 

汚れっちまった悲しみに……

 

 

 

汚れっちまった悲しみに

 

今日も小雪の降りかかる

 

汚れっちまった悲しみに

 

今日も風さえ吹きすぎる

 

 

 

汚れっちまった悲しみは

 

たとえば狐の革裘(かわごろも)

 

汚れっちまった悲しみは

 

小雪のかかってちぢこまる

 

 

 

汚れっちまった悲しみは

 

なにのぞむなくねがうなく

 

汚れっちまった悲しみは

 

倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

 

 

 

汚れっちまった悲しみに

 

いたいたしくも怖気(おじけ)づき

 

汚れっちまった悲しみに

 

なすところもなく日は暮れる……

 

 

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えました。編者。)

 

 

 

 

 

 

途中ですが 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

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