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2017年3月 5日 (日)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「冬の金魚」

 

西側と北側に窓があるだけの6帖ひと間。便所も洗濯場も共同で、バス付であろう筈もな

く、タオルと石けんを入れた洗面器を抱え、夫と二人、アメリカ橋を渡ってビール会社の裏

手にある銭湯に入りに行った。


――と、戦後すぐに東京へ移住してきたころのことが記されているのは

「冬の金魚」を案内したエッセイ「張りつめた心で」の冒頭部です。

 

この6帖に

青い縁飾りのあるガラスの金魚鉢が置かれ

中に冬を生きのびた1匹の金魚を育てていて

つましいながら張りつめた心で

けなげに生きていた暮らしの一端が述べられています。

 

 

冬の金魚

 

   ひらひら ひらひら

 

夏のさかりを生きのびて

金魚は夜もねむらない

ひたぶるの この水中思考

 

死ぬ日までは生きねばならない

たつたひとりでも生きねばならない

さびしい生活の戒律を

そなたもまた まもるのか

 

いつの日か 水藻のかげに

白き腹見せてとはのねむりにつく時

金魚は夢見るであらう

つひにのぞむを得なかった

つめたく燃ゆる銀嶺の雪を

 

   ひらひら ひらひら

 

きらめく裳裾をひるがへし ひるがへし

冬の金魚の

いのちのかなしさ

 

(花神社「新川和江全集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

この詩の金魚も

単なる対象物であるよりも

詩人の成り代わりである生き物です。

 

絵を見れば

絵の中に入り込み

ひばりを歌えば

ひばりになり

金魚を歌えば

金魚になる……。

 

事物没入の

一つです。

 

 

詩人は冬の金魚に成り代わってしまうのですが

目前にいる金魚は

夏を過ごし

冬になっても

夜も眠らずに

いまもひらひらと

水中に揺れています。

 

ヒラヒラと

ヒラヒラと

揺らす鰭(ひれ)の

穏やかな

緩(ゆる)やかな動きをじっと見ていると

いつかその動きを止める時があるのだろうと

ふとその永遠の眠りにつく金魚(の死)に

思いを馳せます。

 

ヒラヒラと

いつまでも裳裾のように広げて

弛(たゆ)みない動きであるゆえに

いっそうその時がやって来ることが

張りつめた心に映ったのでしょうか。

 

ひらひら

ひらひら

 

ひらひらは

いつしか

かなしさになります。

 

このかなしさは

悲しさ哀しさであるとともに

愛(いと)しさ愛(かな)しさであるでしょう。

 

 

生き物への感情移入。

事物への没入。

それの擬人化(表現)。

 

詩人は

繰り返し繰り返し

何年も何十年も

その技術を磨いていくことになりますが

この詩はその早い時期の完成品の一つです。

 

 

エッセイ「張りつめた心で」は

「詩が生まれるとき」(みすず書房、2009年)に収録されています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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