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中原中也を歌う(曲と歌:桜木うさこさん)

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2017年4月

2017年4月30日 (日)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・続/「米子」

 

 

中原中也が、女性を歌った詩は沢山ありますが

「米子」に現われる女性にも

恋もしくは恋に似た感情がただようようで

ついつい取り上げてみたくなりました。

 

第1次形態(いわゆる初稿のことです)は

1936年(昭和11年)10月と推定されています。

 

「在りし日の歌」の最終詩の少し前に配置されています。

 


 

米 子

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

 肺病やみで、腓(ひ)は細かった。

ポプラのように、人も通らぬ

歩道に沿(そ)って、立っていた。

 

処女(むすめ)の名前は、米子(よねこ)と云(い)った。

 夏には、顔が、汚れてみえたが、

 冬だの秋には、きれいであった。

――かぼそい声をしておった。

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

お嫁に行けば、その病気は

癒(なお)るかに思われた。と、そう思いながら

私はたびたび処女(むすめ)をみた……

 

しかし一度も、そうと口には出さなかった。

 別に、云(い)い出しにくいからというのでもない

云って却(かえ)って、落胆させてはと思ったからでもない、

なぜかしら、云わずじまいであったのだ。

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

 歩道に沿って立っていた、

 雨あがりの午後、ポプラのように。

――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思うのだ……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。編者。)

 

 

同情とか憐れみとかと

恋(心)とか愛(情)とかとを

そう容易に区別できるものではなく

ことさら愛との間には

即物的な一線を引かないほうがベターであることが多いようですが

この詩には

少なくとも好意があることを断言してもよいでしょう。

 

2017年4月29日 (土)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/2番詩「愛人ジュリエット」の眼差し

 

映画「愛人ジュリエット」を見ていないのに

この詩「愛人ジュリエット」を理解することはできるかどうかと問えば

詩は詩で独立した世界だから

詩を読むことはできるということになるでしょう。

 

それにしてもしかし

何らかの手がかりが欲しいと思うならば

マルセル・カルネやジェラール・フィリップや

ジュリエット役のシュザンヌ・クルーティエを

検索してみるとよいでしょう。

 

映画そのものもYoutubeで見ることができますが

字幕なしの原語版(フランス映画)です。

 
もちろんDVD化されていますから

購入することもできますし

レンタルで見ることもできます。

 

 

詩を読むために

詩の背景やモチ-フを知ることが

詩のさまたげにならないようにすることは

意外にむずかしいことかもしれません。

 

詩へのアプローチを間違えると

詩を見失うということだって起こり得ますから。

 

 

愛人ジュリエット

     ――同じ名の映画によせて――

 

――ジュリエットは薔薇の名

――ジュリエットは船の名

――ジュリエットはミモザの花におうの街角のカッフェの名

 

――ジュリエットは昔はやった小唄の題よ

――いやいや ジュリエットは三年前 “いなせな”船乗りと

   駈落ちしやがった浮気な俺の女房さ

――滅相な ジュリエットは清い乙女のまま 今朝がた昇天した

   私のかわいいひとり娘でございます

――ジュリエットはわたしですがな まだこの通り健在で……

                六十いくつの粉屋の主婦(おかみ)

 

忘却の国をおとづれ

いとしいひとの名を呼ぶとき

そこではすべてがジュリエットであった

にわかに

数知れぬ小鳥ら 群れ集い

樹々たち 囁き交わし

野の草 耳そばだて

海 こんじきに輝きわたり

山はむらさき

そうしてすべてはジュリエットではなかった

 

ジュリエットは影

ジュリエットはさすらう風

ジュリエットは流れ行く雲

 

   ジュリエット ジュリエット ジュリエット!

 

むなしく

あおぞらに谺(こだま)して

くだけ散る恋の名の悲しさ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

ここに読んだのは

現代かな遣いの「愛人ジュリエット」です。

 

1953年発行の「睡り椅子」の表記を

詩人は歴史的かな遣いで統一しています。

 

戦後8年を経過しての発行ですが

初期の作品を含んでいるため

そちらに合わせて統一したということでしょう。

 

「愛人ジュリエット」の現代性からいえば

明らかに歴史的かな遣いは不釣り合いなのに。

 

 

さて、現代表記で読んだ

「愛人ジュリエット」はどうでしょうか?

 

忘却の国をさまようミシェル(ジェラール・フィリップ)は

何を見て何を感じたのでしょうか?

 

この詩は

ミシェルが愛しいひとの名を呼びつづける彷徨を

どのように歌っているでしょうか。

 

マルセル・カルネ監督の眼差しと

詩人の眼差しがリンクし

シンクロすることがあっても

この詩には詩人、新川和江の愛の眼差しがあることでしょう。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

今日は詩人、中原中也の生誕110年記念日です。

詩人は1907年(明治40年)の4月29日に、山口県吉敷郡下宇野令村に父・謙助、母・フ

クの長男として生まれました。その日から数えると、今日は110歳になります。詩を一つ読

んで、詩人を偲びます。

 

28歳の年の制作で、若き日の恋を歌った未発表詩です。

 



 

(おまえが花のように)

 

おまえが花のように

淡鼠(うすねず)の絹の靴下穿(は)いた花のように

松竝木(まつなみき)の開け放たれた道をとおって

日曜の朝陽を受けて、歩んで来るのが、

 

僕にみえだすと僕は大変、

狂気のようになるのだった

それから僕等磧(かわら)に坐って

話をするのであったっけが

 

思えば僕は一度だって

素直な態度をしたことはなかった

何時(いつ)でもおまえを小突(こづ)いてみたり

いたずらばっかりするのだったが

 

今でもあの時僕らが坐った

磧の石は、あのままだろうか

草も今でも生えていようか

誰か、それを知ってるものぞ!

