中原中也生誕110年に寄せて読む詩・続/「米子」
中原中也が、女性を歌った詩は沢山ありますが
「米子」に現われる女性にも
恋もしくは恋に似た感情がただようようで
ついつい取り上げてみたくなりました。
第1次形態(いわゆる初稿のことです)は
1936年(昭和11年)10月と推定されています。
「在りし日の歌」の最終詩の少し前に配置されています。
◇
米 子
二十八歳のその処女(むすめ)は、
肺病やみで、腓(ひ)は細かった。
ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿(そ)って、立っていた。
処女(むすめ)の名前は、米子(よねこ)と云(い)った。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであった。
――かぼそい声をしておった。
二十八歳のその処女(むすめ)は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なお)るかに思われた。と、そう思いながら
私はたびたび処女(むすめ)をみた……
しかし一度も、そうと口には出さなかった。
別に、云(い)い出しにくいからというのでもない
云って却(かえ)って、落胆させてはと思ったからでもない、
なぜかしら、云わずじまいであったのだ。
二十八歳のその処女(むすめ)は、
歩道に沿って立っていた、
雨あがりの午後、ポプラのように。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思うのだ……
(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。編者。)
◇
同情とか憐れみとかと
恋(心)とか愛(情)とかとを
そう容易に区別できるものではなく
ことさら愛との間には
即物的な一線を引かないほうがベターであることが多いようですが
この詩には
少なくとも好意があることを断言してもよいでしょう。
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