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2017年3月26日 (日)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/鉛の「都会の靴」

 

 

 

苦しみが詩人を襲うのは

自然な、必然なことなのでしょうか?

 

詩を書く、

詩を作ることの

苦しみを歌う詩が続いて現われます。

 

「虐殺史」の余韻を曳くかのような。

 

 

都会の靴

 

どこかに

胸のすくやうな断崖(きりぎし)はないものか

身を投げても底は無限のあかるい青空

肌ざはりのいい雲が流れ

ふれれば

ふうはりとわたしの背中に羽が生えて

どこまでもどこまでも

ゆるやかに落ちて行ける

ベツドの様な谿谷はないものか

 

繁華街の雑沓にもまれ

わたしはすくはれがたく孤独であつた

泳ぎ上手な虚飾の魚群たちの

つららの様な眼ざしに斜に射ぬかれ

すでに空洞となつたわたしの額を

尾鰭うちならして通り抜ける非情の魚たち

ふと つめたさにふりかへれば

悄然とついて来るのは

水しぶきに濡れそぼつたわたしの心臓であつた

渋谷 新宿 有楽町

歩いて

歩いて

歩いて

わたしはかなしくつかれてしまふ

 

どこかに

せめてパンきれ程の小さな夢を

さまたげられることなく啄めるベツドはないものか

明日もまたわたしは歩く

うへの あさくさ いけぶくろ

たづねて

たづねて

たづねて

めくるめく様な断崖の上

いとも原始的な微笑に全神経を開放させて

わたしは重たい鉛製の靴をぬぎたいと思ふ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原作のルビは” “で示しました。編者。)

 

 

第1連に、

どこまでもどこまでも

ゆるやかに落ちて行ける

ベツドの様な谿谷

――とあり

 

第3連に、

せめてパンきれ程の小さな夢を

さまたげられることなく啄めるベツド

――とあるように

ベッドが2度も現れるからかもしれません。

 

こちらは、

健やかな眠りを保証してくれるベッドであり

恐怖の「プロクラステスの寝台」ではありませんが。

 

 

繁華街の雑沓にもまれ

わたしはすくはれがたく孤独であつた

――とある状況が

いま、詩人のいるところのようです。

 

渋谷 新宿 有楽町

歩いて

歩いて

歩いて

わたしはかなしくつかれてしまふ

――とあるのは

文学(詩や小説)の集まりが

目指した道ではあれ

苦痛に満ちたものであったことを述べたものと見てよいでしょうか。

 

明日もまたわたしは歩く

うへの あさくさ いけぶくろ

たづねて

たづねて

たづねて

――と、たたみかけるのも

学習や付き合いのためとはいえ

文学の会合の厳しさ、辛さを嘆いたものと読んでよいでしょうか。

 

あるいは

話す内容の激しさ、辛辣(しんらつ)さのメタファーでしょうか。

 

もっとほかのことでしょうか。

 

何のために

歩き、たづねたのでしょうか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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