 

おまえはその後どこに行ったか

おまえは今頃どうしているか

僕は何にも知りはしないぞ

そんなことって、あるでしょうかだ

 

そんなことってあってもなくても

おまえは今では赤の他人

何処(どこ)で誰に笑っているやら

今も香水つけているやら

     (1935・1・11)

 

(「新編中原中也全集」第2巻より。現代かなに変えました。編者。)

2017年4月28日 (金)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/2番詩「愛人ジュリエット」

 

 

 

新川和江の第1詩集「睡り椅子」の中から

幾つかの詩をピックアップして読んできましたが

最後に「愛人ジュリエット」を読みましょう。

 

この詩が

冒頭詩「しごと」に続いて

詩集の2番詩の位置にあることを知っておけば

ほかに何も知る必要はないことでしょう。

 

 

愛人ジユリエツト

     ――同じ名の映画によせて――

 

――ジユリエツトは薔薇の名

――ジユリエツトは船の名

――ジユリエツトはミモザの花にほふあの街角のカツフエの名

 

――ジユリエツトは昔はやつた小唄の題よ

――いやいや ジユリエツトは三年前 “いなせな”船乗りと

   駈落ちしやがつた浮気な俺の女房さ

――滅相な ジユリエツットは清い乙女のまま 今朝がた昇天した

   私のかわいいひとり娘でございます

――ジユリエツトはわたしですがな まだこの通り健在で……

                六十いくつの粉屋の主婦(おかみ)

 

忘却の国をおとづれ

いとしいひとの名を呼ぶとき

そこではすべてがジユリエツトであった

にはかに

数知れぬ小鳥ら 群れ集ひ

樹々たち 囁き交はし

野の草 耳そばだて

海 こんじきに輝きわたり

山はむらさき

さうしてすべてはジユリエツトではなかつた

 

ジユリエツトは影

ジユリエツトはさすらふ風

ジユリエツトは流れ行く雲

 

   ジユリエツト ジユリエツト ジユリエツト!

 

むなしく

あをぞらに谺(こだま)して

くだけ散る恋の名の悲しさ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原詩の傍点は” ”で示しました。編者。)

 

 

エピグラフにあるようにこの詩は

映画を鑑賞して生まれたものです。

 

「愛人ジュリエット」は

1952年12月に封切り公開された

フランス映画で

監督はマルセル・カルネ、

主演はジェラール・フィリップです。

 

そういったところで

ジェラール・フィリップを知らない世代が

この詩にどれだけ近づけるのか

不安は残りますが

詩はそんなことを楽々と超えてしまうものですから

詩であるということもできます。

 

この詩を読めば

映画「愛人ジュリエット」にアクセスすることが

容易になるというものですから。

 

 

では、この詩は

映画「愛人ジュリエット」の鑑賞記なのでしょうか?

 

そういう問いが生まれた時に

「愛人ジュリエット」という詩へ

一歩近づいているという関係が

この詩と映画の関係になります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

2017年4月26日 (水)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「しごと」のメッセージ・その3

 

 

第1詩集「睡り椅子」には

巻末に詩人による後記があります。

 

巻頭には

師、西条八十の序が置かれています。

 

この後記と冒頭詩「しごと」が

呼応していることは

火を見るよりも明らかなことでしょう。

 

ここで「睡り椅子」の後記の一部を

読んでおきましょう。

 

 

(略)

さて、ミューズさまには叱られるかも知れないけれど、私は自分の作品が、パイプ並みに

扱われてもかまはないし、パン切り庖丁、小鳥の巣箱、ランプの火屋でも靴べらでも、一向

に差支えない。むしろ、その様な日常生活の中へ、詩を浸透させて行きたいのが、私の念

願である。人間にとつて最もたいせつな「生活」と、密接につながることによつて、はじめて

私の詩は意味をもつ。

(略)

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

はじめ、このパイプって何のことだろうと

少しとまどいましたが

タバコを吸う道具、喫煙具のパイプであることに気がつきます。

 

はじめ、鉄パイプのパイプを思い浮かべ

建築現場の足場をイメージしてしまって

面白い例示だなと勘違いしましたが

ここは喫煙具と見做した方が自然のようです。

 

パン切り庖丁

小鳥の巣箱

ランプの火屋

靴べら

――などと同列の生活用品が列挙されているのですから。

 

ランプの火屋(ほや)などは

現代の若者の見知らぬものかもしれませんが。

 

これらの日常生活用品と同様に

詩作品を扱ってもらって構わないし

詩が日常生活の中に浸透して行くことは

詩人の願いである、という宣言(と堅苦しくは言わない)が

この後記に明かされているのです。

 

 

 

「しごと」が歌っているのは

まっすぐに

この後記で表明されている生活の詩のことです。

 

生活の詩を作ることを

詩人の仕事とすることの大切さが

墓碑銘に記されるほどに

歌われています。

 

 

しごと

 

きんいろのペンでえがく

この いっぽん道

 

ときどき 振りかえり

ともそう 白いすずらん燈

植えよう においのいい花を咲かせるミモザ並木

 

いちばんさきに通るのは風

そのつぎは犬

こども 自転車 牛乳配達車

散歩のふたりづれ

 

だんだん広くなる 長くなる

やがてほとりに住みよい町が生れる

 

本屋

金魚や

“つるし”の洋服

バナナのせり売り

“だし”のにおい漂うそば屋の横を入れば

お嫁をもらった誰かさんのニュー・ホーム

 

