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2017年3月23日 (木)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「虐殺史」の「またたくランプ」

 

 

プロクラステスが襲ったのは

夜の街道でのことなのに

最終連では

賊の姿こそ見えないけれど

夜もすがら吹く風

そして

夜もすがらまたたくランプとあり

夜の風はよいとしても

またたくランプが恐ろしい! というこの1行を

どう解釈したらいいのか。

 

はじめのうちは

面食らうのですが

ここにこの詩全体が仕掛けているメタファーに思い至れば

それほど理解に苦しむほどのことではないことに気づきます。

 

 

そうです!

 

この詩「虐殺史」は

詩作のメタファーであったはずではないですか。

 

煥発(かんぱつ)する都会の光景が

詩人を苦しめることを

想像することはそれほど困難ではなくなってきます。

 

 

詩人が一篇の詩を生み出すときに

煌々として輝く明かり。

 

暗闇ではなく

灯されたランプが赤々として消えない中で

執行される拷問。

 

詩作する時間が

執行者の姿が見えず

止まない風と

消えない明かりの元で行われる虐殺。

 

そのメタファーであるという

無気味なレトリック――。

 

 

現代の詩人たちは

このような虐殺の歴史を生きているのでしょうか?

 

 

「虐殺史」を自ら案内して

詩人は次のように記しています。

 

 

(プロクルステスは)

ギリシヤ神話に出てくる追いはぎで、エレウシスの街道に、長短二つの寝台を用意して通行人を待ち伏せしては、詩でも述べているような残虐な殺し方をしたらしい。こんな追いはぎに捕ったらたまったものではないけれど、ガス室や原爆での大量殺人に較べれば、まだしも人間的であるとも言える。

(「詩の履歴書」所収「プロクラステスの寝台」より。)

 

 

詩にある「とつくにびと」の「とつくに」は「異国」のことです。

 

詩人は詩人になるために

異国人のような気持ちで

アテナイ(詩の国)への街道を行く旅人になり

プロクラステスの寝台(評定)に載せられます。

 

その虐殺の歴史を生き抜いてきたのよ

――と若き詩人が

心の底から訴えているようです。

 

この詩が作られたのは

「荒地」派の詩人たちが

歌うばかりではなく

考える詩を主張していた時代のことでした。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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