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2017年3月

2017年3月30日 (木)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界・番外編/苦悩する「雲」

 

 

第1詩集「睡り椅子」の刊行が1953年ですから

「16歳のノート」が16歳までの詩を書き貯めたエチュードだとすると
詩人は敗戦の1945年に16歳だったのですから

東京に移住する前の作品ということになり

初期詩篇のうちでも

早くに制作された作品が書き記されていることになります。

 

「雲」はその一つであることは

詩の内容からも理解できます。

 

 

 

荒れ気味の夜

窓をあけると

あおぐろい雲が

ついそこまで下りて来て

もがき 逃げ廻り 蛇の様にのたうつてゐた

 

見てゐると

雲はひとつではなかつた

たくさんの雲たちが

あの様に よつて たかつて

すさまじい歌をうたつてゐるのであつた

 

すでに

雲は雲ではなかつた

それは 女の群像であつた

女たちの群像であつた

女たちの苦悩の姿であつた

さうして

嵐の来る前夜の空に

あの様に髪をふりみだし たけり くるひ

苦しんでゐるのであつた

 

いつまでも見てゐると

胸が圧潰されさうなのは そのせゐだ

わたしは重苦しく窓を閉める

 

するとこんどは

はげしい雨が窓玻璃(ガラス)をたたいた

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「現代詩文庫64『新川和江詩集』」初出詩篇より。)

 

 

エッセイ集「詩の履歴書」中の「わたしは風――雲ではなく」には

「雲」について、

昔、実際に生家の窓際から見た雲を描写した

リアリズムの詩であるとしつつ

その雲に重ねたメタファーを、

 

群れの中には、母もいた。叔母たちもいた。姉もいた。近隣のおばさんたちもいた。彼女たちは、表面おだやかに笑っているが、内部には皆修羅をかかえていて、真実の姿を目に見えるようの描き出そうとすれば、あの雲のように、苦しみ、もがき、のたうち回り、泣きすがって何かを訴えたがっているにちがいないのだった。

――と具体的に説明しています。

 

そのうえで、

 

あんなふうになるのは厭だ。あんな生き方は哀し過ぎる。私はもっとはればれと生きたい。のびのびと生きたい。

――などと、まんじりともせずに考えた

その夜のことを書き留めています。

 

 

そして、

雲であるよりも風になろう

――と将来の展望を脳裏に描いたことが記されているのですが

それにしても「雲」には

戦時下農村に生きる女性の(内面を含めた)状況が

16歳の少女の眼差しの中に捉えられていたところに注目しないわけにはいきません。

 

 

嵐の来る前夜の空に

あの様に髪をふりみだし たけり くるひ

苦しんでゐるのであつた

 

――という詩行に

女性たちの置かれた状況が鷲掴みにされています。

 

花々や草々や

水や空や……。

 

雲の描写が

人物の、それも女性たちの苦悩にかぶせられるという例は

この時代の作品にそれほどあるわけではありませんが

メタファーがズバリと命中して

雲が女性たちそのもののような生々しさでせまってくるではありませんか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2017年3月29日 (水)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界・番外編/「雲」

 

 

「虐殺史」「都会の靴」を読み終えたところで

少し寄り道をしてみたくなりました。

 

急がば回れで

見えないものも見えてくるかもしれません。

 

 

「睡り椅子」は

新川和江の第1詩集ですから

初期の作品が集められましたが

これに収録できなかった詩篇が相当数残されていることは

小自伝「始発駅まで」やほかのエッセイなどで知ることが出来て

びっくりすることがあります。

 

敗戦直前の1944年(昭和19年)に

近くに疎開してきた詩人、西條八十に手紙を書いたところ

「詩のノートを持っていらっしゃい」との返信を得た時から

師弟の関係がはじまるのですが。

 

この「詩のノート」がどんなものであるか

どれほどのノートが蓄えられていたのか分かりませんが

このノートには

習作も含めて

詩人誕生期の

女学生の素直で熱情的で純真でありながら

早熟の、知的な、あるいは社会的な側面とも言ってもよい

女性の位置を意識した作品が含まれています。

 

「雲」は

そのような作品の一つです。

 

 

 

荒れ気味の夜

窓をあけると

あおぐろい雲が

ついそこまで下りて来て

もがき 逃げ廻り 蛇の様にのたうつてゐた

 

見てゐると

雲はひとつではなかつた

たくさんの雲たちが

あの様に よつて たかつて

すさまじい歌をうたつてゐるのであつた

 

すでに

雲は雲ではなかつた

それは 女の群像であつた

女たちの群像であつた

女たちの苦悩の姿であつた

さうして

嵐の来る前夜の空に

あの様に髪をふりみだし たけり くるひ

苦しんでゐるのであつた

 

いつまでも見てゐると

胸が圧潰されさうなのは そのせゐだ

わたしは重苦しく窓を閉める

 

するとこんどは

はげしい雨が窓玻璃(ガラス)をたたいた

 

 

この詩「雲」は

1975年刊の「現代詩文庫64『新川和江詩集』」に

「初出詩篇」として発表されたものです。

 

第1詩集「睡り椅子」発行の1953年から

20年余が経過していましたが

「睡り椅子」に収録されなかったいくつかの詩篇があり

その中の「16歳のノートより」と題された詩篇の一つです。

 

16歳といえば1945年、敗戦の年です。

 

まだ東京に移住する前に

作られた作品です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「都会の靴」の希望

 

 

孤独な魂が

鉛の靴をはいて都会を歩いて行く。

 

