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2017年3月29日 (水)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「都会の靴」の希望

 

 

孤独な魂が

鉛の靴をはいて都会を歩いて行く。

 

重たい鉛製の靴で。

 

 

胸がスカッとする断崖絶壁(だんがいぜっぺき)はないものか。

 

そこは

底抜けの青空のようなところに

気持ちの良い雲が流れていて

触れれば背中に羽(はね)が生えて

どこまでもゆるやかに落ちて行ける

ベッドのような谷間。

 

断崖(きりぎし)を下から見ている位置のようですが

もちろん想像上の場所です。

 

 

疲労や不安や憤懣や

孤独や悲哀や苦痛や……。

 

この詩の主体は

何か解決し難い苦悩を抱えて

繁華街の雑沓のただ中に在ります。

 

この苦悩を

だれもわかってくれる友達もいないような

一人ぼっちでありながら

大都会の喧騒の中を

群衆の肩に揉まれて歩いています。

 

 

行き交う人々は

泳ぎ上手な虚飾の魚群たち、と映り

尾鰭うちならして通り抜ける非情の魚たち、と見える

孤独を噛みしめて

足どりは重たくなるほかにありません。

 

ふと振り返れば

水しぶきでビチョビチョになった

わたしの心臓。

 

濡れそぼった心臓だけが

映像として見えるという

ドライな、物神的なイメージが

孤独の深さを表しています。

 

 

プロクラステスの残虐とは異なるもののようですが

詩人が突き当たっている

都会特有の

群衆の中の

何か即物的な孤独みたいなものの

ずっしりしたものが眼前に存在するかのようです。

 

 

渋谷 新宿 有楽町

歩いて

歩いて

歩いて

わたしはかなしくつかれてしまふ

 

明日もまたわたしは歩く

うへの あさくさ いけぶくろ

たづねて

たづねて

たづねて

 

 

そこ(都会の街)を

わたしは脱け出すことはなく

今日も明日も

歩いていくことがわかっているのに

いま

休息が欲しい

ベッドが欲しい

鉛の靴を脱ぎたい

 

とは言っても

詩人は今もこれからもずっと

この都会に住まい続けねばならない生活者でもあります。

 

 

最終連最終行の1行前に現われる

原始的な微笑

――は、第1連の

胸のすくやうな断崖(きりぎし)

身を投げても底は無限のあかるい青空

肌ざはりのいい雲

ベツドの様な谿谷

――との同義反覆のような

はっきりとしない謎を含み

それが希望のようでもあります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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