もっとえがこう

きんいろのペンが凍えるまで

この道の終点につくるはずのわたしのお墓

 

墓碑銘をかんがえる

――この国には

   お役人も議事堂もいらないのよ

   祈禱椅子はみんな自家製よ

   神さまもそれぞれ

   フライパンの中で

   オムレツみたいに焼いてつくるのよ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原文のルビは“ ”で示しました。編者。)

 

 

生活という低みの時間の中では

役人も議事堂もいらないほど

詩人の決定が自由奔放のままですし

祈るための椅子も

自分で作った手製のものですし

神さまさえも

フライパンで焼いて作ることができます。

 

そのような生活が

詩人の仕事であることを

金色のペンで描こうとする決意が

「しごと」に込められています。

 

 

戦争の終りから

10年近くの歳月が流れましたが

神の不在を嘆いてばかりいる時ではあるまい

いないのなら焼いてつくってみせるのよ、と

「しごと」と題したこの詩は宣言しているように思えてきます。

 

高所からではなくて

フライパンの中から、ね。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年4月23日 (日)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「しごと」のメッセージ・その2

 

 

お嫁をもらつた誰かさんのニュー・ホーム

――が描かれた後に

描かれるものは無くなってしまったのでしょうか。

 

無限に存在するのでしょうか。

 

ぷつんと途切れた間(ま)があって

きんいろのペンが描こうとするのは

お墓です。

 

きんいろのペン(のしごと)は

凍えるまで続けられるのですから

終点につくるはずのお墓が描かれようとし

お墓に記すメモリアルが考えられます。

 

 

この国には

お役人も議事堂もいらないのよ

祈禱椅子はみんな自家製よ

神さまもそれぞれ

フライパンの中で

オムレツみたいに焼いてつくるのよ

 

 

ここで詩はもはや

死者を思う死者の眼差しになりますが

そうであってもひとつも四角張ることはありませんし

オムレツと同じように

神が焼いて作られるのです。

 

墓碑銘だからといって

尊大ぶって

何かを主張する風でありません。

 

むしろ

くだけたおしゃべり言葉で

だれか親しい人に話しかけます。

 

話しかける内容も実はシリアスなことでありながら

深刻さの微塵もなく

楽天的な声調そのものです。

 

 

この墓碑銘のために

この詩は作られたかのような

この墓碑銘のメタファーは

考えどころであるかのような頂点に至って

詩は閉じられます。

 

 

ここにあるメタファーは

無神論?

 

それとも

自由?

 

それとも

共和国?

 

それとも

幸福?

 

……。

 

 

このような問いが無意味であるような。

 

そういうふうに置き換えることを拒むような。

 

何かへの反意を表明しているのは確かなような。

 

反発(反対)の意図だけがはっきりしているような。

 

 

メッセージの主要な部分が

これらの詩行に含まれているはずですが

それが眉間(みけん)に青筋を立てて

表明されていないところに

この墓碑銘が訴える姿勢はあります。

 

それを書いたら

詩論になっちゃいます

――とその一線を越えようとしていません。

 

 

実はここに

詩人のゲンダイシがはじまっています。

 

その流れでいっても

この詩を現代かな遣いで読み返すことは

無意味ではないことでしょう。

 

 

しごと

 

きんいろのペンでえがく

この いっぽん道

 

ときどき 振りかえり

ともそう 白いすずらん燈

植えよう においのいい花を咲かせるミモザ並木

 

いちばんさきに通るのは風

そのつぎは犬

こども 自転車 牛乳配達車

散歩のふたりづれ

 

だんだん広くなる 長くなる

やがてほとりに住みよい町が生れる

 

本屋

金魚や

“つるし”の洋服

バナナのせり売り

“だし”のにおい漂うそば屋の横を入れば

お嫁をもらった誰かさんのニュー・ホーム

 

もっとえがこう

きんいろのペンが凍えるまで

この道の終点につくるはずのわたしのお墓

 

墓碑銘をかんがえる

――この国には

   お役人も議事堂もいらないのよ

   祈禱椅子はみんな自家製よ

   神さまもそれぞれ

   フライパンの中で

   オムレツみたいに焼いてつくるのよ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原文のルビは“ ”で示しました。編者。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年4月22日 (土)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「しごと」のメッセージ・その1

 

 

第1詩集の冒頭詩「しごと」を

期せずして(?)

ここで読むことにしました。

 

何度も目にしていて

目にする度に黙読しているので

すでに親しみのある詩ですが

詩集の全容を知った後に読もう(書こう)と決めていました。

 

冒頭詩であるために

込められた思いには特別なものがありそうで

それならば後回しにした方がよいと考える底に

詩を素手で読もうという魂胆がありましたから。

 

冒頭詩がもしメッセージ性が高いものなら

それを読む前に

詩集のほかの詩と向き合うのが先決であろう、と。

 

 

しごと

 

きんいろのペンでゑがく

この いつぽん道

 

ときどき 振りかへり

ともさう 白いすずらん燈

植ゑよう にほひのいい花を咲かせるミモザ並木

 

いちばんさきに通るのは風

そのつぎは犬

こども 自転車 牛乳配達車

散歩のふたりづれ

 

だんだん広くなる 長くなる

やがてほとりに住みよい町が生れる

 

本屋

金魚や

“つるし”の洋服

バナナのせり売り

“だし”のにほひ漂ふそば屋の横を入れば

お嫁をもらつた誰かさんのニュー・ホーム

 

もつとゑがかう

きんいろのペンが凍えるまで

この道の終点につくるはずのわたしのお墓

 