重たい鉛製の靴で。

 

 

胸がスカッとする断崖絶壁(だんがいぜっぺき)はないものか。

 

そこは

底抜けの青空のようなところに

気持ちの良い雲が流れていて

触れれば背中に羽(はね)が生えて

どこまでもゆるやかに落ちて行ける

ベッドのような谷間。

 

断崖(きりぎし)を下から見ている位置のようですが

もちろん想像上の場所です。

 

 

疲労や不安や憤懣や

孤独や悲哀や苦痛や……。

 

この詩の主体は

何か解決し難い苦悩を抱えて

繁華街の雑沓のただ中に在ります。

 

この苦悩を

だれもわかってくれる友達もいないような

一人ぼっちでありながら

大都会の喧騒の中を

群衆の肩に揉まれて歩いています。

 

 

行き交う人々は

泳ぎ上手な虚飾の魚群たち、と映り

尾鰭うちならして通り抜ける非情の魚たち、と見える

孤独を噛みしめて

足どりは重たくなるほかにありません。

 

ふと振り返れば

水しぶきでビチョビチョになった

わたしの心臓。

 

濡れそぼった心臓だけが

映像として見えるという

ドライな、物神的なイメージが

孤独の深さを表しています。

 

 

プロクラステスの残虐とは異なるもののようですが

詩人が突き当たっている

都会特有の

群衆の中の

何か即物的な孤独みたいなものの

ずっしりしたものが眼前に存在するかのようです。

 

 

渋谷 新宿 有楽町

歩いて

歩いて

歩いて

わたしはかなしくつかれてしまふ

 

明日もまたわたしは歩く

うへの あさくさ いけぶくろ

たづねて

たづねて

たづねて

 

 

そこ(都会の街)を

わたしは脱け出すことはなく

今日も明日も

歩いていくことがわかっているのに

いま

休息が欲しい

ベッドが欲しい

鉛の靴を脱ぎたい

 

とは言っても

詩人は今もこれからもずっと

この都会に住まい続けねばならない生活者でもあります。

 

 

最終連最終行の1行前に現われる

原始的な微笑

――は、第1連の

胸のすくやうな断崖(きりぎし)

身を投げても底は無限のあかるい青空

肌ざはりのいい雲

ベツドの様な谿谷

――との同義反覆のような

はっきりとしない謎を含み

それが希望のようでもあります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2017年3月26日 (日)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/鉛の「都会の靴」

 

 

 

苦しみが詩人を襲うのは

自然な、必然なことなのでしょうか?

 

詩を書く、

詩を作ることの

苦しみを歌う詩が続いて現われます。

 

「虐殺史」の余韻を曳くかのような。

 

 

都会の靴

 

どこかに

胸のすくやうな断崖(きりぎし)はないものか

身を投げても底は無限のあかるい青空

肌ざはりのいい雲が流れ

ふれれば

ふうはりとわたしの背中に羽が生えて

どこまでもどこまでも

ゆるやかに落ちて行ける

ベツドの様な谿谷はないものか

 

繁華街の雑沓にもまれ

わたしはすくはれがたく孤独であつた

泳ぎ上手な虚飾の魚群たちの

つららの様な眼ざしに斜に射ぬかれ

すでに空洞となつたわたしの額を

尾鰭うちならして通り抜ける非情の魚たち

ふと つめたさにふりかへれば

悄然とついて来るのは

水しぶきに濡れそぼつたわたしの心臓であつた

渋谷 新宿 有楽町

歩いて

歩いて

歩いて

わたしはかなしくつかれてしまふ

 

どこかに

せめてパンきれ程の小さな夢を

さまたげられることなく啄めるベツドはないものか

明日もまたわたしは歩く

うへの あさくさ いけぶくろ

たづねて

たづねて

たづねて

めくるめく様な断崖の上

いとも原始的な微笑に全神経を開放させて

わたしは重たい鉛製の靴をぬぎたいと思ふ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原作のルビは” “で示しました。編者。)

 

 

第1連に、

どこまでもどこまでも

ゆるやかに落ちて行ける

ベツドの様な谿谷

――とあり

 

第3連に、

せめてパンきれ程の小さな夢を

さまたげられることなく啄めるベツド

――とあるように

ベッドが2度も現れるからかもしれません。

 

こちらは、

健やかな眠りを保証してくれるベッドであり

恐怖の「プロクラステスの寝台」ではありませんが。

 

 

繁華街の雑沓にもまれ

わたしはすくはれがたく孤独であつた

――とある状況が

いま、詩人のいるところのようです。

 

渋谷 新宿 有楽町

歩いて

歩いて

歩いて

わたしはかなしくつかれてしまふ

――とあるのは

文学(詩や小説)の集まりが

目指した道ではあれ

苦痛に満ちたものであったことを述べたものと見てよいでしょうか。

 

明日もまたわたしは歩く

うへの あさくさ いけぶくろ

たづねて

たづねて

たづねて

――と、たたみかけるのも

学習や付き合いのためとはいえ

文学の会合の厳しさ、辛さを嘆いたものと読んでよいでしょうか。

 

あるいは

話す内容の激しさ、辛辣(しんらつ)さのメタファーでしょうか。

 

もっとほかのことでしょうか。

 

何のために

歩き、たづねたのでしょうか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年3月24日 (金)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「虐殺史」の苦しみ

 

虐殺史というタイトルは

詩を書くという仕事(営み)の瞬間瞬間が

いかに苦痛に満ちたものであるか

その上、プロフェッショナルに貫き通すことが

いかに困難であるかを

誇張したもののように見えますが

きっとオーバー(過剰)でもなんでもない

ストレートな表現だったのだということがわかってきました。

 

