新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「都会の靴」の希望
孤独な魂が
鉛の靴をはいて都会を歩いて行く。
重たい鉛製の靴で。
◇
胸がスカッとする断崖絶壁(だんがいぜっぺき)はないものか。
そこは
底抜けの青空のようなところに
気持ちの良い雲が流れていて
触れれば背中に羽(はね)が生えて
どこまでもゆるやかに落ちて行ける
ベッドのような谷間。
断崖(きりぎし)を下から見ている位置のようですが
もちろん想像上の場所です。
◇
疲労や不安や憤懣や
孤独や悲哀や苦痛や……。
この詩の主体は
何か解決し難い苦悩を抱えて
繁華街の雑沓のただ中に在ります。
この苦悩を
だれもわかってくれる友達もいないような
一人ぼっちでありながら
大都会の喧騒の中を
群衆の肩に揉まれて歩いています。
◇
行き交う人々は
泳ぎ上手な虚飾の魚群たち、と映り
尾鰭うちならして通り抜ける非情の魚たち、と見える
孤独を噛みしめて
足どりは重たくなるほかにありません。
ふと振り返れば
水しぶきでビチョビチョになった
わたしの心臓。
濡れそぼった心臓だけが
映像として見えるという
ドライな、物神的なイメージが
孤独の深さを表しています。
◇
プロクラステスの残虐とは異なるもののようですが
詩人が突き当たっている
都会特有の
群衆の中の
何か即物的な孤独みたいなものの
ずっしりしたものが眼前に存在するかのようです。
◇
渋谷 新宿 有楽町
歩いて
歩いて
歩いて
わたしはかなしくつかれてしまふ
明日もまたわたしは歩く
うへの あさくさ いけぶくろ
たづねて
たづねて
たづねて
◇
そこ(都会の街)を
わたしは脱け出すことはなく
今日も明日も
歩いていくことがわかっているのに
いま
休息が欲しい
ベッドが欲しい
鉛の靴を脱ぎたい
とは言っても
詩人は今もこれからもずっと
この都会に住まい続けねばならない生活者でもあります。
◇
最終連最終行の1行前に現われる
原始的な微笑
――は、第1連の
胸のすくやうな断崖(きりぎし)
身を投げても底は無限のあかるい青空
肌ざはりのいい雲
ベツドの様な谿谷
――との同義反覆のような
はっきりとしない謎を含み
それが希望のようでもあります。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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