墓碑銘をかんがへる

――この国には

   お役人も議事堂もいらないのよ

   祈禱椅子はみんな自家製よ

   神さまもそれぞれ

   フライパンの中で

   オムレツみたいに焼いてつくるのよ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原文のルビは“ ”で示しました。編者。)

 

 

きんいろのペンは

金色のペンではないところ、

いっぽん道もそうです

一本道としないところに

詩人の詩があります。

 

あえて言えば

これらは暗喩でしょうか。

 

きんいろに書かれる文字のイメージの

至高のかがやきばかりが

青い空に浮かび上がるような。

 

いっぽんの道は

飛行機雲かなにかのように

まずすっと引かれました。

 

そしてこの道は

ときどき振り返られるのです。

 

 

すずらん燈

ミモザ並木

こども

自転車

牛乳配達車

散歩のふたりづれ

――が何の衒(てら)いもなく描かれます。

 

風がいちばんさきに通るのも

この詩人の洞察の証しでしょうが

風を特別に扱っている気配さえありません。

 

 

みんなただそこにあるそのもののようで

それ自体を示しているようで

あえていえば明喩であり直喩ですから

それ以上ではなく

それ以下でもない

毎日目にするものごとであって

それらで町が生まれます。

 

 

本屋

金魚や (金魚屋としないところ!)

“つるし”の洋服

バナナのせり売り

“だし”のにほい漂ふそば屋

誰かさんのニュー・ホーム

 

ぜんぶがふだん見ている暮らしの景色です。

 

いっぽん道が

暮らしの景色を列挙して描かれるのですが

描かねばならないものは尽きることがありません。

 

描いても描いても描ききれないことを

きんいろのペンは知っているからでしょうか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年4月18日 (火)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「君よ 籐椅子のやうに」の毛虫

 

 

毛虫が現われる詩が

ほかにもあり、びっくりしています。

 

「睡り椅子」はじめの章「雪の蝶」の

3番詩「君よ 籐椅子のやうに」です。

 

 

君よ 籐椅子のやうに

 

君よ

籐椅子の様にわたしを抱いて

此のみどりの藤棚の下でねむらせて下さい

 

夏の日の午睡のひととき

世界中におそれるものの

何ひとつとてない此の誇らかな幸福を

静かに眠りつつ夢みたいのです

静かに夢みつつ楽しみたいのです

 

やがて

むらさきの花房が

音もなくしづしづと垂れてくるでせう

頬といはず胸といはず腕といはず

はては二重顎のかげの頸筋にまで捲きついて

おお わたしの体はむらさきの花房まがひ!

わたしは眠りながらほのかに微笑して

その花のひとふさを握ろうとします

するとまあ それはあなたの

やさしい腕 あたたかな抱擁

 

限りなき幸福よ

何おそれよう 藤棚の毛虫を

花散らす秋風を 移りゆく季節を――

花房は君が腕

籐椅子の様に安楽なる君が腕ゆゑ!

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡椅子」より。)

 

 

冒頭詩が「しごと」で

2番詩「愛人ジュリエット」であり

この詩が3番目に配置されている意図を汲めば

この詩の重要な位置づけというものが

理解できることでしょう。

 

第1詩集「睡り椅子」の中で

「君」が初めて登場するのもこの詩ですし。

 

「しごと」も「愛人ジュリエット」も読んでいないのですから

その位置づけを理解するというのは無理な話ですが

詩集の最終詩に「おもひ出」を配置し

この詩「君よ 籐椅子のやうに」が詩集の3番詩であるという

単なる並び順のように見えるこの配置が

偶然であるはずもありません。

 

最終詩が重要な位置づけであるように

3番詩が重要であるという位置づけは

疑いようにありません。

 

二つの詩は

重要な位置づけにあるうえに

毛虫という詩語の使用で接続しているという

意図も浮かび上がってくることでしょう。

 

 

こちらの毛虫は

何おそれよう 藤棚の毛虫を

――とあるように

「おもひ出」の毛虫と同じく

恋を脅かす存在です。

 

より明確に

怖い存在の象徴ですが

花散らす秋風を 移りゆく季節を――

――と続けられて

恋の翳(かげ)りを予感するかのようなこころが

歌われます。

 

幸福の絶頂を願望しながら。

 

 

「おもひ出」では

飛葉を毛虫たちの末の形である蝶々と見まがうわたしでしたから

恋はすでに遠い日のことでしたが

この詩でも

恋の絶頂を願望するゆえに

その終わりをも瞥見(べっけん)する眼差しがあります。

 

 

甘苦しいだけのような詩ではありません。
 
その装置として

毛虫たちは現れます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年4月16日 (日)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/毛虫の「おもひ出」

 

 

 

毛虫たち!

――として現れる毛虫は

いったいどこに存在したのでしょうか?