歌う詩から考える詩へ、

<われ>から<われわれ>へ、と

「荒地」の詩人たちが唱える時代に

若き詩人、新川和江は自らをシンクロしようとした形跡があります。

 

そこのところを

詩人は、

 

この詩で私が、この世を<暗き世>と言っているのは、この世を荒地と見做している先鋭

的な詩人たちの思想や理念に、幾分染まっていたのかも知れない。

――と後年、記しています。

(「詩の履歴書」所収「プロクラステスの寝台」より。)

 

 

 

では、その<暗き世>は

この詩にどのように捉えられているでしょうか。

 

第1連に、

諦念の魚のごとく

――とあり

 

終連に、

とつくにびと

――とある

 

「ごとく」という直喩で捉えられた位置から

詩人に見えた世界に

それは他なりません。

 

それは第2連の

夢の中で「プロクラステスの寝台」として

現われるものでした。

 

 

俎板の上に横たへられし

諦念の魚のごとく

今宵も疲れはてし此の身を

つめたき臥床(ふしど)に横たへぬ

――という第1連の詩行の

くどいように繰り返される同義反覆。

 

俎板に横たえられた

諦念の魚。

 

疲れ果てた身を

冷たいベッドに横たえて

見る夢。

 

 

これらが終連では、

 

かの遠き世の道ゆく“とつくにびと”のごとく

罪なきにとらはれの身ぞ われは。

――と、無実の罪を負う囚われの身が見る世界へ繋がります。

 

第1連の諦念の魚は

夢が覚めて後も

異邦人が見る景色へといつしか繋がっています。

 

 

プロクラステスの寝台は

夢の中で見る虐殺ですが

第1連も終連も

夢の外の現実の世界の

詩人が存在する位置からの眺めです。

 

その現実も夢も

境がいつしか消えるような

錯覚が起こるのは

第1連のはじめから

俎板の上に載せられた魚という比喩が

現実離れした拷問のようで

それですでにプロクラステスの寝台に載っているようなことだからです。

 

 

詩作が

実りの風景をいっこうに見ないままに

苦しみの道のりが

ひたすら訴えられる詩が作られたわけが

少しでも見えてきましたでしょうか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年3月23日 (木)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「虐殺史」の「またたくランプ」

 

 

プロクラステスが襲ったのは

夜の街道でのことなのに

最終連では

賊の姿こそ見えないけれど

夜もすがら吹く風

そして

夜もすがらまたたくランプとあり

夜の風はよいとしても

またたくランプが恐ろしい! というこの1行を

どう解釈したらいいのか。

 

はじめのうちは

面食らうのですが

ここにこの詩全体が仕掛けているメタファーに思い至れば

それほど理解に苦しむほどのことではないことに気づきます。

 

 

そうです!

 

この詩「虐殺史」は

詩作のメタファーであったはずではないですか。

 

煥発(かんぱつ)する都会の光景が

詩人を苦しめることを

想像することはそれほど困難ではなくなってきます。

 

 

詩人が一篇の詩を生み出すときに

煌々として輝く明かり。

 

暗闇ではなく

灯されたランプが赤々として消えない中で

執行される拷問。

 

詩作する時間が

執行者の姿が見えず

止まない風と

消えない明かりの元で行われる虐殺。

 

そのメタファーであるという

無気味なレトリック――。

 

 

現代の詩人たちは

このような虐殺の歴史を生きているのでしょうか?

 

 

「虐殺史」を自ら案内して

詩人は次のように記しています。

 

 

(プロクルステスは)

ギリシヤ神話に出てくる追いはぎで、エレウシスの街道に、長短二つの寝台を用意して通行人を待ち伏せしては、詩でも述べているような残虐な殺し方をしたらしい。こんな追いはぎに捕ったらたまったものではないけれど、ガス室や原爆での大量殺人に較べれば、まだしも人間的であるとも言える。

(「詩の履歴書」所収「プロクラステスの寝台」より。)

 

 

詩にある「とつくにびと」の「とつくに」は「異国」のことです。

 

詩人は詩人になるために

異国人のような気持ちで

アテナイ(詩の国)への街道を行く旅人になり

プロクラステスの寝台(評定)に載せられます。

 

その虐殺の歴史を生き抜いてきたのよ

――と若き詩人が

心の底から訴えているようです。

 

この詩が作られたのは

「荒地」派の詩人たちが

歌うばかりではなく

考える詩を主張していた時代のことでした。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年3月21日 (火)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「虐殺史」のメタファー

 

 

詩が書かれた背景を知ったからといって

詩を読めるものでないのは

一つには詩内容(あるいは詩のテーマ)が

書かれた背景(現実)に言及しないことがあるからです。

 

ヒントになる詩行がわずかにでもある場合はともかく

現実の痕跡すらも現れない詩がありますし。

 

背景を知らなくては読めない詩であるのなら

詩の独立(性)を損なうという詩法を排除することにもなります。

 

 

「虐殺史」は

そのようなことを考えさせてくれますが

いったい、では、

詩の背景が詩の中に現われるでしょうか?

