新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「おもひ出」口語自由詩へ
「睡り椅子」の終章「昨日の時計」には
文語定型詩を離れる瞬間があり
その過程をつぶさに見ることができます。
◇
五月雨が降りつづいて
農家はどこもからつぽです
――とはじまる「夏の窓」
待つてゐたのに
たうとう来なかつたあなた
――とはじまる「待ちぼうけ」
「二つの鈴」
「小春日和に」
「秋の舗道」
「あかり」
――なども五七調を離れ
口語を使っています。
これらは
歴史的かな遣いですから
文語と見間違いがちですが
口語体です。
◇
「芒」では、
青い川原の芒穂(すすきほ)は
暮れてまねけど里はるか
「夜更けの雨」では、
まあ ふしぎ
たしかに雨の
おとでした
――といったように
自然、五七調になり
文語を使用しているのですが
その中にこれらの口語詩は現われます。
◇
そして、この章の最終詩、すなわち
詩集の最終詩に至りますが
この詩も口語自由詩です。
◇
おもひ出
いいえ
あなたのささやきなど
たえまない川の瀬音にかき消されて
わたしの耳にはきこえませんでした
稚いさげ髪のほそいリボンが
消えのこりの星のやうなつゆくさ色に
かすかにやさしくふるへてゐたのは
みどりの葉かげにひそんでゐる
たくさんの毛虫たちが
なんだかとてもこわかつたからでした
五月でしたね
さんさんとお日さまよりも強烈に
青葉若葉がもえてゐたのは
あの春ばかりだつたのでせうか
あなたにひとみをのぞかれても
なんにも言へずに涙ぐんだのは
ただ ただ みどりがまぶしかつたのです
毛虫たち!
みんなきれいな蝶になつて
あの林からどこへ飛び立つて行つたのでせう
さうしてわたしも島田に結つて
知らない都の花よめさんになりました
晩のおかずを買つての帰り
薄暮のなかで街路樹の
きいろい朽葉(くちは)が舞ひ落ちるのを見ると
恋に破れた蝶々の
かなしいむくろと見まがへて
わたしはおもはず立ち止まります
こんなよる
みやこはきまつて時雨になりました
お寝間に重いカアテンをおろすとき
白いパヂヤマの衣ずれほどにもさり気なく
わたしはそつと
つぶやかずにはゐられません
「あなたもどこかでぬれてゐるのでせうね?」
(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)
◇
「昨日の時計」は
「睡り椅子」の最後の章ですが
最初期の詩篇が集められ
おそらく同時期に作られた「16歳のノート」の詩群に
近い位置にあります。
抒情を思う存分に歌いながら
「ゲンダイシ」を射程圏に入れた
たくらみ(意図)のある作品群が置かれました。
この「おもひ出」もその一つで
リアリズムなのだか幻なのだか
あわいを自在に越えてしまうような
仕掛けが現われて驚かされます。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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