 

 

二人は

川のほとりにいて

せせらぎがきこえています。

 

せせらぎの音にさえぎられて

あなたのささやきは聞こえなかったし

それどころか

みどりの葉かげに潜んでいる

毛虫たちがこわかったから

とても耳に入らなかったと

遠い日の思い出を語っている第1連は

次の連に行くと

5月だった同じその日その時に流した涙は

青葉の緑がまぶしかったせいだったことを明かします。

 

 

緑の葉陰の毛虫たちは

第2連で

まぶしい緑の中に消えてしまうのですが

第3連で

ふたたび現われ

今度は蝶になります。

 

……といってもこの蝶は

あの日の蝶ではなく

幾年月が流れて

結婚したわたしが築いている家庭の

晩ご飯のための買い出しに出た街の

落ち葉が舞うのを見て

想像する中に出てくる蝶でした。

 

何年も後になって

都会の街角で見た落葉が

あの日の毛虫たちが羽化して飛び立ったイメージとして

突然現れたのでした。

 

蝶といっても

ひらひら舞い落ちる黄色い葉が

骸(むくろ)を連想させたのでした。

 

 

そして最終連最終行は
「あなたもどこかでぬれてゐるのでせうね?」


――と遠い日の恋心が
消滅していないことを歌って

閉じられます。

 

 

怖いのと眩しいのとが絡まりあうはじまりから

街角で見た落葉が蝶の死骸へ連結する現在へ。

 

思い出がよみがえるとき

毛虫たちは毛虫でなくなって

蝶々のむくろになって現れる

骨太なイメージの飛躍と時間の経過が

この詩の命になっています。

 

乙女の恋に現われる毛虫のイメージ(思い出)が

妙に生々しく

詩に強度を与えているのは

この詩が口語自由詩であることと無縁であるはずがありません。

 

それにしても

毛虫たちはどこに存在したでしょうか?
 
この詩が

リアリズムの詩と一線を画している謎が

この問いに隠されているようです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2017年4月14日 (金)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「おもひ出」口語自由詩へ

 

 

 

「睡り椅子」の終章「昨日の時計」には

文語定型詩を離れる瞬間があり

その過程をつぶさに見ることができます。

 

 

五月雨が降りつづいて

農家はどこもからつぽです

――とはじまる「夏の窓」

 

待つてゐたのに

たうとう来なかつたあなた

――とはじまる「待ちぼうけ」

 

「二つの鈴」

「小春日和に」

「秋の舗道」

「あかり」

――なども五七調を離れ

口語を使っています。

 

これらは

歴史的かな遣いですから

文語と見間違いがちですが

口語体です。

 

 

「芒」では、

 

青い川原の芒穂(すすきほ)は

暮れてまねけど里はるか

 

「夜更けの雨」では、

 

まあ ふしぎ

たしかに雨の

おとでした

 

――といったように

自然、五七調になり

文語を使用しているのですが

その中にこれらの口語詩は現われます。

 

 

そして、この章の最終詩、すなわち

詩集の最終詩に至りますが

この詩も口語自由詩です。

 

 

  

 

おもひ出

 

いいえ

あなたのささやきなど

たえまない川の瀬音にかき消されて

わたしの耳にはきこえませんでした

稚いさげ髪のほそいリボンが

消えのこりの星のやうなつゆくさ色に

かすかにやさしくふるへてゐたのは

みどりの葉かげにひそんでゐる

たくさんの毛虫たちが

なんだかとてもこわかつたからでした

 

五月でしたね

さんさんとお日さまよりも強烈に

青葉若葉がもえてゐたのは

あの春ばかりだつたのでせうか

あなたにひとみをのぞかれても

なんにも言へずに涙ぐんだのは

ただ ただ みどりがまぶしかつたのです

 

毛虫たち!

みんなきれいな蝶になつて

あの林からどこへ飛び立つて行つたのでせう

さうしてわたしも島田に結つて

知らない都の花よめさんになりました

晩のおかずを買つての帰り

薄暮のなかで街路樹の

きいろい朽葉(くちは)が舞ひ落ちるのを見ると

恋に破れた蝶々の

かなしいむくろと見まがへて

わたしはおもはず立ち止まります

 

こんなよる

みやこはきまつて時雨になりました

お寝間に重いカアテンをおろすとき

白いパヂヤマの衣ずれほどにもさり気なく

わたしはそつと

つぶやかずにはゐられません

 

「あなたもどこかでぬれてゐるのでせうね?」

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

「昨日の時計」は

「睡り椅子」の最後の章ですが

最初期の詩篇が集められ

おそらく同時期に作られた「16歳のノート」の詩群に

近い位置にあります。

 

抒情を思う存分に歌いながら

「ゲンダイシ」を射程圏に入れた

たくらみ(意図)のある作品群が置かれました。
 
この「おもひ出」もその一つで

リアリズムなのだか幻なのだか

あわいを自在に越えてしまうような

仕掛けが現われて驚かされます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2017年4月13日 (木)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「悲唱」の別れ

 

 

 

滾々(こんこん)と湧き出でるリリック――。

 

これでもかこれでもかと

別れ歌が歌われます。

 

 

悲唱

 

その日より

町はいと晦き水底に沈みき

音なく 風なく 光なく

ふたたびは頭上に日輪を仰ぐことなく

深き 深き 憂愁の底に沈みき

 

たそがれ

そが町のほとりをよぎれば

羽ばたき重く一羽の灰色の鳩

高き石窓より石窓へ伝い飛ぶあり

されど 家々の窓には

今宵もあかりのともることなし

夕来れど星さへ出でず

町はさむることなき悪夢の裡に病みたり

 

光なりしや

ひびきなりしや

風なりしや

かの君

君去りてたのしきうたの消え失せしその日より

町は永久(とことは)にいと暗き水底に沈みき

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

この詩「悲唱」が

「晩春秘唱」や「別後歎唱」と異なるのは

この詩が文語を使ってはいるものの

七五、五七の音数律から離れたところです。

 

定型の音数律をやめて

自由に歌う試みがはじめられましたが

完全に無くしたわけではなく

5音を基調にしながら

3音(8音)、4音を混ぜ

7音もあります。

 

 

文語七五調の流れに

詩の形は破調が持ち込まれたことになりますが

嫋々(じょうじょう)とした響きが衰えることはなく

そのうえこの響きの中には

理知的なものの存在が潜んでいるので

妙な感染症にかかることもありません。

 

