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2017年3月14日 (火)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「PRAYER」から「断章」へ

 

「断章」は

「PRAYER(4)」の次に置かれています。

 

まるで「PRAYER」を補足するかのように

あるいはまた

忘れ物を取りに戻ったかのように。

 

 

断章

 

おとなりのおくさんが

かはいい女のあかちゃんを生みました

おまへはどうして生めないのかと

子好きな夫はなげきます

 

わたしはだまつて

ごはんをたきます

朝と晩

かうしてぢつと耳をすまして

お釜のなかの

お米のいのりをききながら

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

米が炊けるのを

耳を澄まして聴いている

神妙そうな顔――。

 

それは

やがて生まれて来るかもしれない命の鼓動を

聴き取るような真剣さであるかのような――。

 

夫のなげきを聞く妻(詩人)は

ご飯の炊ける音に聴き耳を立てながら

毎朝毎晩いつかその日が来るのを期待していたのでしょうか。

 

そういうことの暗喩ではないのかもしれませんが。

ご飯が炊けるのを待つ間には

詩一つが生み落とされるのに似た

充足した時間があったように思われてなりません。

 

 

この頃の暮らしについて

詩人が書いたエッセイがあり

中につぎのように

制作する(書く)時間のことを述べているくだりがあります。

 

 

朝、夫を会社に送り出すと、掃除洗濯を手早く済ませ、ちゃぶ台に原稿用紙をひろげて、

少女小説をせっせと書いた。

(略)

詩を書くのは、もっぱら夜更けてからだった。皆が働いている真昼間から、詩などのうのう

と書いたりしていては申し訳ない、という気持があった。

 

これは「冬の金魚」について自ら案内するエッセイの中でのことですが

詩人は詩作する時間を夜更けのことと書き記しています。

 

ほかのところでも――。

 

 

朝から机に向い、詩ばかり書いているなんて、どう考えても不健康で気味が悪い。普通の

生活者としての一日を終えたあとの、お余りみたいな時間でそれで十分なのだ。

 

 

こちらは詩「橋をわたる時」を案内したエッセイ「一作ごとに初心」の一節です。

 

このエッセイでは続けて、

 

時間のことより、詩に向う気持ちのことを言っているのであって、一篇の詩として成り立つ

前の、混沌とした状態の素稿と向き合う時に味わう、あのわくわくどきどきした気持は、詩

を書きはじめの頃と、少しも変っていないのだ。

 

――と書いていて、一篇の詩が作られる時の

混沌と、わくわくどきどきした気持ちに触れています。

 

 

混沌、そして、

わくわくどきどき――。

 

これこそ

ご飯の炊けるのを待つ気持ちに通じるものではなかったでしょうか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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