新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「虐殺史」の背景その2
経済の自立無しに、女の自由があるとはどうしても思えなかった。あったとしても、それでは虫がよすぎはしないか。詩を書き続けていくためにも、いっぽうで、お金になる原稿を書く必要がある。
(現代詩文庫64「新川和江詩集」所収の小自伝「始発駅まで」より。)
――ということではじまったのが
「少女ロマンス」への小説の執筆でしたが
これは師、西條八十の紹介によるものでした。
これを足掛かりに
「花物語」「女学生の友」「少女の友」「ひまわり」「少女クラブ」への執筆へと広がり
そうこうするうち、
本格的に小説を勉強するように勧められて
西條八十の紹介状をもって
早稲田系の文学グループ「十五日会」に参加します。
この会へは「半ば強制的に」送りこまれたことが
「始発駅まで」に述べられているのは
やがて詩か小説かの択一を迫られる詩人の未来を暗示しています。
瀬戸内晴美(現在、寂聴)、河野多恵子と
この会で知り合うのですが
詩は機関紙「文学者」に掲載されても
小説が活字になることはなく
居心地はよかったにもかかわらず
居続けることは自分を甘やかすことになると考えて
「十五日会」を退会します。
「十五日会」以前に相知った瀬戸内晴美も
生活のために少女小説を書きはじめていた頃で
二人は小学館などでよく顔を合わせることがあって
そういったときには近くのおしるこ屋であんみつを食べたという
楽しいひとときのある時代のようでした。
また「十五日会」の合評会では
元気に邪気のない感想を述べる瀬戸内晴美の様子や、
御しがたいひとという印象で尊敬と畏怖を抱いた河野多恵子の姿を見るなどして
小説家志望とのいはば温度差を感じるようになっていきます。
執筆中の少女雑誌が詩を書かせてくれはじめたこともあって
詩だけで行く決意を固めていきました。
◇
こうした記述の後には
「睡り椅子」刊行の昭和28年(1953年)の記録になるのですから
「虐殺史」は
「十五日会」の頃に書かれた作品であることが推測されます。
そして以上のことは
「虐殺史」について詩人自ら案内したエッセイ「プロクラステスの寝台」に
この詩が1951年初出、
詩人22歳の制作と書かれてあることによっても
確認できます。
これから文学を生業にして行こうとする
野心と血気に満ちた小説家志望の同輩に交じって
詩人の道を生きようとする若き新川和江が
自らに下した決断。
◇
「虐殺史」はこの決断と直接に関わるものではないでしょうが
この頃の詩人の内面、あるいは詩のテーマを
映し出しているには違いないはずです。
それはどんなことだったのでしょうか?
それこそが
「虐殺史」の内容でした。
「虐殺史」は
何をうたっているのでしょう。
◇
虐殺史
俎板の上に横たへられし
諦念の魚のごとく
今宵も疲れはてし此の身を
つめたき臥床(ふしど)に横たへぬ
夢見ぬ
おそろしき夢見ぬ
わが臥せるはプロクラステスの寝台
夜の街の辻にさらはれては
その上に横たへられて
長き者はみじかく斬られ 短き者は引伸ばされ
無惨にも殺されゆくてふ
かの 古代ギリシヤの暗黒の夜を……
われを細裂(こまざ)く賊こそ見えね
夜もすがら脅かす風
夜もすがらまたたくランプ
あはれ まこと 此の暗き世に生きてあれば
かの遠き世の道ゆく“とつくにびと”のごとく
罪なきにとらはれの身ぞ われは。
(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原作のルビは” “で示しました。編者。)
◇
第1連の、
今宵も疲れはてし此の身
つめたき臥床(ふしど)
終連の、
夜もすがら脅かす風
夜もすがらまたたくランプ
二つのこの詩行を結ぶものの謎に
行き当たります。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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