 

「虐殺史」は

こういう問いには

比較的に容易に答えることができるでしょう。

 

第1連、

俎板の上

諦念の魚

今宵も疲れはてし此の身

つめたき臥床(ふしど)

――は、

詩人の生(活)の現実から歌い出していると捉えて

ほぼ間違いはないことでしょう。

 

詩人の苦悶が

生計上のものを含むかどうか

経済的困難を訴えたものでないことを察することができるなら

これはやはり

詩作に由来する苦しみのメタファーであることを知るでしょう。

 

第2連は、

この苦しみをギリシア神話にかぶせて

この詩の最大のレトリックが仕掛けられますが

「プロクラステスの寝台」にとらわれているうちに

詩を見失いがちになるところでもあります。

 

 

この詩の最大の眼目(謎)は

終連の、

夜もすがら脅かす風

夜もすがらまたたくランプ

――ではないでしょうか?

 

1連で訴えられた苦悶の原因が

この2行に捉えられていることを理解するまでに

「プロクラステスの寝台」の神話に気を取られて

読者は神話の学習に追われます。

 

それはそれで

詩を読む楽しみの一つですし

この詩の生命に繋がりますから

大いに楽しんだらよいのですが

プロクラステスの寝台(という詩語)の衝撃で

見失いがちなのが

終連の2行です。

 

ことさら、

夜もすがらまたたくランプ

――です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

虐殺史

 

俎板の上に横たへられし

諦念の魚のごとく

今宵も疲れはてし此の身を

つめたき臥床(ふしど)に横たへぬ

 

夢見ぬ

おそろしき夢見ぬ

わが臥せるはプロクラステスの寝台

夜の街の辻にさらはれては

その上に横たへられて

長き者はみじかく斬られ 短き者は引伸ばされ

無惨にも殺されゆくてふ

かの 古代ギリシヤの暗黒の夜を……

 

われを細裂(こまざ)く賊こそ見えね

夜もすがら脅かす風

夜もすがらまたたくランプ

あはれ まこと 此の暗き世に生きてあれば

かの遠き世の道ゆく“とつくにびと”のごとく

罪なきにとらはれの身ぞ われは。

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原作のルビは” “で示しました。編者。)

 

2017年3月20日 (月)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「虐殺史」の背景その2

 

経済の自立無しに、女の自由があるとはどうしても思えなかった。あったとしても、それでは虫がよすぎはしないか。詩を書き続けていくためにも、いっぽうで、お金になる原稿を書く必要がある。

(現代詩文庫64「新川和江詩集」所収の小自伝「始発駅まで」より。)

 

――ということではじまったのが

「少女ロマンス」への小説の執筆でしたが

これは師、西條八十の紹介によるものでした。

 

これを足掛かりに

「花物語」「女学生の友」「少女の友」「ひまわり」「少女クラブ」への執筆へと広がり

そうこうするうち、

本格的に小説を勉強するように勧められて

西條八十の紹介状をもって

早稲田系の文学グループ「十五日会」に参加します。

 

この会へは「半ば強制的に」送りこまれたことが

「始発駅まで」に述べられているのは

やがて詩か小説かの択一を迫られる詩人の未来を暗示しています。

 

瀬戸内晴美(現在、寂聴)、河野多恵子と

この会で知り合うのですが

詩は機関紙「文学者」に掲載されても

小説が活字になることはなく

居心地はよかったにもかかわらず

居続けることは自分を甘やかすことになると考えて

「十五日会」を退会します。



「十五日会」以前に相知った瀬戸内晴美も

生活のために少女小説を書きはじめていた頃で

二人は小学館などでよく顔を合わせることがあって

そういったときには近くのおしるこ屋であんみつを食べたという

楽しいひとときのある時代のようでした。

 

また「十五日会」の合評会では

元気に邪気のない感想を述べる瀬戸内晴美の様子や、

御しがたいひとという印象で尊敬と畏怖を抱いた河野多恵子の姿を見るなどして

小説家志望とのいはば温度差を感じるようになっていきます。

 

執筆中の少女雑誌が詩を書かせてくれはじめたこともあって

詩だけで行く決意を固めていきました。




こうした記述の後には

「睡り椅子」刊行の昭和28年(1953年)の記録になるのですから

「虐殺史」は

「十五日会」の頃に書かれた作品であることが推測されます。

 

そして以上のことは

「虐殺史」について詩人自ら案内したエッセイ「プロクラステスの寝台」に

この詩が1951年初出、

詩人22歳の制作と書かれてあることによっても

確認できます。

 

これから文学を生業にして行こうとする

野心と血気に満ちた小説家志望の同輩に交じって

詩人の道を生きようとする若き新川和江が

自らに下した決断。

 

 

「虐殺史」はこの決断と直接に関わるものではないでしょうが

この頃の詩人の内面、あるいは詩のテーマを

映し出しているには違いないはずです。

 

それはどんなことだったのでしょうか?

 

それこそが

「虐殺史」の内容でした。

 

「虐殺史」は

何をうたっているのでしょう。

 

 

虐殺史

 

俎板の上に横たへられし

諦念の魚のごとく

今宵も疲れはてし此の身を

つめたき臥床(ふしど)に横たへぬ

 

夢見ぬ

おそろしき夢見ぬ

わが臥せるはプロクラステスの寝台

夜の街の辻にさらはれては

その上に横たへられて

長き者はみじかく斬られ 短き者は引伸ばされ

無惨にも殺されゆくてふ

かの 古代ギリシヤの暗黒の夜を……

 

われを細裂(こまざ)く賊こそ見えね

夜もすがら脅かす風

夜もすがらまたたくランプ

あはれ まこと 此の暗き世に生きてあれば

かの遠き世の道ゆく“とつくにびと”のごとく

罪なきにとらはれの身ぞ われは。

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原作のルビは” “で示しました。編者。)

 

 

第1連の、

今宵も疲れはてし此の身

つめたき臥床(ふしど)

 

終連の、

夜もすがら脅かす風

夜もすがらまたたくランプ

 

二つのこの詩行を結ぶものの謎に

行き当たります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2017年3月17日 (金)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「虐殺史」の背景

 

 

連詩「PRAYER」からいくつか後に

「虐殺史」は配置されてあります。

 

「雪の蝶」

「小さな風景画」

「冬の金魚」

PRAYER

「断章」

――と読んで来た流れが

突如強い地震に襲われたような。

 

タイトルを見る限り

ギクリとしないではいられない衝撃を受けます。

 

何事か事件があったのでしょうか?