歌われる内容が

失われた恋(別れ)であるからといって

この詩には

感染するようなルサンチマン(悪感情)がありません。

 

未来があるような

別れといえば変ですが

そのようなものが

この詩には流れています。

 

 

たとえば――。

 

かの君を失って

わたしという固体は打撃を受けるのですが

その打撃は、

 

その日より

町はいと晦き水底に沈みき

――という詩行が示す

町の水没というスケールで言い表されます。

 

一人称単数形のわたしに

別れの打撃は閉じ込められません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2017年4月11日 (火)

作詞・松本隆、作曲・つんく♂の「砂時計」のイメージは中也「北の海」



作詞・松本隆が作曲・つんく♂と組んで話題のシングル「砂時計」が4月19日発売されま

すが、この曲の歌詞の冒頭2行は、中原中也の「北の海」をイメージした、という裏話が、

昨日(10日)の朝日新聞夕刊「音楽・舞台欄」で披瀝されています。「松本隆 書きかけ

の…」というシリーズ第1回で、松本自らが次のように語っています。



冒頭の2行は完全に中原中也へのリスペクト。「海にいるのは、/あれは人魚ではないの

です。/海にいるのは、/あれは、浪(なみ)ばかり。」で始まる「北の海」をイメージした。



ちなみに、「砂時計」のはじまりは、以下の通り。



海鳴りのもっと深くで


人魚たち 泣いてるみたい


無理やりに鋏(はさみ)で切った


愛だから逆に縺(もつ)れる

 




乞う! ご期待!

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「別後歎唱」の別れ

 

 

とうに別れた相手のひとが

今もあなたを忘れていないと誰かに明かし

そのこころが風の便りに伝わってくる

 

それを知って

乙女のこころは

千々に乱れる。

 

「晩春秘唱」の

その後――。

 

 

別後歎唱

     ――そのことまことかは知らず、風の便りに

        君いまだわれを忘れ給はねときけば――

 

君が心知り得てうれしく

君が心知り得てかなしく

かかる日

春陽(しゅんよう)の且つ照り且つ曇るそのかげのごと

目無き魚(うお) いくたびかおろおろと

晦(くら)き水底の岩間をよぎる

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

「晩春秘唱」の「かのひと」は

ここでは「君」になり

いっそう男女のは距離は縮まっていますが。

 

わたしのことを好きでいてくれるのは

うれしい。

 

でも……。



何か

はっきりと言えない

こころの奥底にあるものがあるようです。

心は通じているのに

結ばれない

悲しい恋の歌です。

 

 

「睡り椅子」の終章「昨日の椅子」は

こうした悲恋歌が

咲き乱れます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2017年4月10日 (月)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「晩春秘唱」の別れ

 

晩春秘唱

 

         ――ちかひ――

おそはるの空あをくして

花さへ散りてゆくものを

ながれのほとりかのひとは

かなしきことを誓ひにき

 

         ――薔薇――

なみだの水をついだとて

しをれし薔薇のせんなしや

わが若き日の悔恨の

雲はゆくなり 空とほく

 

         ――夕ひばり――

夕やけ雲に啼くひばり

草間のかげをゆく流れ

せつなくもだしよりそへど

わがかなしみは君知らず

 

         ――春ゆくらし――

日毎待てるに来ぬふみの

かへすがへすもうらめしや

きのふもけふも降る雨に

春ゆくらしの花が散る

 

         ――おもひで――

おもひでゆゑに 切々と

逝く春の夜は雨よ降れ

かかるゆうべはかの君も

かなしくなみだぬぐふらむ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

この詩は「昨日の椅子」に収められていますから

東京へ移住する前の制作と捉えてよいでしょう。

わざわざそのように解する必要はないのかも知れませんが

文語七五調でもありますし

早い時期の作品であることには違いなく

だとすれば、

女学生の恋がまっすぐに歌われた詩ということになり

抒情の誕生を

つぶさに見ることができるのですから

自然身を乗り出す姿勢になります。

 

 

女学生詩人はすでに、

わが若き日の悔恨の

雲はゆくなり 空とほく

――と青春を振り返ります。

(第2詩)

 

かなしい誓い(第1詩)とは

やむを得ない長い別れに

誓った愛の言葉でしょうか。

 

それとも

恋人は出征したのでしょうか。

 

 

せつなくもだしよりそへど

わがかなしみは君知らず

――は、恋人の間が最も接近した時間をとらえて

この詩の頂点にさしかかります。

言葉なく寄り添っていたけれど

キスの一つもしてくれなかったという

秘めた女心が隠されているでしょうか。

 

 

第4詩「春ゆくらし」の春は

一度巡ってまたやって来た春なのでしょう。

 

1年も待ち続けて

来なかった手紙。

 

雨ばかりがつづいて

桜は散り急ぐ。

 

 

すでに思い出となった恋――。

どうせ思い出、遠い日のこと。

 

今年の春も逝く。

 

きっとあの人も

このような夕(ゆうべ)には

悲しみの涙をながしていることでしょう。

 

きっと。

 

 

詩人がこのような別れを

実際に経験したのかどうかという関心にまさって

この詩の味わいどころは存在するでしょう。

 

「ちかひ」から「おもひで」に至る物語が

この詩には流れていますが

その流れの中に述べられるこころの

まるで成熟した女性を思わせるせつなさが

女学生詩人によって歌われたところです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年4月 8日 (土)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/豊かな「れんげ畠」

 

 

れんげ畠

 

