カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界・番外編/小自伝「始発駅まで」結語の確信 | トップページ | 詩人、大岡信さん死去。 »

2017年4月 5日 (水)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「橋をわたる時」の裏側

 

 

「睡り椅子」最終の章「昨日の時計」に

章のタイトルを冠した詩はありません。

 

冒頭に置かれたのが

「橋をわたる時」です。

 

 

橋をわたる時

 

向ふ岸には

いい村がありさうです

心のやさしい人が

待つていてくれさうです

のどかに牛が啼いて

れんげ畠は

いつでも花ざかりのやうです 

 

いいことがありさうです

ひとりでに微笑まれて来ます

何だか かう

急ぎ足になります

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

「雪の蝶」

「都会の靴」

――と章のタイトル詩が配置されたのに

この章のどこを探して

「昨日の時計」という詩が見つからないのは

詩の全体が

「昨日の時計」であるという作りにしているからでしょうか。

 

第1詩集を編んだとき

詩人はこれらの詩篇を

「昨日」の時間(=時計)の中に置きました。

 

これらの作品は

きっと西條八十の目を通ったものでしょう。
 

 

16歳の頃までに

女学生詩人が書き貯めていた

一途に思いつめたような

純真無垢な

ほがらかな

匂うような

熱情的な詩篇の数々。

 

全部で21篇の詩が配置されましたが

ほとばしる抒情を

論理で制するような

恋の歌

別れの歌の

さまざまな形が集められました。

 

七五調や文語体を駆使して

思う存分歌っています。

 

 

「橋をわたる時」は

どんな橋なのか

大きい橋なのか小さい橋なのか

余計なことは述べられていなくて

ただただ橋の向うの世界を

わくわく期待を膨らませている少女の心に絞っただけの

癖のない詩と言えるでしょう。

 

きっといいことがありそうと

思いを募らせる少女は

今にも橋を渡ろうとしていますが

今まだ橋を渡っていません。

 

渡っていないけれど

渡る先の村の様子がくっきり見えているのは

もしかすると

今暮している村から脱け出したいという心の裏側なのかもしれません。

 

癖のない飾らない詩のようですが

そういうことを一言も歌っていないところが

この詩の隠された技です。

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

« 新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界・番外編/小自伝「始発駅まで」結語の確信 | トップページ | 詩人、大岡信さん死去。 »

121新川和江・抒情の源流」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界・番外編/小自伝「始発駅まで」結語の確信 | トップページ | 詩人、大岡信さん死去。 »