 

何が起きたのでしょうか?

 

 

虐殺史

 

俎板の上に横たへられし

諦念の魚のごとく

今宵も疲れはてし此の身を

つめたき臥床(ふしど)に横たへぬ

 

夢見ぬ

おそろしき夢見ぬ

わが臥せるはプロクラステスの寝台

夜の街の辻にさらはれては

その上に横たへられて

長き者はみじかく斬られ 短き者は引伸ばされ

無惨にも殺されゆくてふ

かの 古代ギリシヤの暗黒の夜を……

 

われを細裂(こまざ)く賊こそ見えね

夜もすがら脅かす風

夜もすがらまたたくランプ

あはれ まこと 此の暗き世に生きてあれば

かの遠き世の道ゆく“とつくにびと”のごとく

罪なきにとらはれの身ぞ われは。

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原作のルビは” “で示しました。編者。)

 

 

夢の出来事でした。

 

夢は現実生活との関係で

深層分析されるのが普通ですから

この詩を書いた詩人の実生活が

「プロクラステスの寝台」の夢を見させたと考えるのが自然ですが

そんなことを実証する手がかりは容易に見つかるものではありません。

 

やはり詩の中にしか

詩を読むことはできないということになり

夢分析の手法は役立たなくなります。

 

 

――とは言っても

この詩を書いた動機が何であったか

気になるところです。

 

草臥(くたび)れて眠りについた夢ということですから

家事の苦労ということも視野に入れなければなりませんが

ここではやはり詩を作ることに疲れ果てたと読む以外にありません。

 

もちろん、疲れはてし、という詩行に

レトリックとしての誇張があることを忘れてはなりませんし

詩を作ることの苦悩が

どれほどの疲労を伴うものであるかを

想像しなくてはなりません。

 

 

こうして、

素手で、詩は読まなければならないのですが

詩人が1975年に著した小自伝「始発駅にて」に

次のように記してあるのは大きな参考になります。

 

 

昭和21年(1946年)

4月、「イシャサマノタダシサン」と幼い頃から呼んでいた、新川家の長男淳と結婚。学校に行きたければ行くもよし、好きなように生きてよいからというのが、淳が前年の暮に中支から復員して以来、聞かされ続けた結婚の条件であった。

(現代詩文庫64「新川和江詩集」より。)

 

 

このような結婚であったからこそ

「断章」で読んだように

一般家庭の日常茶飯事を詩人は

却って自らに厳しく課していた節があります。

 

このような結婚であったからこそ

好きなように生きることの困難を詩人は

自ら真剣に受け止めなければなりませんでした。

 

好きなように詩を書く、ということの困難を

終戦前後の時代に

詩人は生きていたのですから

それは想像を絶する冒険のようなことでした。

 

 

夫からは、好きなように生きよと言われはしても、経済の自立無しに、女の自由があるとはどうしても思えなかった。あったとしても、それでは虫がよすぎはしないか。

 

――と同じ「始発駅まで」に詩人は記します。

 

 

詩人は

職業作家(詩人)の道を生きる決意を

結婚の当初から持っていたのですが

いま、こうしてその道を歩みはじめ

まもなくプロフェッショナルな文学活動へと参加することになります。

 

 

「虐殺史」が書かれたのには

こうした背景がありました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

 

2017年3月14日 (火)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「PRAYER」から「断章」へ

 

「断章」は

「PRAYER(4)」の次に置かれています。

 

まるで「PRAYER」を補足するかのように

あるいはまた

忘れ物を取りに戻ったかのように。

 

 

断章

 

おとなりのおくさんが

かはいい女のあかちゃんを生みました

おまへはどうして生めないのかと

子好きな夫はなげきます

 

わたしはだまつて

ごはんをたきます

朝と晩

かうしてぢつと耳をすまして

お釜のなかの

お米のいのりをききながら

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

米が炊けるのを

耳を澄まして聴いている

神妙そうな顔――。

 

それは

やがて生まれて来るかもしれない命の鼓動を

聴き取るような真剣さであるかのような――。

 

夫のなげきを聞く妻(詩人)は

ご飯の炊ける音に聴き耳を立てながら

毎朝毎晩いつかその日が来るのを期待していたのでしょうか。

 

そういうことの暗喩ではないのかもしれませんが。

ご飯が炊けるのを待つ間には

詩一つが生み落とされるのに似た

充足した時間があったように思われてなりません。

 

 

この頃の暮らしについて

詩人が書いたエッセイがあり

中につぎのように

制作する(書く)時間のことを述べているくだりがあります。

 

 

朝、夫を会社に送り出すと、掃除洗濯を手早く済ませ、ちゃぶ台に原稿用紙をひろげて、

少女小説をせっせと書いた。

(略)

詩を書くのは、もっぱら夜更けてからだった。皆が働いている真昼間から、詩などのうのう

と書いたりしていては申し訳ない、という気持があった。

 

