新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「冬の金魚」
西側と北側に窓があるだけの6帖ひと間。便所も洗濯場も共同で、バス付であろう筈もな
く、タオルと石けんを入れた洗面器を抱え、夫と二人、アメリカ橋を渡ってビール会社の裏
手にある銭湯に入りに行った。
――と、戦後すぐに東京へ移住してきたころのことが記されているのは
「冬の金魚」を案内したエッセイ「張りつめた心で」の冒頭部です。
この6帖に
青い縁飾りのあるガラスの金魚鉢が置かれ
中に冬を生きのびた1匹の金魚を育てていて
つましいながら張りつめた心で
けなげに生きていた暮らしの一端が述べられています。
◇
冬の金魚
ひらひら ひらひら
夏のさかりを生きのびて
金魚は夜もねむらない
ひたぶるの この水中思考
死ぬ日までは生きねばならない
たつたひとりでも生きねばならない
さびしい生活の戒律を
そなたもまた まもるのか
いつの日か 水藻のかげに
白き腹見せてとはのねむりにつく時
金魚は夢見るであらう
つひにのぞむを得なかった
つめたく燃ゆる銀嶺の雪を
ひらひら ひらひら
きらめく裳裾をひるがへし ひるがへし
冬の金魚の
いのちのかなしさ
(花神社「新川和江全集」所収「睡り椅子」より。)
◇
この詩の金魚も
単なる対象物であるよりも
詩人の成り代わりである生き物です。
絵を見れば
絵の中に入り込み
ひばりを歌えば
ひばりになり
金魚を歌えば
金魚になる……。
事物没入の
一つです。
◇
詩人は冬の金魚に成り代わってしまうのですが
目前にいる金魚は
夏を過ごし
冬になっても
夜も眠らずに
いまもひらひらと
水中に揺れています。
ヒラヒラと
ヒラヒラと
揺らす鰭(ひれ)の
穏やかな
緩(ゆる)やかな動きをじっと見ていると
いつかその動きを止める時があるのだろうと
ふとその永遠の眠りにつく金魚(の死)に
思いを馳せます。
ヒラヒラと
いつまでも裳裾のように広げて
弛(たゆ)みない動きであるゆえに
いっそうその時がやって来ることが
張りつめた心に映ったのでしょうか。
ひらひら
ひらひら
ひらひらは
いつしか
かなしさになります。
このかなしさは
悲しさ哀しさであるとともに
愛(いと)しさ愛(かな)しさであるでしょう。
◇
生き物への感情移入。
事物への没入。
それの擬人化(表現)。
詩人は
繰り返し繰り返し
何年も何十年も
その技術を磨いていくことになりますが
この詩はその早い時期の完成品の一つです。
◇
エッセイ「張りつめた心で」は
「詩が生まれるとき」(みすず書房、2009年)に収録されています。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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