れんげ田に

ひとり寝て

ひとり仰いだ

空あをし

 

れんげ綴りし

首かざり

はかなく風に

とけにけり

 

わが吹きならす

口笛は

をとめ子ゆゑに

うら寂し

 

れんげ畠に

ひとり寝て

心 れんげに

染まるらむ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

この詩は

おそらく最も初期の作品の一つでしょう。

 

戦前の作品ですし

初めは文語定型詩になるのは

自然の流れですし。

 

 

一面に咲く濃いピンクのれんげ畠にやってきた少女が

仰向けになって見上げた空は青い。

 

摘み取って作った首飾りは

風にあたってもはや萎れている。

 

口笛が口をついて出てくるが

少女の口笛だから寂しげだ。

 

れんげ畠に一人寝ていると

こころはれんげに染まります。

 

 

シンプルな詩ゆえ

読むむずかしさを迫られます。

 

詩行を一通り追ってみると

詩のなかに入ることができますが

パラフレーズすれば

詩を失うことは歴然としています。

 

 

ある行為を書き留め

その時生じた心を歌うのに

行分けすれば詩ができる、

ルフランすれば詩ができる、といってしまえば

詩作りは余程簡単なことになってしまいますが

詩を作る最初には

詩に親近する手法の糸口というものがあり

その糸口の一つが

行分けでありルフランであり

定型へのはじまりであるということくらいは

言い切って可能でしょう。

 

その上この詩は

文語体七五調の形(定型)で作られています。

 

 

この詩には、その上、

擬人法や比喩や象徴化といった

修辞こそ見当たらないものの

心を述べ

心を歌うときに

そのものになってしまうという方法への萌芽があります。

 

心 れんげに染まるらむ

(心はれんげ色に染まる、としないところ)

――は

やがて(もしくは、すでに)

「ひばりの様に」の、

胸はりさけて死んだとて

それでよいではないですか

や、

「冬の金魚」の、

ひらひら ひらひら

や、

「雲」の、

すでに

雲は雲ではなかった

――などに通じています。

 

 

さらにこの詩の最大の醍醐味は

一人ぼっちの寂しさの調べを歌いながら

寂しさを一つ一つ拾い集めて

寂しさの豊かさみたいな

寂しさがいっぱいあるような

賑やかな表現に達しているところです。

 

寂しさを思う存分に

歌っているところです。

 

 

次の詩にも

同じようなことが言えるでしょう。

 

 

夕立あと

 

夕立あとの

空のよな

明るい心に

なりませう

 

夕立あとの

雲のよな

大きなのぞみを

持ちませう

 

夕立あとの

虹のよな

美しい娘(こ)に

そだちませう

 

 

女学生の抒情の豊かさは

絢爛(けんらん)の域にあります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2017年4月 6日 (木)

詩人、大岡信さん死去。

慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

2017年4月 5日 (水)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「橋をわたる時」の裏側

 

 

「睡り椅子」最終の章「昨日の時計」に

章のタイトルを冠した詩はありません。

 

冒頭に置かれたのが

「橋をわたる時」です。

 

 

橋をわたる時

 

向ふ岸には

いい村がありさうです

心のやさしい人が

待つていてくれさうです

のどかに牛が啼いて

れんげ畠は

いつでも花ざかりのやうです 

 

いいことがありさうです

ひとりでに微笑まれて来ます

何だか かう

急ぎ足になります

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

「雪の蝶」

「都会の靴」

――と章のタイトル詩が配置されたのに

この章のどこを探して

「昨日の時計」という詩が見つからないのは

詩の全体が

「昨日の時計」であるという作りにしているからでしょうか。

 

第1詩集を編んだとき

詩人はこれらの詩篇を

「昨日」の時間(=時計)の中に置きました。

 

これらの作品は

きっと西條八十の目を通ったものでしょう。
 

 

16歳の頃までに

女学生詩人が書き貯めていた

一途に思いつめたような

純真無垢な

ほがらかな

匂うような

熱情的な詩篇の数々。

 

全部で21篇の詩が配置されましたが

ほとばしる抒情を

論理で制するような

恋の歌

別れの歌の

さまざまな形が集められました。

 

七五調や文語体を駆使して

思う存分歌っています。

 

 

「橋をわたる時」は

どんな橋なのか

大きい橋なのか小さい橋なのか

余計なことは述べられていなくて

ただただ橋の向うの世界を

わくわく期待を膨らませている少女の心に絞っただけの

癖のない詩と言えるでしょう。

 

きっといいことがありそうと

思いを募らせる少女は

今にも橋を渡ろうとしていますが

今まだ橋を渡っていません。

 

渡っていないけれど

渡る先の村の様子がくっきり見えているのは

もしかすると

今暮している村から脱け出したいという心の裏側なのかもしれません。

 

癖のない飾らない詩のようですが

そういうことを一言も歌っていないところが

この詩の隠された技です。

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

2017年4月 4日 (火)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界・番外編/小自伝「始発駅まで」結語の確信

 

 

9月から授業が再開される。

苦手の数学のある日には、足はひとりでに下館に向く。

休日にも、書き置きして家を抜け出す。

 

疎開中の西条八十への訪問が繁くなるにつれ

はじめは大目に見ていた母親の忠告が激しくなる。

 

そのあたりは、

 

“詩”からというより“詩人”から、娘を引き離さねばと躍起になりはじめていた。明方まで坐り続けて叱責されていた晩もあった。

 

――と「始発駅まで」に記されます。

 

 

西条八十への訪問は

詩集「睡り椅子」の後記では

次のように記されています。

 

 