これは「冬の金魚」について自ら案内するエッセイの中でのことですが

詩人は詩作する時間を夜更けのことと書き記しています。

 

ほかのところでも――。

 

 

朝から机に向い、詩ばかり書いているなんて、どう考えても不健康で気味が悪い。普通の

生活者としての一日を終えたあとの、お余りみたいな時間でそれで十分なのだ。

 

 

こちらは詩「橋をわたる時」を案内したエッセイ「一作ごとに初心」の一節です。

 

このエッセイでは続けて、

 

時間のことより、詩に向う気持ちのことを言っているのであって、一篇の詩として成り立つ

前の、混沌とした状態の素稿と向き合う時に味わう、あのわくわくどきどきした気持は、詩

を書きはじめの頃と、少しも変っていないのだ。

 

――と書いていて、一篇の詩が作られる時の

混沌と、わくわくどきどきした気持ちに触れています。

 

 

混沌、そして、

わくわくどきどき――。

 

これこそ

ご飯の炊けるのを待つ気持ちに通じるものではなかったでしょうか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2017年3月11日 (土)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「PRAYER」が祈るもの

 

 

「PRAYER」は(4)まであり

移住地、東京・恵比寿での

山あり谷ありの暮らしが

連作詩の形で紡がれます。

 

 

(2)には冒頭

 

雨はわたしの周囲にのみ

かくもはげしく涙流して降るのであらうか

――とあり

終行の少し前に

 

夜をこめて臥床つめたく

幾万の友もねむらずいのるであらうか?

――とあり

 

(4)には

どのいえの妻たちも、この夜ふけ

わたしと同じくいのるにちがひない

――というエピグラフ(序詞)が添えられ

 

こんなはげしい雨かぜの夜にも

神さま

この平らかな土地に建てたちひさな家が

夫と妻の安らかなねむりを守ってくれるといふことに

今更ながらおどろいて涙ぐみます

 

――と神への祈りが書き出されます。

 

 

移住してきた土地、東京の暮らしの

夫とふたり、つましく生きるしあわせと困難が

神を呼ぶのですが

リアリズムのような詩行の中に

(3)では

 

波風荒い七つの海を

このカップの中へをさめることが出来たら と

せつないいのりの

おとぎばなしを組み立てるのです

――が現われます。

 

 

この4行を読み過ごしては

いけません。

 

(3)は

朝に1杯のモーニング・ミルクを飲める平和に

感謝する詩です。

 

もしこの4行がなかったら

「PRAYER」は

リアリズムと言えるような詩になるかも知れないというほどの

見過ごしてはならない一節のはずですが

「PRAYER」全体が

平和な暮らしが持続することを祈る詩の流れにあります。

 

そのせいで読み過ごされがちですし

連詩「PRAYER」の次に置かれたのは

「断章」という小品であるため

なおさらです。

 

 

断章

 

おとなりのおくさんが

かはいい女のあかちゃんを生みました

おまへはどうして生めないのかと

子好きな夫はなげきます

 

わたしはだまつて

ごはんをたきます

朝と晩

かうしてぢつと耳をすまして

お釜のなかの

お米のいのりをききながら

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年3月 9日 (木)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「PRAYER (1)」の都会

 

「睡り椅子」は

第1章「雪の蝶」は12篇

第2章「都会の靴」は18篇

第3章「昨日の時計」は21篇

――という構成ですが

これら詩篇が時系列で配置されているのかどうか

はっきりとはわかりません。

(※詩集に「章」という語は使われていません。念のため。)

 

よく読めば

実証できる内容なのかも知れませんが

古い作品から新しい作品へと

配列されているものと考えるのが自然でしょう。

 

 

第2章「都会の靴」は

文字通り、都会(茨城から移住した東京)をモチーフにした

詩が現われます。

 

 

PRAYER  (1)

 

わたしたちの知らないどこかで

ふたたび軍備がはじまつてゐるのだらうか?

カーキ色にぬりたてた車輪を乗せて

蛇のような貨車が今日も通る

 

国電エビス駅

ミリタリズムの貨車は

こんなちつぽけな駅にとまりはしない

見向きもしないで通り過ぎる 通り過ぎる

 

通り過ぎよ 通り過ぎよ

ここにとまつてよいものは

にんげんを乗せるあたたかな電車

わたしを

逢ひたいひとのもとへはこび

日ぐれは なつかしいわが家の

実(み)のやうなあかり“ちらちら”

走りつつ見える窓のある電車

 

通りすぎよ 通りすぎよ

戦火の日にも

軍歌よ 原爆よ 重税よ

ちひさな駅にはとまらぬがよい

 

国電エビス駅

ここに

わたしの待つているのは 電車

きそく正しく止るのは 電車

 

ホームより見下せば

マーケツトのざわめき よし

レコードの流行歌 よし

道路工夫のよいとまけの声 よし

とある庭先

カンナの花にたはむれる二匹の蝶 よし

音立てず通りすぎよ 貨車

この夢 やぶるな

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原詩のルビは” “で示しました。編者。)

 

 

この詩は

反戦の歌であるよりも

詩人が移住した土地を

愛しはじめた証(あかし)として読むことができるでしょう。

 

「小さな風景画」の中で「ふたり」として先に登場したカップルは

この詩で「カンナの花にたはむれる二匹の蝶」になります。

 

 

「冬の金魚」が見た「銀嶺の雪」のような

詩作する少女の夢が語られるものではなく

生きていくための土台(生活)が

ミリタリズムの貨車に踏みにじられることを危惧し拒否する

祈り――。

 

