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2017年2月25日 (土)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「雪の蝶」その2

現代口語でしゃべっていたに違いのない詩人にも

歴史的仮名遣いで書いていた時代があったのだなあ、という

感慨をおぼえさせる詩です。

 

なんとも思わない人もいることでしょうけれど。

 

 

「 」で括られた第2連をどう読むか。

 

この連の主体は

この詩を作った人=詩人であるほかに考えられませんが

この言葉はすでに3年前に

詩人の口から言われたものでしょうか。

 

それとも

これから言われようとしているところで

詩人の胸につかえている状態なのでしょうか。

 

いま、その言葉が

雪降る窓辺に駆けめぐっているようでもあり

その窓辺に小さな蛾のように降り立つ雪の蝶が

相手の腕時計のガラスにも降り立っているであろうことが

ありありと見えているのかもしれません。

 

いずれにしても

二人の間に存在する言葉です。

 

別れの言葉です。

 

 

3年目になった逢瀬を

この詩の主体(=詩人)は

すでに告げたとしても

告げないまま胸に押さえて今に至っているにしても

打ち切ることを決断したことを示す

緊迫した状態を表しています。

 

いま、脳裏を駆けめぐるのは

3年目に至るまでの逢瀬の

数々の思い出であるかもしれません。

 

しかし約束を破ってまでも

行かなかったのです。

 

そうするよりほかに

打つ手がなかったという事情を

否応もなく想像せざるを得ません。

 

 

くもり硝子の窓をあけて

小さな蛾のような雪を払えば

たちまちに溶けて指先に水になってゆきますが。

 

それは指先ばかりに生じる

小さな感傷みたいなことで

世界は雪景色――。

 

降り積もろうとして

しんしんと万物に襲いかかっていました。

 

 

雪景色に至る時間の積み重なりが

蛾のような

蝶のような

――という対比的な雪の姿態に喩(たと)えられて

艶(なま)めかしく捉えられました。

 

 

雪の蝶

 

約束の場所へは

たうとう出かけなかった

冬の終りの日に

まつたく思ひまうけぬ朝からの雪だつた

こころ落ち着かぬわたしの部屋の窓に

ときをり

小さな蛾の様に音もなく来てとまる雪

いまごろはあの街角で

わたしを待ちわび またもや覗く腕時計の

うすいガラスのうへにも

ふと とまつたにちがひない 雪の蝶

 

「三年目

 このめぐりあひに甘えてはならないのです

 コートの肩のつめたいものをはらつて

 おねがひ お帰り下さい

 逢つてはいけない二人でした」

 

くもり硝子の窓をあけ

とまつた小さな蛾をはらへば

たまゆらにとけてあたたかな指先をぬらすのみであつた

見れば

庭石をおほい 樹木をつつみ

屋根に 垣根に 水仙の黄に

わたしをひとり塗りのこして

しんしんと万象(ものみな)に降りつむ

純白の雪 雪 雪

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原詩のルビは( )で示しました。編者。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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