そのころ、私はまだ女学生で、作品といつても童謡に近いものばかりであつたが、西條先生はそれを丹念にお読みになつては、よく削られた鉛筆で、雀の卵ほどの〇をつけたり、添作して下さつたりした。そのノートをかかへて、いそいそと帰つて来る私の心は、赤い三重丸を貰つた小学生の様にはづんで、途すがら、無気味に鳴り出す空襲警報のサイレンも、遠い世界の出来事程にしか、ひびかなかつた。

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」後記より。)

 

 

空襲警報のサイレンも遠い世界の出来事

――と記される一途さの背後には

母親との格闘があったわけですが

考えてみれば

空襲警報も気にならないほどの詩作への打ち込み振りは

母親の制止を振り切るパワーになったということであります。

 

空襲警報と母親の制止とを比較することはできませんが

詩作への熱中は

どちらをも障害にしなかったほどの

強度があったということになります。

 

この熱中がなかったら

詩人は生まれていなかったかもしれません。

 

この熱中の足跡の一部が

第1詩集「睡り椅子」に結晶しました。

 

 

「始発駅まで」の結びは

「睡り椅子」出版の直後のことが書かれています。

 

反響(反応)があったのです。

 
反響があったことを記すなかに

始発駅以後を記しています。

 

その一つ。

秋谷豊、緒方健一から誘われて

「地球」グループに参加します。

 

 

もう一つ。

「詩学」が広告を出すことになり

詩学社を訪れて知った木原孝一の言葉に

激しく揺さぶられます。

 

木原は、

新川さん、恋愛詩ひとつ書くにもしても、なにか、こう、宇宙に通じるようなものを書かなくちゃ、ダメなんだよなァ

――と発言した。

 

詩人は衝撃を受ける。

 

「始発駅まで」は

次のように結ばれています。

 

 

ぐらりと地軸が傾く気がした。昔、西条先生の口から、「ゲンダイシ」という言葉をはじめて聞かされた時と、内容こそちがえ、同じ衝撃であった。けれども最早、途方に暮れることは無かった、「現代詩」と今こそ明瞭に表記し発音できるという、確信のようなものをその瞬間には摑んでいた。それを、これからはじめるのだ、と思った。

 

 

木原孝一は「詩学」の編集者であり

「荒地」のメンバーでした。

 

衝撃というより

途方に暮れることは無かった、というところが重要です。

 

「睡り椅子」には

現代詩の「種」が撒かれてあったという確信が

この言葉にはあります。

 

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2017年4月 2日 (日)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界・番外編/小自伝「始発駅まで」

 

 

実際に見た雲の荒れ模様を

女の群像に見立てた「雲」が

「16歳のノート」に書き留められたのですから

これを驚かないではいられません、よね。

 

この詩を

師、西條八十はどのように読んだのでしょうか、

とても興味あるところです。

 

やがて小説の勉強を薦められるのは

意外にこういう詩を書く詩人の素質を見抜いていたからかもしれません。

 

 

小自伝「始発駅まで」は

1975年に初版発行された現代詩文庫64「新川和江詩集」のために

書き下ろされた魂のこもったエッセイですが

始発駅とはまさしく

第1詩集「睡り椅子」そのもののことを指します。

 

始発駅である「睡り椅子」にたどり着くまでの足跡が

飾らない文章で丹念にしかし的を絞って記録されていますから

新川和江ワールドに親しむための必需品です。

 

(女性の)詩人が

どのようにして生まれたのか

どのように自己形成していったかを知る

第1級の資料ですから

それこそ何度も何度も

「睡り椅子」の詩群を読む時には特に

読むたびに引っ張り出す価値のある

重要な背景が記されています。

 

2、3のことを

ここで引いておきましょう。

 

 

昭和19年(1944年)1月。

西条八十が隣町の下館に疎開してきたのを知り

落ち着かない日を1週間ほど送った後

思い切って手紙を書く。

 

いくさなか にいはるのひに

あこがれの うたびとのきみ

とほからぬ まちにむかへて

われもまた むねわくひとり

 

――という五七調の歓迎の詩を手紙に添えた。

 

すると、詩のノートを持ってくるようにと返信があり

水戸線に乗り

詩人の仮住まいを訪れる。

 

師は、ノートに目を通し、

 

ゲンダイシの、悪い影響を受けていないところがいいね。それにボキャブラリーがとても豊富だ

――と東京から来合わせていた詩人、大島博光に言ったのが聞えた。

 

 

ノートを抱えて、学校とは反対の方角へ通う日が繁くなった。

――という日が続きます。

 

 

昭和20年(1945年)の項。

 

3月のある夜、大空襲をうけて炎上する東京の空が、百キロあまり北に離れた私の村からも、赤く爛れて見えた。

――と書き出されます。

 

この間、ランボオ研究の膨大な論文の写稿を頼まれる。

 

灯火管制の下、

毎夜の写稿のかたわら

ヴェルレーヌ

ヴァレリー

シュペルヴィユ

ゴル

アリエット・オドラ

ノワイユ夫人らの詩を

堀口大学訳で読む。

 

西条からは

ジョルジュ・サンドの短編

マルグリッド・オオドウの小説を借りて

親しみを覚えた。

 

 

そして、敗戦の8月。

師、西条から送られてきた七五調の詩。

 

 

祖国の江山 犬羊に

伏して音なく雲はゆく

枯唇を噛み裂けど

血さえ流れぬ秋暑し

 

 

これに送った詩人の返歌――。

 

玉の御声のかしこさに

空さへ蒼く嘆くとや

警笛絶えて日は照れど

敗れし国は ただ静か

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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