新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「しごと」のメッセージ・その3
第1詩集「睡り椅子」には
巻末に詩人による後記があります。
巻頭には
師、西条八十の序が置かれています。
この後記と冒頭詩「しごと」が
呼応していることは
火を見るよりも明らかなことでしょう。
ここで「睡り椅子」の後記の一部を
読んでおきましょう。
◇
(略)
さて、ミューズさまには叱られるかも知れないけれど、私は自分の作品が、パイプ並みに
扱われてもかまはないし、パン切り庖丁、小鳥の巣箱、ランプの火屋でも靴べらでも、一向
に差支えない。むしろ、その様な日常生活の中へ、詩を浸透させて行きたいのが、私の念
願である。人間にとつて最もたいせつな「生活」と、密接につながることによつて、はじめて
私の詩は意味をもつ。
(略)
(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)
◇
はじめ、このパイプって何のことだろうと
少しとまどいましたが
タバコを吸う道具、喫煙具のパイプであることに気がつきます。
はじめ、鉄パイプのパイプを思い浮かべ
建築現場の足場をイメージしてしまって
面白い例示だなと勘違いしましたが
ここは喫煙具と見做した方が自然のようです。
パン切り庖丁
小鳥の巣箱
ランプの火屋
靴べら
――などと同列の生活用品が列挙されているのですから。
ランプの火屋(ほや)などは
現代の若者の見知らぬものかもしれませんが。
これらの日常生活用品と同様に
詩作品を扱ってもらって構わないし
詩が日常生活の中に浸透して行くことは
詩人の願いである、という宣言(と堅苦しくは言わない)が
この後記に明かされているのです。
◇
「しごと」が歌っているのは
まっすぐに
この後記で表明されている生活の詩のことです。
生活の詩を作ることを
詩人の仕事とすることの大切さが
墓碑銘に記されるほどに
歌われています。
◇
しごと
きんいろのペンでえがく
この いっぽん道
ときどき 振りかえり
ともそう 白いすずらん燈
植えよう においのいい花を咲かせるミモザ並木
いちばんさきに通るのは風
そのつぎは犬
こども 自転車 牛乳配達車
散歩のふたりづれ
だんだん広くなる 長くなる
やがてほとりに住みよい町が生れる
本屋
金魚や
“つるし”の洋服
バナナのせり売り
“だし”のにおい漂うそば屋の横を入れば
お嫁をもらった誰かさんのニュー・ホーム
もっとえがこう
きんいろのペンが凍えるまで
この道の終点につくるはずのわたしのお墓
墓碑銘をかんがえる
――この国には
お役人も議事堂もいらないのよ
祈禱椅子はみんな自家製よ
神さまもそれぞれ
フライパンの中で
オムレツみたいに焼いてつくるのよ
(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原文のルビは“ ”で示しました。編者。)
◇
生活という低みの時間の中では
役人も議事堂もいらないほど
詩人の決定が自由奔放のままですし
祈るための椅子も
自分で作った手製のものですし
神さまさえも
フライパンで焼いて作ることができます。
そのような生活が
詩人の仕事であることを
金色のペンで描こうとする決意が
「しごと」に込められています。
◇
戦争の終りから
10年近くの歳月が流れましたが
神の不在を嘆いてばかりいる時ではあるまい
いないのなら焼いてつくってみせるのよ、と
「しごと」と題したこの詩は宣言しているように思えてきます。
高所からではなくて
フライパンの中から、ね。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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