国電恵比寿駅を乗り降りする詩人が

実際に見聞きした風景に触発されて歌った祈りのようです。

 

生活を脅かすものは

詩作する生活を困難にするものですから

轟音を残して通りすぎる貨車が

エビス駅に停まりはしないかという脅威が

胸元をよぎる日々があったのでしょう。

 

終ったはずの戦争は

市民の足である国電に

戦後も(現在も)影を落としていました。

 

山の手線沿いの住まいであるために

いっそうその影は感じ取られたのか

素朴にありのままに

都心の生活者の気持ちが歌われました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年3月 6日 (月)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「冬の金魚」その2

 

冬の金魚は

詩人の成り代わりでもあるわけですが

成り代わってどうしたのか。

 

そこにこの詩「冬の金魚」の

ねらい(眼目)はありますが

詩人はその種明かしをエッセイ「張りつめたこころ」で見せてくれます。

 

それが第3連終行の

つめたく燃ゆる銀嶺の雪

――です。

 

 

冬の金魚

 

   ひらひら ひらひら

 

夏のさかりを生きのびて

金魚は夜もねむらない

ひたぶるの この水中思考

 

死ぬ日までは生きねばならない

たつたひとりでも生きねばならない

さびしい生活の戒律を

そなたもまた まもるのか

 

いつの日か 水藻のかげに

白き腹見せてとはのねむりにつく時

金魚は夢見るであらう

つひにのぞむを得なかった

つめたく燃ゆる銀嶺の雪を

 

   ひらひら ひらひら

 

きらめく裳裾をひるがへし ひるがへし

冬の金魚の

いのちのかなしさ

 

(花神社「新川和江全集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

ひらひら ひらひら

……。

 

眼前に揺れる金魚を見ている詩人は

寂し気で(?)

健気(けなげ)で

悠然として

夢を誘うような

眠りを誘うような

ひらひら ひらひら を見ていて

いつしか

金魚が永久の眠りにつく時を思います。

 

私が見るような夢を

金魚も見るだろうか? と。

 

その夢こそは

つめたく燃ゆる銀嶺の雪

――でした。

 

 

つひにのぞむを得なかった

――と悲観しているようですが

冷たく燃ゆる銀嶺の雪

――ですから

それは至高の

到底、実現不可能な高峰の雪のことですから

のぞみの高さを指しています。

 

望んで実現しなかった

――と言っているのではありません。

 

 

詩人はその<銀嶺の雪>を、

 

夜ごと目覚めて思考しても、ついに書き得ないだろう至高の詩の暗喩

――と明かしています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年3月 5日 (日)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「冬の金魚」

 

西側と北側に窓があるだけの6帖ひと間。便所も洗濯場も共同で、バス付であろう筈もな

く、タオルと石けんを入れた洗面器を抱え、夫と二人、アメリカ橋を渡ってビール会社の裏

手にある銭湯に入りに行った。


――と、戦後すぐに東京へ移住してきたころのことが記されているのは

「冬の金魚」を案内したエッセイ「張りつめた心で」の冒頭部です。

 

この6帖に

青い縁飾りのあるガラスの金魚鉢が置かれ

中に冬を生きのびた1匹の金魚を育てていて

つましいながら張りつめた心で

けなげに生きていた暮らしの一端が述べられています。

 

 

冬の金魚

 

   ひらひら ひらひら

 

夏のさかりを生きのびて

金魚は夜もねむらない

ひたぶるの この水中思考

 

死ぬ日までは生きねばならない

たつたひとりでも生きねばならない

さびしい生活の戒律を

そなたもまた まもるのか

 

いつの日か 水藻のかげに

白き腹見せてとはのねむりにつく時

金魚は夢見るであらう

つひにのぞむを得なかった

つめたく燃ゆる銀嶺の雪を

 

   ひらひら ひらひら

 

きらめく裳裾をひるがへし ひるがへし

冬の金魚の

いのちのかなしさ

 

(花神社「新川和江全集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

この詩の金魚も

単なる対象物であるよりも

詩人の成り代わりである生き物です。

 

絵を見れば

絵の中に入り込み

ひばりを歌えば

ひばりになり

金魚を歌えば

金魚になる……。

 

事物没入の

一つです。

 

 

詩人は冬の金魚に成り代わってしまうのですが

目前にいる金魚は

夏を過ごし

冬になっても

夜も眠らずに

いまもひらひらと

水中に揺れています。

 

ヒラヒラと

ヒラヒラと

揺らす鰭(ひれ)の

穏やかな

緩(ゆる)やかな動きをじっと見ていると

いつかその動きを止める時があるのだろうと

ふとその永遠の眠りにつく金魚(の死)に

思いを馳せます。

 

ヒラヒラと

いつまでも裳裾のように広げて

弛(たゆ)みない動きであるゆえに

いっそうその時がやって来ることが

張りつめた心に映ったのでしょうか。

 

ひらひら

ひらひら

 

ひらひらは

いつしか

かなしさになります。

 

このかなしさは

悲しさ哀しさであるとともに

愛(いと)しさ愛(かな)しさであるでしょう。

 

 

生き物への感情移入。

事物への没入。

それの擬人化(表現)。

 

詩人は

繰り返し繰り返し

何年も何十年も

その技術を磨いていくことになりますが

この詩はその早い時期の完成品の一つです。

 

 

エッセイ「張りつめた心で」は

「詩が生まれるとき」(みすず書房、2009年)に収録されています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2017年3月 4日 (土)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「小さな風景画」追加訂正

「小さな風景画」を読み終えて

 

大きな(小さな?)間違いに気づきました。

 

 

 

あまりにも巧みにできているので

 

仕方ないかもしれませんが。

 

 

 

タイトルからしてそうなのですから

 

1枚の絵が現実に存在し

 

その絵を「ふたり」で見ながら

 

描かれた風景の中に没入していった詩人の抒情を読み取ったのでした。

 

 

 

 

 

 

第1連――。

 

 

 

みつめていると

 

その額縁はまどのように

 

ふたりの前にひらいているのです

 

わびしさのきわみの様な此の部屋の

 

罪の裏さえ晴れやかに明るいのは

 

どうやら光がそこからさしているためでした

 

 

 

――はよく読むと

 

額縁は窓のように、とあるので

 

実際に額縁があるように思いがちですが

 

どうやら光がそこからさしている

 

――と終行にあるので

 

窓が額縁の役割をはたしている情景を

 

1枚の風景画に見立てたものと読み直した方がよさそうです。

 

 

 

1枚の絵が飾ってある部屋を想像するよりも

 

窓から射す光の加減から

 

詩人の想像力の翅(はね)が広がって作られたと読むほうが

 

正確でありそう。

 

 

 

 

 

 

このように読んでも

 

全体の読みに修正を加える必要はないでしょう。

 

 

 

 

 

 

その額縁はまどのように

 

――を文字通り読めば

 

額縁が主格なのですから

 

その額縁が窓のようであるという比喩とすんなり思いますが

 

額縁から光は射して来ないでしょう。

 

 

 

空っぽの額縁が

 

部屋にあるというのも妙ですし。

 

 

 

わびしさのきわみの様な此の部屋の

 

罪の裏さえ晴れやかに明るいのは

 

――という

 

やや難解な2行が

 

東京での新生活(新婚)を開示しているとも受け取れますし。

 

 

 

 

 

 

 

以上を

 

取り急ぎ付け加えておきます。

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

 

2017年3月 3日 (金)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「小さな風景画」その2

風景画のなかからやってきた

あなたが誰のことかは

すぐに理解できることでしょう。

 

いうまでもなく

それは風です。

 

 

この詩の面白さは

絵の中に入り込んだ詩人が

絵の中の自然に溶け込んでしまうところですが。

 

遠い杜の樹木たちの一葉一葉が

はっきりと見えて来て

緑が陽にもえ

よろこんでいる葉ずれの音までが聞こえ来るのは

風の力(恵み)なのだと知って

……

風に人格として呼びかけてしまうところです。

 

あなたは 靴を

穿いていらっしゃるの?

――と。

 

おみやげの花束の匂いを残して帰っていく

風はあなたなのです。

 

 

1個の風景画のある部屋(の暮らし)の描写にはじまる詩が

絵の中に没入し

絵の中の登場人物(存在)と化し

いつのまにか風に呼びかけてしまう

――という展開の面白さ。

 

絵の中と外の境界が

一瞬にして越境される。

 

 

もう一つの魅力は

風が吹いているのは絵の中での出来事であることを自覚したはずの詩(人)は

そうでした! と自覚しながら

それでもなお

風に呼びかけるところ。

 

泣かないでおわかれしましょう

微笑んでさよならしましょう

――と。

 

風を見たのは

絵空事でもなんでもないと言わんばかりに

あくまでも

絵の中に詩人も存在し続けます。

 

絵空事でもなんでもないことが

そうして

最後の1行で明らかにされるまで

絵の中の人に成りきるところ。

 

 

別れの歌が

こうして

詩人が眼を閉じるだけで完成します。

 

 

この詩の魅力を

さらにもう一つを付け加えるのは

蛇足でしょうか――。

 

第1連は

この風景画が置かれてある現実を描写します。

 

額縁の絵は

窓のようになって

暗い部屋を明るくしていて

そこに「ふたり」がいます。

 

謎のようなこの「ふたり」ですが

よく考えてみれば

結婚してすぐに上京した詩人には

暮らしを共にする夫があったのです。

 

 

間然として隙(すき)のない。

 

抒情の一つの形がここにあります。

 

 

この詩をもう一度

現代表記で読んでおきましょう。

 

 

小さな風景画

     ――わかれの歌――

 

みつめていると

その額縁はまどのように

ふたりの前にひらいているのです

わびしさのきわみの様な此の部屋の

罪の裏さえ晴れやかに明るいのは

どうやら光がそこからさしているためでした

 

遠い杜の 樹木たちの

一葉(ひとは)一葉が次第にはっきり見えて来て

緑が陽にもえ

はてはよろこびに鳴る葉ずれの音までが

手にとる様に聞こえるのでした

おお涼しい風!

これは彼方の蒼空に生れ

若い樹木たちの間を縫って

少年の様に口笛を吹きながら流れ込んで来た風

 

あなたは 靴を

穿いていらっしゃるの?

 

そうでした! そうでした!

 

あなたもやっぱり画の中の

杜の方からやっていらっしゃったのでした!

おみやげの花束は

あの杜かげに咲いたゆかしい白すみれ

やさしいにおいをそっとのこして

お帰りになったとて何のふしぎがありましょう

 

泣かないでおわかれしましょう

微笑んでさよならしましょう

画の中へ

お帰りになるあなた――

あのほそい小径をとおって

いとしい姿が杜にかくれてしまうのを

見るのがとてもつらいので

わたしはこうして眼をつぶります

 

さようなら

さようなら

 

(花神社「新川和江全集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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